秘密の暴露か否か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 11:59 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「秘密の暴露か否か」の解説
第17回公判(1981年7月14日)では、検察官が新たな証拠として、警察庁科学警察研究所の鑑定書2通などを申請したが、同鑑定書によれば、Aが着用していたジーパンや下着から、睡眠薬の成分の代謝物が検出された一方、Bが着用していたカーディガンの左肩・襟の裏からはMの毛髪が検出されたが、北野の毛髪は検出されていなかった。これは、検察官による冒頭陳述の「富山事件ではAに睡眠薬を飲ませるつもりだったが、『錠剤は飲めない』というので、睡眠薬を飲ませるのではなく、疲れて寝入ったところを絞殺した」「長野事件では、北野がMとともに殺害・死体遺棄を実行した」という主張とは矛盾するものだった。 一方で検察官は、北野が長野事件で取り調べを受けていた際の調書に、「北野はMから『富山事件でAを殺した際、睡眠薬でAを眠らせた上で絞殺した』と聞いた」という記載がある一方、Mの調書には富山事件での睡眠薬使用に関する記載がないことについて触れ、「後に判明した事実に言及した北野の供述は、『秘密の暴露』に当たる」と主張した。これに対し、北野はその調書について、「取調官から『Mが富山事件の際、Aに睡眠薬を飲ませたことは間違いない』と教えられ、誘導されたものだ」と供述し、北野側は「捜査本部は当時、Mが富山事件前に睡眠薬を購入していた事実を把握していた。また、長野事件で被害者Bに睡眠薬が使用されたことを疑い、鑑定を進めていたことから、Aにも睡眠薬が使用されたことは容易に推認し得たもので、秘密の暴露(犯人しか知り得ない情報で、捜査機関が全く知らなかったことが自白によって初めて明らかになったもの)には該当しない」と反論した。 1983年7月には、フェアレディZ助手席に付着していた尿の鑑定が行われ、血液型からAのものと判明。失禁量などから、(それまで不明だった)Aの殺害場所は、フェアレディZの車内と特定された。1984年7月には、Bに付着していたMの毛髪の位置が再鑑定された結果、Mが殺害実行犯であることが裏付けられた。
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