2人の供述内容の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 11:59 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「2人の供述内容の変遷」の解説
被告人M北野日付留置場所富山事件長野事件日付留置場所富山事件長野事件捜査段階3月8日 - 10日 関与およびAとの面識を否定 3月8日 - 30日 両事件について否認 3月30日に長野事件で逮捕長野事件の捜査3月30日 長野南警察署 誘拐・殺人を自白 殺害・死体遺棄も含め北野との共謀を自白 3月31日 北野との共謀認める 3月31日 - 4月5日 長野中央警察署 両事件ともに否認し、積極的に弁解 4月1日 「自身の単独犯」と供述 4月2日 - 6日 「北野以外の男(富山の男、自身の実兄など)と共謀した」と供述 4月6日 「自身がBを殺害した」と自白(過剰自白) 4月7日 - 11日 「自身の単独犯」と供述 4月7日 - 10日 長野事件について「MからB殺害後に犯行を打ち明けられ、その後の身代金要求のみ共謀した」と自白したが、それ以外は否認。 4月12日 両事件とも北野との共謀を認める 4月12日 - 20日 両事件ともに事前共謀を自白。ただし、横畠裕介検察官の取り調べ(16日 - 19日)に対しては、「誘拐を事前に共謀したが、富山事件は事後にMから打ち明けられるまで知らなかった」と供述したほか、勾留質問(4月20日)の際には、長野事件の共謀について供述を拒否した。 4月13日 「北野と共謀したが、自身が単独で実行した」と供述 4月14日 「北野と共謀し、自身が単独実行」と供述(ただし、事前の計画では北野が殺害を実行することになっていた旨を示唆) 4月15日 - 17日 「北野と共謀し、自身が単独実行」(北野が殺害する計画だったが、現場に来なかったため、自身が殺害した)と供述 4月18日 - 20日 「北野と共謀し、殺害は北野が実行した」と供述 4月20日に長野事件で起訴、翌21日に富山事件で逮捕富山事件の捜査4月22日 - 24日 富山警察署 14日と同じ旨の供述 4月21日 - 26日 上市警察署 両事件とも否認し、富山事件については積極的に弁解。 4月25日 - 5月13日 「北野と共謀し、北野が殺害を実行した」と供述 4月27日 - 5月1日 富山事件について事前共謀を自白したが、弁護人の接見時には否認した。その後、2日 - 5日には否認したが、6日 - 7日に再び自白共謀を認め、8日 - 13日に再び否認に転じた。 5月13日に富山事件で起訴検察官は起訴状では、2被告人の共謀の具体的な日時・場所や、誰が殺害の実行行為を担ったかについては明らかにしていなかった。また、2人は保険金殺人未遂事件について、1980年5月23日付で富山事件の合同捜査本部により、殺人未遂容疑で富山地検へ追送検されたが、最終的に起訴猶予となった。
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