富山事件におけるMの主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 11:59 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「富山事件におけるMの主張」の解説
Mは富山事件について、長野事件で逮捕される直前から、Aを誘拐した事実を一貫して認めていたが、第一審の公判段階になって全面的に関与を否認し、「事件前に北野との間で身代金目的の誘拐殺人を計画したことはあったが、2月23日は北野から依頼を受け、被害者Aを迎えに駅に行っただけだ。以降、25日までAを預かる形にはなったが、その後もAを誘拐の対象として考えたことはない。同日夜になって北野にAを引き渡し、自分は帰宅したが、その後の殺害・死体遺棄については全く関知しておらず、一連の犯行は北野の単独犯だ」と主張した。その上で、「Aを迎えに行った経緯」については、「2月23日以前(2月12日ごろ)、『銀鱗』で北野から初めてAのことを紹介され、当日(23日)に『18時に富山駅へこの女の子 (A) を迎えに行ってくれ』と頼まれた。その頼み通り、Aを富山駅へ迎えに行き、事務所に連れて行った。その後、25日までにAと行動をともにしたことがあるのは、Aと北野との用事(北野が他の男性を紹介する売春アルバイトだと思っていた)が終わるまで相手をしていたに過ぎず、事務所に引き留めたことも、自宅に送ってやると言ったこともない」と主張した。 しかし、富山地裁 (1988) は「Mは事件当時、定職がなく、富山事件より前には実際に借金を重ね、保険金殺人や身代金目的の誘拐殺人を計画しており、事件直前時点でも誘拐殺人の計画を断念していなかった」と指摘した上で、AがMに誘われて以降、殺害されるまで「北陸企画」事務所にとどまったり、Mと行動を共にしていたりした理由について検討。AがMの不在時、「北陸企画」事務所から母親に電話をかけた際の会話内容などから、「Aは、母親と交わした帰宅あるいは待ち合わせの約束を履行する意思を有していたが、Mによって引き留められていたと認められる。Mが戻ってきた直後に電話が切られたことから、MはAによる電話を是認していたとは認められない」と指摘。また、Mの弁解内容の不合理な点(以下)や、実際にMが身代金を要求する目的でA宅に電話した事実などを挙げ、「Mは2月23日、それまで面識のなかったAを誘拐したと認められる」と認定した。 Aが当時、誰かと待ち合わせをしていたような状況が認められない点 Mが「待ち合わせ時間」(18時)の1時間半以上も前に富山駅に行き、その時間を過ぎても初対面のAを1時間以上も待っていたことになる点 富山駅へ向かった目的について、「Aを迎えに行くためだけでなく、誘拐の相手を探す目的を兼ねていた」と、不自然な供述をしている点 「銀鱗」でM、北野およびAが会ったとする主張とは矛盾する証拠が存在する点 Mの弁解内容(「2月23日以前にAと会った」とする日の証言や、富山駅でAと会った時の状況)が二転三転している(=Mの弁解の信用性に疑問がある)点 また、AがMとともに「エコー」を出た直後に殺害されたと推定される点や、Mが死体遺棄現場を正確に指示できた点、事件後に遺品を処分した事実などから、殺人・死体遺棄についてもMの関与を認定。その上で、Mの「バン(日産・サニーライトバン)に乗った北野が深夜に自宅を出て、数河高原で自分と合流し、Aを殺害した」という主張についても、バンに給油された時期(2月20日・27日)や、2月の降雪期におけるバンの燃費(約10リットル/km未満)および、事件当時(2月20日 - 27日)の走行状況(走行距離:合計約380 km)から、「ガソリンを満タン給油(21.5リットル)した状態で約380 kmを走行した場合、燃費は17.7 km/毎リットルとなるが、警察官による走行実験の結果、6月の晴天日(路面乾燥時)の燃費が17 km/毎リットルという結果が出ていることを考えると、降雪期の燃費としては非現実的な数字だ。380 kmのうち、富山 - 数河高原間の往復分を差し引いた距離(約220 km)を基礎に燃費を算出すれば、約10 km/毎リットルという合理的な数字が得られる」と判示。死体遺棄現場付近からフェアレディZ以外のタイヤ痕が検出されていない事実や、北野や彼の元妻による「Aが殺害・遺棄された時間帯は自宅でテレビを見ていた。長時間の外出もしていない」という証言と併せ、北野がバンでAの殺害・死体遺棄現場に赴いた可能性を否定し、誘拐・殺害・死体遺棄のいずれについてもMの単独犯と認定した。 また、Mは殺害現場について「死体遺棄現場から西方へ約3 km離れた古川町戸市555番地の民家前(国道41号から200 m離れた場所)の空き地」と自供したが、「山中で殺した」「殺してから車で20 - 30分ほど走って死体を捨てた」などと二転三転させた後、「数河高原スキー場の無料駐車場」と供述を変遷させた。富山地裁 (1988) は、殺害現場を「『エコー』および遺棄現場に近接した場所と言えるが、1地点として限定することは困難」とした上で、Mの供述の信用性の低さに加え、殺害当時の駐車場内の状況としてMが描いた図面と、駐車場を管理していた証人が描いた図面が矛盾していたことから、殺害現場をスキー場駐車場とは断定せず、「古川町大字数河付近」と認定するにとどめた。
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