殺害・遺棄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 03:56 UTC 版)
1919年(大正8年)5月31日の夜、Bは家族を外出させた上で自宅にAを招き、酒席でもてなした隙をついて共犯の後輩CとともにAをバットで殴打した上で絞殺、いったんAの遺体を物置に隠し、翌1日の夜に再び家族を外出させてからAの遺体を切断、2つのトランクに分けた。さらに従兄のDを呼び出して遺体の投棄を頼んだ。 6月2日にCとDは鉄道でBの故郷に近い長岡市に向かい、船を出させて信濃川に遺体の入ったトランクを石を結びつけた上で投棄した。また、Cはまず3日に長岡からBの異母兄宛に電信を打ち(この際異母兄は事情を知らされておらず、人違いだと思っていた)、さらに5日に青森からAを装って電信を横浜にあるAの自宅宛に打つ隠蔽工作を行った。
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