殺害後の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 07:19 UTC 版)
「司ちゃん誘拐殺人事件」の記事における「殺害後の動向」の解説
KはAを殺害後、身代金要求の電話を計15回にわたって掛けた。15回目の電話(8月5日8時56分)にBが応対した際、「お父さん、お父さん」というAの泣き声と思しき声が聞こえたが、これはKがAの生存を装うため、声真似をしたものだった。4日 - 5日夜、Kは知人V宅(敷島町)に宿泊し、翌5日6時40分ごろに死体遺棄に使ったスコップを中巨摩郡竜王町内の空き地に捨てている。 一方、Kは「山梨県内での取引は、自分の犯行と判明しているかもしれないし、人目につきやすいから逃走にも不利だ」と考え、人の多い東京都内で身代金取引を行うことを考えた。8月6日、Kは敷島町内の知人から工事代金10万円を受け取ると、正午ごろ、竜王町内の知人宅を訪れ、乗っていたライトエースを「しばらく預かってほしい」と置いていき、知人に甲府駅まで送ってもらった。当時、Kは7月30日に家を出た時の服装のままだったため、サンダルを甲府駅近くの店で買ったものに履き替え、続いて山交百貨店で、変装用のサングラスやズボン、シャツ、白のボストンバッグなどを購入し、店内の試着室で着替えた。その上で、甲府駅15時27分発の特急列車「あずさ」10号に乗車。同列車の終点である新宿駅で、山手線(上野駅方面)に乗り換え、以前働いたことのある上野に向かった一方、同日17時50分にはA宅に電話を掛け、応対したBに対し「心配か?」などと声を掛けていた。Kは同日以降、8月10日まで浅草のホテルや旅館に投宿し、8月11日 - 12日まで2日間は墨田区堤通二丁目の首都高速6号線高架下にあったバタ屋の小屋に泊まった。
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