殺害理由と背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/01 16:31 UTC 版)
「ウィリー・モレッティ」の記事における「殺害理由と背景」の解説
マフィアの沈黙の掟を破ったことによる粛清と一般に受け止められた。暗殺直後の新聞の「しゃべり過ぎた男」という見出しは、裏社会の口封じだったかのような印象を世間に与え、存在しない馬の賭けを開帳したり、ありもしない話をするなど、持病の梅毒が進んでいたとされる症例も報じられた。モレッティをこのまま放置すると組織を壊滅させる証言をしかねないとしてマフィアコミッションが暗殺指令を出した、アルバート・アナスタシア一味が殺害実行を請け負った、等のゴシップが出回った。しかし実際は、キーフォーヴァー委員会でもニュージャージー州の犯罪委員会でも、シンジケートの核心に触れるような証言は一切しておらず、マフィア粛清説を疑問視する見方もある。 近年、マフィア粛清説に代わりニュージャージー警官首謀説が提示された。1950年12月キーフォーヴァー委員会で証言した時、マフィアから賄賂を受け取っていた地元警官の存在をにおわす発言をしており、当局のマフィア弾圧をけん制するためだったとみられるが、これが地元の汚職警官グループを慌てさせた。従来、ニュージャージー州はニューヨーク州に比べて賭博規制が緩やかで、違法賭博が比較的おおっぴらに行われた。警官は賄賂をもらって見て見ぬ振りをした。モレッティは公安当局をシャットアウトするための賄賂のデリバリー役としてアクティブで、地元警察との交渉窓口だった。しかし1940年代の終わり頃、風紀粛正の気運が高まり、汚職警官が何人も捕まった。そのような状況下で、モレッティは警官の賭博汚職の件で証人として州の査問委員会に出頭することになっていたが、その前に殺された。汚職警官グループが口封じに動いたという説である。死の2日後その汚職警察幹部の1人が頭部に銃弾のある死体で発見された(ピストル自殺とされる)が、モレッティはその警察幹部について証言する予定だった。 1952年、モレッティのボディーガード、また兵隊の取りまとめ役としてシャドーのように暗躍した弟のサルヴァトーレ(ソリー・ムーア)が監獄で死亡し、公式には病死とされたが、殺害説が一部出ている。 モレッティの死後、ニュージャージーの賭博利権は、ジェノヴェーゼの部下ジェラルド・カテナが引き継ぎ、またジェノヴェーゼが1936年以来となる副ボスに復帰した。
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