殺尼魔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 15:48 UTC 版)
「大米龍雲連続殺人事件」の記事における「殺尼魔」の解説
出獄後の大米の犯行は凶悪なもので、主に尼寺に押し込んで尼僧を陵辱してから金品を奪い、場合によっては犯行を隠す為に殺害し、放火するという残虐なものであった。司法によって認定された一連の犯行は、強盗殺人3件、強盗強姦5件、強盗7件、窃盗9件であるが、実際の殺人や強姦の被害者は相当数だという。強姦被害者の多くは尼僧であったが、中には一般女性や巫女までいたほか、老若関係なくその被害にあった。犠牲者の中には襲われて驚きの声を上げたところ、舌を手で引き抜かれ殺害された者もいたという。 なお主な犯行として次のようなものがあるという。 1905年 兵庫県尼崎市で72歳の尼僧を殺害し24円を強奪。 1913年4月 神奈川県小田原で60歳の尼僧を騙し強姦のうえで、海に突き落とし殺害。200円の貯金通帳と現金を強奪。手に入れた現金はすべて神戸・福原遊郭で使い果たした。 1913年夏 兵庫県神戸市の波止場で25、26歳の男性を喧嘩の上、殺害。 1913年秋 福岡市の民家に押し入り、飲食店経営の女性を強姦。この女性を内縁の妻とした。 1914年夏 上京し、京橋で間借りしそこを拠点に各地で尼寺の強盗窃盗を繰り返すようになる。 1914年9月5日 京都市の58歳の尼寺庵主を舌を引き抜いて殺害。 1914年10月29日 東京府豊多摩郡戸塚町で72歳の尼僧を殺害。 1914年11月11日 鎌倉市の尼寺に忍び込み、庵主を殴りつけ、現金20円と衣類数点を奪って逃走。 1915年1月27日 鎌倉市で21歳の尼僧を殺害。 1915年7月18日 杉並村阿佐ヶ谷で69歳の尼僧を強姦、金品を強奪、尼僧の証言により年齢、身長、鼻筋が欠けている容疑者像が明らかとなる。 このように東京から京阪神まで各地で犯行を重ねたにもかかわらず逮捕されなかったのは変名を使い分けていたためだという。警察は「尼僧四十余名を辱めたる兇漢」として別人を誤認逮捕したこともあった。
※この「殺尼魔」の解説は、「大米龍雲連続殺人事件」の解説の一部です。
「殺尼魔」を含む「大米龍雲連続殺人事件」の記事については、「大米龍雲連続殺人事件」の概要を参照ください。
- 殺尼魔のページへのリンク