次男Cを殺害・遺棄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 09:57 UTC 版)
「大牟田4人殺害事件」の記事における「次男Cを殺害・遺棄」の解説
K4らは9月16日の大半を病院で過ごしていたが、同日夜になって兄K3が乗用車でK4を病院まで迎えに行った。 K3はAを殺害しようとしている父K1・母K2を出し抜き、K4とともにA宅で留守番をしていた次男C(事件当時15歳)を殺し、Aの現金を手に入れることを考えた。そのため実行力のあるK4に対し500万円の分け前を提示するなどして「Aの家に2,000万円ある。Aの次男Cが1人で家にいるからCを殺して奪おう」と持ち掛け、K4がその提案に賛同したため殺害の謀議が成立した。 その上でK3・K4兄弟はともに大牟田市小浜町のA宅へ向かい、家人殺害の実行を決意した。2004年9月16日22時40分ごろ、K4はA宅に入ると2階室内にいた被害者Cを見つけ、Cの首をタオルで絞めたが、この時点ではCは死亡せず失神しただけだった。 K3・K4兄弟はこの時点では殺害に失敗していたことに気づかぬまま、A宅の室内から指輪など約398万円相当が入った金庫1個を見つけて盗み出し、乗用車に積み込んだほか、K4が失神したCを「既に死んだ」と思い込んだまま乗用車のトランクに押し込んだ。その後、K3が乗用車を運転して大牟田市内を走行していたが、まだ生きていたCが途中で息を吹き返して車内で暴れ出した。K4は「通報しないよう脅して帰せばいい」と殺害を躊躇するような発言をしたが、K3が「Cは絶対に通報するから殺せ」と発言し、Cにとどめを刺すこととなった。 K3・K4兄弟は2004年9月16日23時45分ごろ、諏訪川に架かる「馬沖橋」で乗用車を停車すると、橋の上でトランクを開けてCの首にロープを掛け、2人がかりで再びCの首を絞め、Cの体にコンクリートブロック3個を結び付けた上でCを諏訪川に投げ込み殺害した(強盗殺人罪)。Cの死因は「窒息死もしくは溺死」と認定されている。
※この「次男Cを殺害・遺棄」の解説は、「大牟田4人殺害事件」の解説の一部です。
「次男Cを殺害・遺棄」を含む「大牟田4人殺害事件」の記事については、「大牟田4人殺害事件」の概要を参照ください。
- 次男Cを殺害・遺棄のページへのリンク