Aを誘拐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 11:59 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「Aを誘拐」の解説
[全画面表示] 誘拐現場と「エコー」、および死体遺棄現場の位置関係1 誘拐現場(富山駅北口)2 「エコー」(岐阜県吉城郡古川町大字数河8の20番地)3 死体遺棄現場(岐阜県吉城郡古川町大字戸市くずれ洞16番地の1付近) 2月23日19時15分過ぎごろ、Mは富山ステーションデパート(富山市明輪町1番227号)2階アクセサリー売り場で見かけたAに声を掛け、「暇そうですね。私も時間があるんだけれど、お茶でも飲もうか」「遅くなったら送ってあげる」「せっかく出たんだから食事に行こう」などと言葉巧みに誘い、19時30分ごろに富山駅北口駐車場でAをフェアレディZに乗車させた。Mはレストラン「銀鱗」(富山市豊田町1丁目271番地)で食事を摂りつつ、Aから氏名・住所・家族関係などを訊き出したり、アルバイト先を紹介する旨を偽ってAの気を引いたりした。その後、21時30分ごろにAを「北陸企画」事務所(富山市清水町二丁目1番1号)へ連れ込み、2人で事務所に泊まった。当時、「北陸企画」の共同経営者だった北野は帰宅不在中で、事務所には誰もいなかった。 事件当時、現役だった富山駅正面口駅舎。「富山ステーションデパート」は同駅舎にあった。 事件当時、現役だった富山駅北口駅舎(1987年4月撮影) 2月24日7時40分ごろ、Aは自宅の母親へ電話し、前夜帰宅しなかった理由を説明した上で、かねて同行を約束していた「母と子の集い」には架電先(北陸企画)から送ってもらって出席することを明言。8時40分に富山赤十字病院前で母と落ち合う旨を確約したが、待ち合わせ場所は現れず、MとともにフェアレディZで外出。Mはその後、富山市西公文名の喫茶店「ドング」で食事をしてから「北陸企画」に帰り、Aを事務所に置いたまま、授業参観のため、長男の通学する富山市立小学校へ赴いたが、既に授業参観は終了していたため、仕方なく長男や母親とともに買い物をし、16時ごろに1人で(Aのいる)事務所に戻った。そして19時ごろ、AとともにフェアレディZに乗車して事務所を出ると、20時ごろに2人で婦負郡細入村のドライブイン「キャニオン」を訪れて夕食を摂り、22時ごろに事務所へAを送り届けてから帰宅した。なお、「北陸企画」の近所の薬局(以前、Mがクロロホルム液を購入した店)の店主は法廷で、「2月24日、Mが来店して『すぐ眠れるクスリが欲しい』と言った。『医者の指示がなければ売れない』と断ろうとしたが、Mが『何日も眠れていないので、すぐ効くクスリでなければ困る、譲渡記録簿には医者から電話で指示があったことにしてほしい』と食い下がり、睡眠薬の『ネルボン』を2錠売った」と証言している。
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Aを誘拐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 06:36 UTC 版)
「司ちゃん誘拐殺人事件」の記事における「Aを誘拐」の解説
[全画面表示] 誘拐現場付近の略地図1 一宮町スポーツ広場(一宮町東原335番地の2)2 誘拐現場(一宮町東原467番地付近)3 竹原田交差点 8月2日12時ごろ、Kは車で一宮町スポーツ広場(一宮町東原335番地の2)付近を通り掛かったところ、広場で被害者の男児A(当時5歳)が、兄(当時7歳)や従兄(当時9歳)とともにソフトボールをして遊んでいるのを見つけた。Aたちはこの日、朝からそれぞれ自転車で自宅近くのスポーツ広場(兄が当時通学していた一宮町立一宮西小学校に隣接)へ遊びに来ていた。 Kは、その3人の中で一番幼いAを誘拐できるのではないかと考え、車から降りて3人に近づき、「ソフトを教えてやろうか」などと言い、キャッチボールなどをして遊んだり、コーラ類を買ってやったりして手なづけた。また、Aから両親の職業を聞き出し、「お父さんは国鉄で、お母さんはブックローン」などと聞き、「Aの両親は共働きのサラリーマンで、200 - 300万円の金は簡単に都合できるだろう」と考え、誘拐を思い立った。しかしその後、Aたちが帰り支度を始めたため、「昼食でも食べに行くのか」と推測し、「また来いよ」と声を掛けると、「また来る」などという返事が返ってきたため、「Aらは再び戻ってくる」と考えたKは、広場の南西にある神社境内でパンを食べてから、同日14時ごろに再び広場へ赴いた。するとAたちは既に広場に来ていたため、KはAたちにソフトボールを教えたりして遊んでやり、特にAに対しては努めて機嫌を取り、誘拐する機会を窺っていた。 しかし同日15時ごろ、「ソフトボールの対抗試合が催される」という旨の有線放送が流れ、スポーツ広場に小中学生たちが集まってきたため、Kは誘拐の実行を半ば諦めかけたが、その対抗試合が別の広場(チビッコ広場)で実施されるとの報がもたらされると、子供たちはスポーツ広場から出ていってしまった。この時、ソフトボールチームの主将(中学3年生)が、「メンバーが2人足りない」と言って、Aの兄と従兄をそれぞれ試合に参加するよう誘い、2人は15時30分ごろ、他の子供たちと一緒にチビッコ広場に向かった。Aはこの時、兄に対し「一緒に連れてってくれ」と言ったが、兄から「チビッコ広場はバイパスの向こうで自転車じゃ危ないからお前は帰れ」と拒否され、泣き出した。その様子を見ていたKは、Aが1人になったのを見て好機が到来したと思ったが、Aはまもなく自転車に乗り、広場を立ち去った。 同日15時30分ごろ、Kは自車を運転していたところ、一宮町東原467番地先の交差点付近路上(スポーツ広場から東方約250 m地点)で、たまたま1人で歩いてくるAを見つけ、「Aを誘拐して、彼の近親者から身代金を得よう」と決意。Kは車を停め、助手席のドアを開けると、Aに対し「お兄ちゃんのいるところに行くか」と声を掛け、Aを車に乗せて誘拐し、東八代郡中道町(現:甲府市)方面に向かった。その後、同日夜は甲府市平瀬町の空き地で、翌3日夜は敷島町の農園跡地でそれぞれ車中泊した。
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