着想と脚本
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「モンキー・アイランド」の記事における「着想と脚本」の解説
ロン・ギルバートは1988年に『Zak McKracken and the Alien Mindbenders』を完成させた後、海賊アドベンチャーゲームのアイデアを思いついた。 彼は友人の家で週末を過ごしているときに、海賊ものの物語を初めて書いた。ギルバートは、満足のいくアイデアを見つけるために、導入部の段落で実験を行った。最初のストーリーは、後にルチャックとエレインになる無名の悪役が登場するもので、この時点ではガイブラシは登場していない。 彼はこれを一連の短編ストーリーとしてルーカスフィルム・ゲームズのスタッフに売り込んだ。 ギルバートのアイデアは好意的に受け入れられたが、ルーカスフィルム・ゲームズがギルバートを含むデザイナーを『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦(英語版)』に割り当てたため、制作は延期された。『最後の聖戦』の開発は1989年に終了し、ギルバートは『モンキー・アイランド』の制作を開始することができた。 ギルバートは、一人でゲームデザインをするのは難しいと考え、ルーカスフィルムに在籍していたティム・シェーファー、デイブ・グロスマンと協力することにした。ゲーム内の剣戟は罵り合いで進行するが、これはギルバート、シェーファー、グロスマンがインスピレーションを得るためによく見ていた、エロール・フリン主演の剣戟映画に影響を受けたものである。また、作家のオーソン・スコット・カードが、ルーカスフィルムの本社であるスカイウォーカー・ランチを訪れた際に、剣戟で使われる侮辱表現の作成を手伝った。ギルバートの独創的なアイデアの多くは、制作過程でお蔵入りとなったが、彼は「ほとんどのものは理由があって省かれた」と述べている。 .mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 左:ティム・シェイファー (2011年撮影)、右:デイブ・グロスマン ( 2007年撮影)。この2人はギルバートと共同でプロットを制作した。また、プログラミングの手伝いもした。 デイブ・グロスマンが語る本作のストーリーは、「人生の夢を求めてある島にやってきた青年の物語だ。彼は出世を夢見ているが、その過程で愛を発見し、実はそれが最初にやっていたことよりも重要だったと思ってしまう。笑っているようでいて、実はもっと深いものがあるんだよ」 プロットの制作が始まると、ギルバートは「非常にドライで皮肉なユーモア」を有するグロスマンの文体と、「もう少し顔に出た感じ」のシェーファーの文体に大きな差があり、作品がまとまりを欠くことに気がついたという。ギルバートは必要とされる笑いのタイプに応じて2人を異なるキャラクターや物語の場面に割り当てた。 シェーファーとグロスマンはゲームのプログラミング中にほとんどの台詞を書いたが、結果的に多くの台詞は即興で作られた 。 台詞の中にはデザイナーの個人的な経験に基づくものもあり、たとえばガイブラシの「I had a feeling in hell there would be mushrooms」という台詞はシェーファーがきのこを嫌っていたことに由来する。 ゲームの世界観やキャラクターは、ギルバートが中心となってデザインを行った。ギルバートは、ティム・パワーズの歴史ファンタジー小説『幻影の航海』を読んで、ゲームのプロットに超常現象のテーマを加えることを決めた。ゲームの雰囲気は、ギルバートが子供の頃に大好きだった遊園地の乗り物「カリブの海賊」からインスピレーションを得ている。 グロスマンによると、ギルバートは常に「乗り物から降りて」「その世界の人たちと話したい」と思っていたそうだ。 デザイン作業の最終段階で、ギルバートはゲームのストーリーに直接関係のないキャラクターを何人か登場させた。彼はこれを重要な決断だと考えていた。というのも、一見マイナーに見えるこれらのキャラクターは、ゲームの後半でプレイヤーが必要とし、「彼らと本当に対話する」機会が訪れるからである。
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着想と脚本
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「イングロリアス・バスターズ」の記事における「着想と脚本」の解説
クエンティン・タランティーノは『イングロリアス・バスターズ』の脚本執筆に10年以上を費やした。主演したピットによると、タランティーノが脚本を書いていることは公開8年前からハリウッドでは神話になっていたという。タランティーノはインタビューで、「エピソードにちょっと凝りすぎた」と語り、ストーリーが広がり、長くなりすぎたせいだとその理由を説明した。タランティーノは脚本の執筆を通して映画が傑作になると感じており、今まで書いた中で最高のものになるだろうと考えていた。タランティーノによると、脚本を章立てしたおかげで、異なるタイプの映画のタッチを『イングロリアス・バスターズ』という1本の映画に詰め込むことが容易になったという。第1章と第2章は、マカロニ・ウエスタン、第3章ではフランス映画やエルンスト・ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』のようなタッチがあり、第4章と第5章は、『特攻大作戦』のような1960年代中盤の戦争アクションっぽくなっていると語った。映画公開を控えたインタビューでは、『イングロリアス・バスターズ』とは「俺がつくる『特攻大作戦』とか、『荒鷲の要塞』、『ナヴァロンの要塞』みたいな作品だ」とも答えている。また、彼の作品の特徴とは観客が思いもよらないところで笑うことであり、そのことを狙って映画作りをしていると語った。『イングロリアス・バスターズ』とは「名誉なき野郎ども」の意であり、その設定はタランティーノ独自のものである。タランティーノは、『地獄の黙示録』の脚本を手がけたジョン・ミリアスに尋ねるなどしたが、バスターズのような部隊が実在したかどうかは分からなかったという。映画では、ショシャナとランダが向き合って食事するシーンなど、緊迫するシーンが最後まで随所に見られるが、タランティーノは「こんなに緊張が続く作品は初めて。ヒッチコック的だと思う」とコメントした。 どうにかして、実際にそっくりな場所を見つけるつもりです。スペインを舞台にしたマカロニ・ウェスタンで使うような、誰もいない土地。アメリカ人の兵士とフランス人の農民とレジスタンス、それにドイツの占領軍を出して、誰もいない不毛の土地みたいなところで撮りたい。まさに自分にとってのマカロニ・ウェスタンになるだろうけど、第二次世界大戦ものに特徴的な要素だってちゃんとある。でも、細かいことにこだわって映画を型にはめるつもりはない。音楽にはエディット・ピアフやアンドリュー・シスターズみたいなのばかり使うつもりはない。ラップだって使うことはできるし、使いたかったらなんだって使っていいんだ。(七面鳥を調理する時のように)お腹に何を詰めるかってことさ。 クエンティン・タランティーノ 『イングロリアス・バスターズ』は何種類かの異なる形態での映像化が検討され、脚本は何度も書き直された。この間、タランティーノは映画化に何度も言及している。2002年には、『イングロリアス・バスターズ』が予定よりも長くなってしまうことや、何人もの監督たちが第二次世界大戦をテーマにした作品にすでに取り掛かっていることに悩まされていると答えた。2003年には、『イングロリアス・バスターズ』とは、処刑される直前に生き延びるチャンスを与えられた第二次世界大戦の軍人たちの物語であり、「第二次世界大戦という一大事に投げ込まれた、今までにあったような普通のヒーローものではない」とだけその構想を明らかにした。2003年の別のインタビューでは、ほぼ完成したといってよい脚本を三本も執筆し、しかもそれらは今まで書いた中で最高の出来のものであったにもかかわらず、「エンディングが一つも思い浮かばない」と答えている。結局、『イングロリアス・バスターズ』は諦め、2部作の『キル・ビル』の監督業に専念することになった。『キル・ビル』を撮り終えた2004年11月のインタビューでは、『イングロリアス・バスターズ』は脚本が長くなりすぎているために『キル・ビル』同様、2部作に仕立てることを検討しており、その前に北京語のみのカン・フー映画というもっと小さな作品をやりたいと答えている。この計画も頓挫した2005年のインタビューでは、その代わりに一部を監督することになった『グラインドハウス』を完成させた後に『イングロリアス・バスターズ』に取り掛かることになるだろうと答えている。2008年、『グラインドハウス』を完成させたタランティーノは下書き段階にあった最初の構想に戻り、それを全部で12時間程度のテレビ・シリーズに作りかえることを思いついた。この考えを改めさせたのは、リュック・ベッソンの「君は、私を映画館に向かわせる数少ない監督の一人なのに、次の映画まで5年はお預けだなんてがっかり」という一言であった。物語を練り直し、『パルプ・フィクション』の脚本を長さの目安にしながら、脚本を縮めていった。映画終盤のショシャナが発火しやすい可燃性のニトロセルロース製映画フィルムで劇場を炎上させるシーンを思いついたのもこの時期であり、比喩としてではなく文字通り映画が第三帝国を打倒する様を映像化できることに興奮したという。 結果的に最も大きな影響を受けたのは、ナチのせいで母国を離れざるを得なかった監督たちがハリウッドで撮った映画。彼らはナチの脅威を身をもって知りつつも、観客をわくわくさせる描写を忘れなかった。娯楽性に富んだ第2次世界大戦映画は80年代以降少なくなったけれど、かつての映画が僕をバックアップしてくれたんだ。 クエンティン・タランティーノ タイトルは1978年のエンツォ・G・カステラーリの監督作品である戦争映画『地獄のバスターズ』(英題: The Inglorious Bastards)にインスパイアされたものである。カンヌ映画祭の記者会見で映画のタイトルの綴り(原題はInglourious Basterdsだが、正しい綴りはInglorious Bastards)について聞かれたタランティーノは、「説明するつもりは全くない」と答えた。それでも追及されると、「イングロリアス」の最初の"u"については説明せずに、「バスターズ?発音するときは『バスターズ』って言うだろ(発音に基づけば"e"の方が正しいという意味)」とだけ答えた。タイトルの綴り間違いについては、「バスキア風タッチ (a Basquiat-esque touch)」、「クエンティン・タランティーノ風の綴り(Quentin Tarantino spelling)」 などとコメントしたこともある。
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