着想から作曲、完成まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 08:04 UTC 版)
「ゲノフェーファ」の記事における「着想から作曲、完成まで」の解説
シューマンは『ゲノフェーファ』を作曲する以前の1844年に『海賊』(Der Korsar)と題する最初のオペラを作曲したが、途中で満足できなかったのかそのまま放棄され、現在は断片のみが現存するだけである。『ゲノフェーファ』はシューマンが唯一完成したオペラということになる。 『海賊』の作曲を経て、一時期はオペラの作曲から離れるが、精神疾患に悩まされながらも、1847年の3月頃に再びオペラの創作を考え始める。同年の4月1日に、以前からすでに読み終えていたクリスティアン・フリードリヒ・ヘッベルの戯曲『ゲノフェーファ』の作曲を決意し、台本の作成を友人で詩人のロベルト・ライニック(Robert Reinick)に依頼する。しかしライニックのテキストに不満を示し、5月14日に原作者のヘッベル本人に助言を求めて直接訪問しているが、ヘッベルからは何も得ることは出来なかったようである。最終的にヘッベルの原作とルートヴィヒ・ティーク(Ludwig Tieck)の戯曲(または悲劇)『聖女ゲノフェーファの生と死』(1820年)を参考したうえ、ライニックの台本を基にシューマン自身が書き改めることになる。 作曲は4月5日に序曲の構想及びスケッチを大まかに書き上げており、5月頃には本格的に序曲のスケッチに着手する。同年の12月26日に序曲が完成し、完成後間もなく1848年1月3日に第1幕のスケッチに着手、2月4日に第2幕のスケッチがほぼ終え、3月30日に総譜を完成。第3幕は4月24日に着手したうち5月3日に終わらせ、第4幕を6月27日に終了している。全体の完成は同年の8月4日に完了したが、翌年の1849年まで細部の手直しを行う。
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