東芝での活動とは? わかりやすく解説

東芝での活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:37 UTC 版)

西室泰三」の記事における「東芝での活動」の解説

1961年東京芝浦電気入社入社3年目アメリカ駐在員として渡米東芝アメリカ現地法人である東芝アメリカ社の立ち上げ関わる日本アメリカで電子部品営業として実績を積む。 1990年代前半東芝アメリカ副会長時代には東芝タイム・ワーナー提携成功させる1995年から1996年にかけてのDVD規格の策定においては西室東芝専務としてソニー松下電器産業との難し交渉をまとめ上げ東芝DVD規格の策定において主導権を握ることに成功した当時ソニー・フィリップス連合主導するMMCD規格が「次世代ビデオ」の本命とも言われており、東芝主導するSD規格との間で規格戦争が起こる可能性もあったが、西室ワーナー筆頭とする米映画会社との交渉行いハリウッド東芝陣営付いたことが決め手となり、ソニー・フィリップス連合MMCD開発断念MMCD規格一部SD規格取り込まれDVD規格誕生し、「次世代ビデオ」はDVD規格一本化され、前世代行われたVHSベータビデオ戦争再来避けられた。その交渉力買われ社長に就任することになる。1996年策定されDVD規格は、その後映画会社などの要望を汲む形で多く派生規格生んだが、これも西室によって2001年には統一される1996年東芝社長就任東大卒重電部門出身トップ占めることが慣例だった東芝において、慶大卒・半導体部門出身社長となるのは異例であり、また8人抜き抜擢と言うのも異例だった西室14年間に及ぶ米国駐在から、経営者としてはアメリカ流の経営期待されたが、本人は「東芝独自のやり方」を貫き、それが評価されていた。 西室佐藤文夫社長路線踏襲する形で「選択と集中」を掲げ東芝得意な分野のみに資源投入する路線推し進める。この時期東芝中核としたのがパソコン半導体だが、ともに苦戦続いた半導体事業においてはソニーからPlayStation 2画像処理チップ製造請け負うという功績挙げたが、DRAM1999年莫大な赤字出したため、これまで東芝中核としていたDRAM事業縮小と言う決断迫られた。 1998年9月中間決算には戦後初の赤字となり、経営改革急務となった東芝を、西室ゼネラル・エレクトリック社(GE)にならった複合電機メーカーとして生まれわらせることを宣言し、またGE成果上げている統計的品質管理手法シックス・シグマ」を東芝導入するまた、小さな本社路線掲げ時代スピード対応して東芝本体意思決定早くするため、取締役の数を減らして意思決定権限持たない執行役員任命するなど東芝本体のスリムアップを進める。1998年には執行役員制導入1999年には社内カンパニー制を敷くなど、着実に社内改革努めたが、しかし総会屋への利益供与事件半導体事業不振米国におけるフロッピーディスク装置訴訟和解による1100億円の特別損失など不祥事損失が相次ぎ社長退任まで利益下降し続けた。なお、西室導入した執行役員制は、本来は東芝意思決定早くすると同時にコーポレート・ガバナンス強化する役割を果たすためであるが、現実西室社長退任後における院政元凶となり、逆に不正会計誘発する役目を後に果たした2000年会長就任西室路線踏襲した岡村正社長とともに東芝改革リストラ進めた西室社長時代行った改革はこの時期実を結び例え西室社長時代提携したサンディスク(後のウエスタンデジタル)との合弁工場四日市市作りDRAMから撤退してフラッシュメモリ資源集中することを決めたのが2001年で、これは2000年代後半には原発事業と並ぶ東芝中核事業となる。2001年には東芝主導する形でのDVD規格統一ノートパソコン市場世界トップなど、この時期西室路線による「選択と集中」は非常に成功した2003年には東芝指名委員会等設置会社における指名委員会委員長就任し東芝指名委員会等設置会社移行させる指名委員会委員長である西室東芝次期社長指名できる「院政」の仕組みこの年完成した東芝会長時代第3世代光ディスク当時の「次世代DVD」)であるHD DVD規格普及にも尽力する当時は「次世代DVD」の規格として、ソニー・フィリップス・パナソニック連合主導するBlu-ray規格と、東芝主導するHD DVD規格存在した業界ではほぼ東芝一社主導し記録容量でもBlu-ray劣ったHD DVDが、東芝以外のほとんどのメーカー支持するBlu-rayに対してまともに規格戦争が行えたのは、DVD規格生みの親としてHD DVD注力する西室交渉力によるところが大きい。2003年時点では、東芝一社のみが推進するHD DVD対しBlu-ray Disc Founders設立して家電メーカー各社による連合組まれBlu-rayの方が先行しており、ハリウッドでも2003年ソニーハワード・ストリンガーCEO自らが売り込み図ったBlu-ray優勢だったが、西室2004年東芝会長として渡米して映画会社交渉行いハリウッドにおけるHD DVD支持率を44.6%までに高めることに成功する2005年には規格戦争避けるため、ソニー主導規格統一動きまとまりかけたが、これを東芝蹴ったことで交渉決裂激し規格戦争となった西室PC部門の出身としてマイクロソフトとの交渉行い2005年にはマイクロソフトHD DVD支持表明Blu-ray標準対応したソニーPlayStation 3対抗してマイクロソフトXbox 360対応HD DVDプレイヤー発売こぎつけた東芝NECなどもHD DVD陣営に付けることに成功したが、最終的にこの規格争いは、2007年に米レンタルビデオ大手ブロックバスター大手小売店ウォルマートブルーレイ陣営付いたことで勝敗決し東芝2009年には敗北認めてBlu-ray Disc アソシエーション加盟、これによって「次世代DVD」の規格統一成し遂げられた。規格戦争結果業界各社Blu-rayHD DVDの間で様子見行ったことにより、元々ソニーDVDスキップするつもりで1999年生み出したBlu-ray規格普及は、かなり後ろずれ込むことになった2005年同社相談役就任後は、西田厚聰社長に就任させ、西田自身後継者として院政敷いた。この時期に「選択と集中が行われたのが原発半導体である。後に巨額損失を出す結果となる2006年米原大手ウエスチングハウス買収に関しては、西室が元駐日大使ハワード・ベーカー上院議員通じて米議会への働きかけロビイング)を行ったことで実現された。約6600億円と言う巨額金額批判もあった中で、「選択と集中と言う名目からこれ断行され、また2011年福島第一原子力発電所事故後に原発見直し動き世界で広がる中でも撤退ができなくなる状況となったことは、後に批判されたが、西室名目上当時すでに権限のない執行役員であるため、何ら社会的責任を負わなかった。なお、当時西室は、逆に東芝世界1位の原発メーカーにのし上げた立役者」として高く評価されていた。 2009年西田後任として佐々木則夫社長に就任西室佐々木社長体制東芝においても、西田社長バックアップし東芝社内影響力行使し続ける。2009年リーマンショックによる半導体部門巨額赤字や、2011年福島第一原子力発電所事故後原発部門処遇などを巡って2011年頃より表面化する東芝社内における佐々木社長派と西田社長派の対立最中東芝主導権握ろうとする佐々木社長強引に進めたプロジェクトが、テキサス州改良型沸騰水型軽水炉建設するという「サウス・テキサス・プロジェクト」(2016年稼働予定)である。既に福島原発事故と言うことで、共同参画していたGE日立手を引いて東芝単独での事業となったが、2016年時点で稼働時期未定・約720億円の損失生むなど、これは2010年代後半にはウエスチングハウスと並ぶ東芝不良債権となる。このように意思決定権限持たないはずの執行役員らによる不毛な派閥争い結果東芝時代スピードに対応できず、不良債権抱え込むことになった一方で現場には、これらの損失埋め合わせるため、4代前の社長である西室はじめとする歴代社長らが複雑な権力構造通じてチャレンジと言う名の無謀な業績改善現場要求したことが、東芝粉飾決算生む体質作ったとされる。「チャレンジ」の結果佐々木社長時代2012年9月には、624億円の売上に対して651億円の営業利益上げるなど、売上高よりも営業利益の方が多いという異常事態であったことが後に判明するが、東芝コーポレート・ガバナンスを担うべき存在だったはずの西室はこれに全く気付かず、後にすべて佐々木社長及び西田会長責任とされた。 佐々木社長原子力畑の出身であり、ウエスチングハウス買収の際も西田献身的にサポートしたことが評価され社長に据えられたが、わずか1年豹変して西田対立する至ったことへの西田西室失望大きく2013年佐々木失脚、「社長退職者会長として経営関与する」という東芝慣例に沿わず、佐々木経営から追放される東芝会長に留まった西田田中久雄東芝社長に据え自身院政を敷こうとした矢先2015年発覚した不正会計問題によって、西田会長田中社長は共に失脚する。元々、西室西田はともに経団連会長の座を欲していたため、西田2009年経団連副会長となった後、西室西田との関係は必ずしも良くなかった西室は、西田経団連会長となることを阻止するため、かつて自身東芝社長に据えた岡村が現在は日本商工会議所会頭であることと、同じ会社から経団連会長日本商工会議所会頭両者排出されないという慣例利用し西田経団連副会長である間、岡村日本商工会議所会頭辞めないようにという「裁定」を行った結局西田経団連副会長どまりのまま失脚し2016年には不正会計東芝損害与えたとして、西室相談役率い東芝から佐々木一緒に民事訴訟を受ける立場となる。このように西室は、リーマンショック後福島原発事故と言う難局において、東芝社内派閥抗争同時に財界活動熱心に行い自民党安倍晋三総裁とも親交深め2012年には首相に就任した安倍によって郵政民営化委員会委員長抜擢される。 2015年発覚した東芝長年にわたる粉飾決算などの(1度目の)不正会計問題指摘を受け、佐々木西田田中失脚した後は、東芝における西室影響力はかえって強まり同時期に日本郵政取締役兼任しながらも、その後志賀重範綱川智東芝社長に推薦して院政敷いた。しかし一連の会計不祥事関連して幹部OB顧問意思決定関与し続け経営体制に対して社会的な批判浴び相談役制度廃止する流れとなり2016年内に退任することとなった2016年東芝相談役制度の廃止同時に名誉顧問」のポスト新設され西室岡村とともに東芝名誉顧問就任。不正会計関与したとして全ての責任負った西田佐々木田中の3人の元社長に対しそれ以前社長務めた渡里・佐藤西室岡村の4人の元社長権限のない執行役員と言う名目で不正会計関与しなかったとされたため、いずれも70代-90代の高齢ながら、名誉顧問として引き続いて東芝に残ることとなった西室は、その後東芝本社38階の「西室ルーム」と呼ばれる執務室にて指揮を執っていたが、2016年夏頃に体調崩したため、本社には顔を見せなくなった2017年発覚する東芝2度目不正会計問題で、ウエスチングハウス7000億円の損失出したことが明らかとなった2017年にはウエスチングハウス倒産、その損失埋め合わせるために東芝半導体メモリ部門分社化の上売却その他の部門もほとんど分社化され、西室東芝社長に就任した1996年には約7万人いた東芝従業員単独)が約4千人にまでスリムアップされるなど、西室体制結果として東芝桁違いスリムな会社となるに至った2017年4月12日、この時点で4人いた東芝名誉顧問のうちで唯一の90であった渡里杉一郎死去したため、全員90未満となった2017年には綱川智社長の元、東芝経営再建のために大規模なリストラが行われたが、西室リストラされず、引き続き東芝名誉顧問に留まった。

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