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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 15:01 UTC 版)
1980年代には、少女漫画家による少年愛ものの連載はほとんどが終了した。24年組以降、続く少女漫画家たちはその成果を消化しきることができず、少女漫画では物語のダイナミズムが失われていた。また少女漫画の編集方針の多くは、「無自覚なラブコメ」のように、結果的に女性の性を固定化し、従属を強いるようなものであったため、描き手の少女たちに高まりつつあった「自己実現」の欲求と相いれなかった。描き手は少女漫画から離れていき、読者もまた少女漫画に不満を感じ離れていった。 1979年には、坂田靖子が主宰する漫画同人会ラヴリが機関誌『らっぽり』(波津彬子責任編集)の「やおい特集号」を発行(やおいという言葉の誕生)。その影響もあり、ストーリー性やメッセージ性のない、描きたいことだけを描いた同人誌も多く描かれるようになり、それは男同士の危ない関係を扱ったものが多かった。1980年代には、少年漫画・少年アニメを題材にしたパロディ同人誌が大量に作られるようになり、アニパロやおい、パロディやおいなどと呼ばれた。少女漫画から離れた少女の描き手は、魅力的な少年キャラクターがたくさん登場し、絵柄も少女たちに受け入れやすい少年漫画『キャプテン翼』(1982年に連載開始)に出会って熱狂し、それを題材に二次創作を作るようになる。(同人誌の世界では「少年ジャンプ」系のパロディが大きな人気を博したが、集英社側は基本的には放置という姿勢だった。例外的に、「週刊少年ジャンプ」の編集後記に『キャプテン翼』のやおい本に対して批判のメッセージが掲載されており、同作のアンソロジーを多数発行していた「ふゅーじょんぷろだくと」に対して警告が行われた)霜月りつ(荒木立子)は、80年〜85年頃に学漫(大学の漫画同好会)主流の同人誌即売会でアニパロが大流行し、女性の描き手、読み手が急激に増えたと述べている。(一方少女漫画は、人材不足からレベルダウンが加速し、さらに長期間にわたり落ち込むことになる。)86年ごろからキャプテン翼ブームが起こり、聖闘士星矢、天空戦記シュラト、サムライトルーパーと美少年キャラが多数登場するアニメが放送され、女子の同人熱が一気に高まった。パロディやおいの題材としては、「少年たちが共通の目的を持って戦う」パターンの作品が好まれ、パートナーが高じて恋人同士になる、「私生活でも仕事(目標)でもお前が必要なんだ!」(中島梓)といった展開が描かれた。少年漫画や男性同士の恋愛ものが好きだが「JUNE」のような作品を読みたいわけではなく、同人誌のやおいものを好んで読むような少女たちが増えていった。このあたりの同人誌からのちにプロになった作家はかなり多い。 料理研究家の福田里香・よしながふみは、同人誌で「JUNE」と異なる流れと作ったのは、それまでの耽美でシリアスな少年愛ものと異なる、軽くて明るく同性愛差別が全くない、ゲイばかり登場する学園物を描いたえみくり(漫画・イラスト担当のえみこ山と小説担当のくりこ姫の同人サークル)で、「同人誌で一番耽美が流行っている頃に、えみくりさんは同人誌で一億総ホモっていう世界を確立した」と述べている。(えみくりは80年代後半からキャプテン翼や三国志でなどで人気が出始め、聖闘士星矢あたりで大きな人気となり、その後元々書いていたオリジナルに移行した。CLAMPも同時期に同人活動で人気となる。)福田は、多田かおる、岡崎京子、西村しのぶ、えみくりら62年生まれを「24年組のマンガをリアルタイムで読んで育った世代」「そんなにマンガ雑誌がなかった時代」なので「読もうと思えばほぼ全部制覇できた」と言い、「女子で多様な出自の作家が出始めた世代」と指摘している。そして「(一般に評価の高い)岡崎京子さんが大島弓子さんとかを読んで男女の性を赤裸々に描くというのは、わかりやすいというか…想定の範囲内(笑)」だが、えみくりは「同じものを見てきたはずの人が、想定の範囲外のことを出してきた」と評価している。福田によると、えみくりは自分たちの同人誌を「男と男の『りぼん』」(陸奥A子や田渕由美子の活躍した「乙女ちっく」時代の『りぼん』)であるとしており、福田は、手をつないだだけでドキドキするような物語を男と男でやるというところに、えみくりの「突然変異的な発想の飛躍」があるとしている。また、「男と男の『りぼん』」&「ギムナジウム(寮)」&「関西弁」という独特のシャッフルのセンス、編集能力の高さ、サブカルチャーからの影響などにも触れている。えみくりに始まる新しい流れの影響が後に商業誌に及び、商業誌で確立したのがこだか和麻であるという。 1991年12月10日『イマージュ』(白夜書房)が創刊し、キャッチコピーに「BOY'S LOVE COMIC」と冠した(「ボーイズラブ」の確認される初出)。1992年に角川スニーカー文庫(当時の角川書店は少年向け、少女向けの区別をしておらず、当初ボーイズラブ作品も刊行していた)から独立する形で角川ルビー文庫が創刊。この時点でボーイズラブという言葉は知られておらず、「耽美」「JUNE」「やおい」などと呼ばれていた。アニパロのアンソロジーを盛んに出していた青磁ビブロスが、1992年にボーイズラブ漫画の専門レーベル第1号といわれる「BE×BOY コミックス」を創刊、1993年に「マガジンBE×BOY(略称・マガビー)」を創刊した。1990年代初頭には、アニメのパロディ同人誌はあるものの、オリジナルで男同士の恋愛を取り扱った女性向け商業漫画誌は「マガジンBE×BOY」しかなく、初期から版元が倒産するまでBL業界を牽引した。よしながふみは、同誌の創刊時、女の子のためのポルノ雑誌ができたと思ったと述べている。初期のボーイズラブは商業誌の描き手が少なく、同人作家、特にパロディやおいの作家を集めてスタートした。そのため、二次創作として書かれたものをオリジナルキャラでリライトして商業ベースで出版することもあった。現在でも商業BLで活躍すると同時に同人誌を出している作家は少なくない。霜月りつ(荒木立子)は、初期のボーイズラブはティーンズラブものに比べかなり自由で、ティーンズラブで禁じ手だった、ハッピーエンドではない、好きな人を他の人に奪われる、主人公がひどい目に合うといった展開も許されており、「せっくすシーンさえはいれば何を書いていいという自由さは女性の書き手にかなり広い門戸を開いたと思う。」と述べている。 1984年から95年には、一般向け小説と共に今でいうBL小説を書いてこのジャンルを切り開いた栗本薫(中島梓)が「JUNE」で、読者の投稿小説を批評する「中島梓の小説道場」を連載し、投降者たちの創作活動を支え、ここから江森備、石原侑子、鹿住槙、柏枝真郷、尾鮭あさみ、秋月こお、須和雪里、佐々木禎子、金丸マキといった多くの作家が育っていき、商業BL小説の発展に大きな役割を果たした。近年、栗本薫がBL執筆に向かったのは早大在学中に遭遇した川口大三郎事件で虐殺糾弾運動に参加できなかった屈折を執筆で解決しようとしたため、という説が照山もみじによって提起されているが、まだ定説にはなっていない。 1988年にカセットJUNEが創刊、第1弾は三田菱子原作「鼓ヶ淵」。やおい・BLジャンル初の音声メディアと言われる。 1990年代にはボーイズラブの小説レーベルが次々誕生した。雑誌も次々生まれては消えていき、半分は3号で終わるような状況だった。1990年代後半には出版不況が起こり、ライトノベルやボーイズラブが有力コンテンツとして注目されるようになった。この時代は、ボーイズラブにとって高度成長期のようなものだったという。1994年には、マンガ情報誌「ぱふ」8月号で、特集 「創刊ラッシュで戦国時代突入―『 BOYS LOVE MAGAZINE 』完全攻略マニュアル」が組まれ(なお、この特集で青磁ビブロスの牧歳子編集長は、回答に「ボーイズラブ」という言葉は使わず「やおい」を使っている)、分野を指す言葉として「ボーイズラブ」が共有されたのはこれ以降といわれる。その後も「ぱふ」はボーイズラブ特集を繰り返し行い、これがボーイズラブという言葉の普及に一役買ったといわれている。コバルト文庫やホワイトハートといった少女小説レーベルもBL要素のある小説を増やしたが、乱立したBLレーベルとの競争が激しかったためか、あまりうまくいかず撤退している。 よしながふみは、自分より下の世代のBLに大きな影響力を持つ作品として、少女漫画誌「マーガレット」に掲載された尾崎南の漫画『絶愛-1989-』(1990年に第1巻刊行。同作のやおいを下敷きにしているといわれる。作者は商業誌での活躍と同時に『キャプテン翼』のやおい同人作家であり続けた)、こだか和麻の漫画『KIZUNA-絆ー』(元々は作者の商業少年漫画から派生したオリジナル同人誌(1991年)。1992年商業で第1巻刊行)、少女小説レーベルのコバルト文庫から出た桑原水菜の小説『炎の蜃気楼』(1990年第1巻刊行。当初はコバルト文庫ではBLに分類されていなかったようである)をあげている。BL的なものを読むが量は多くないという人でも、この3作はほとんど皆読んでいたという。 1991年、『聖闘士星矢』のミュージカルが公演、今でいう「ボーイズ・ミュージカル」の嚆矢となる。当時駆け出しのSMAPが出演。 1992年に、吉原理恵子著・道原かつみイラストのBL小説が原作のOVA『間の楔』第1巻がマガジン・マガジンより発売される。やおい・BLジャンル初のアニメ化作品と言われる。同年、日本SF大会の自主企画として「やおいパネルディスカッション」が開かれる。 1996年からCLAMPが少女漫画雑誌「なかよし」で『カードキャプターさくら』の連載を開始。作中で主人公さくらの兄と友人(さくらの好きな人)の同性愛を匂わせる関係性が描写される(恋か友情か明言されないが、互いが一番大事でずっと側にいてほしい相手として描かれている)。またヒーロー役の少年は、最初さくらと同じ人を好きなライバルである。ちぷたそは、本作にはBL・百合(女性同性愛もの)・ロリコン・男の娘という要素があり、幼少期にこの作品に触れた人でオタクになった人は多いのではないかと指摘している。 1997年、児童文学作家として著名な荻原規子が、中央公論社C★NOVELSファンタジアより少女向け異世界ファンタジー『西の善き魔女』を刊行。2巻「秘密の花園」で、女王候補・側近候補の子女たちが通う閉ざされた女学校での、女生徒たちによるやおい・BL同人誌文化とその活用の様子を描く。 1998年、NHK衛星第2テレビ(BS2)で『カードキャプターさくら』がアニメ化される。翌年地上波放送のNHK教育テレビでも放送された。 1999年ごろからネット上で「腐女子」という言葉が見られるようになった。
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