坂東家とは? わかりやすく解説

坂東家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:43 UTC 版)

澪つくし」の記事における「坂東家」の解説

坂東律子小浜律子 演 - 桜田淳子 かをるの異母姉(坂東家の長女)。先進的な女性自負している。ピアノ弾け文学に詳しい。たとえ気性の荒い漁師相手でも強気に接する。教養がある一方、皮肉や気まぐれ発言することも多く男たちあしらうつもりなのか、結局は振り回してしまう。頑固な面は久兵衛似ている素直になれずに反発し合っていて、千代控えめさにも内心では反対している。銚子愛着はない。かをるには「新しい女」になるようにと言った。 かをるら母子初対面時には挨拶無視していたのだが、なんの気まぐれか、急に古川家訪ねて来て、かをるを連れ出す。 かをるが坂東家に引き取られ世話役任されたときに顔を合わせたときには、また無視をしたり、振り回したりし、「お嬢様ではなく律子さん」と呼ぶように言いつける大学時代から水橋信吾隠れて付き合っており、昼間に弾くピアノ夜中逢うための合図であった。ぎんらから勧められ見合いもわざと破談させたほか、水橋との交際バレると、久兵衛らを怒らせてしまい、寝ずの番がつく軟禁態となる。なお、水橋との交際本気だったようで、しばらくは気の抜けた生活をしていた。 水橋交際中に小浜から惚れられていたが、さらに河原畑からも惚れられ善吉にも意味深な言葉をかける見合いをするかをるには「移り気と言い、かをるの煮え切らない態度対し小浜利用して見合い破談にしてしまう。 水橋のことを新聞で知ると、また心を乱してしまっていた。 千代亡くなると久兵衛には東京へ行きたい旨を申し出る昭和5年1月、かをるを訪ね、るいを後妻に押すように伝えたのち、東京へ旅立っていった。 河原畑との交際噂され始め昭和6年東京から戻って来ると久兵衛河原畑と結婚するつもりであることを告げる。しかし銚子に再び水橋現れたことをかをるから知らされ、彼と逢瀬を重ねる河原畑に別れ告げて水橋逃避行計画するが、水橋屏風ヶ浦から突き落とした河原とともに崖から転落一人生き残る96-97回)。 程なくして軍人となって銚子現れ小浜無下にあしらうが、のちに東京再会すると、彼に水橋似た気性感じて結婚し、坂東家を出て行く小浜満州へ飛ばされると後を追って自身旅立つ。なお、これが久兵衛顔を合わせた最後となった戦時中現地では音楽教師として働く。 終戦後満州から引き上げて来るも末期肺結核かかっており、久兵衛亡くなった事実聞くショック隠しきれずにいた。半年後、病状悪化して亡くなる。 坂東英一郎 演 - 鷲生功 かをるの異母弟(坂東家の長男)。母親似鷹揚性格。かをるの良き理解者。かをると顔を合わせると、すぐに「姉さん」と呼んだ。 惣吉の弟・善吉とは友人関係になる。かをる想いには気が付いており、たびたび、かをるに惣吉からの様子などを伝える。 久兵衛からは勉学に励むように言われているが、本人乗り気ではない。大学受験をするも不合格続き久兵衛から何度も叱られており、久兵衛やり方には疑問感じている。 結局は大学へは行けずに店に立つようになるも、才覚イマイチであり、行動裏目にばかり出てしまって久兵衛イラつかせる昭和8年、かをると梅木との再婚巡って久兵衛大喧嘩する。この際久兵衛から「出来損ないと言われ父子溝が深まる。 翌9年、かをるが双子出産した頃に見合い相手から断られ自身結婚まとまらず落胆する太平洋戦争兵隊として招集される大阪負傷回復する現場復帰する終戦後赤川一緒に帰還する片足付随の状態であったまた、律子帰還重なったこともあり、姉弟久々再会となった久兵衛の死を受け入れ律子の死を見届けると、「入兆」を受け継ぐ決意をして12代目当主となる。 坂東千代 演 - 岩本多代 久兵衛本妻律子英一郎の母)。おっとりした人柄。妾である、るいを気遣う器量大きさ持っている長年和歌山住んでいたが、久兵衛提案銚子移り住むことになる。かをるに対して優しく接するが、母親としてしっかりしており、理想新しさを追う律子たしなめる。 肺を病んでおり、るいには自身長くない旨を語り律子らのことも託す律子水橋交際には大変ショック受けたらしく、律子がこっそり水橋追いかけようとするのを見て普段穏やかさからは変わって厳しく叱りつけた。 昭和2年病状悪化して喀血翌日町営病院入院する後日、実は自分亡き後久兵衛再婚するのではと不安を口にし、あえて、るいに夫婦仲見せつけていることを明かす手術成功してからは比較容態安定し正月には自宅過ごせるまでに回復する。 かをるの見合い流れたことを聞くと残念がっていたが、かをるが惣吉と夫婦になったことには納得した様子であった。 ときどき「自分亡くなった後はるいと夫婦になるように」などと久兵衛遺言していたが、昭和4年10月31日容態悪化して再び喀血親族二言言交わしそのまま亡くなる。 終戦間際にかをるが見た夢に梅木・るい・律子久兵衛一緒に現れる坂東久兵衛 演 - 津川雅彦 「入兆」の11代目当主。かをる・律子英一郎の父。「醤油屋は醤油屋と一緒になるのが1番」と、子どもらは自身敷いたレール乗っていれば幸せ過ごせると考えている。縁談ぶち壊し自由な振る舞いをする律子大学行けず社員となってからも独断株取引乗り出して大損害を出す英一郎、恋愛結婚がしたいかをると、それぞれ自ら考え行動し自分思い通りにならない子どもらが悩みタネである。大の地震嫌い。また、物語終盤では、心労重なって心臓患っているような描写増えていった。 律子世話役をかをるがすることには大反対し、ハマ呼びつけ怒鳴った律子もかをるも同等に扱いたいため)。 短気なところがあり頑固ですぐ怒鳴る(律子から嫌がられている点であるが、元々は似た気性である)。労働組合結成には反対の立場だが、職人らの面倒見良い現場意見聞き入れて軍人になりたい小浜夜間学校通わせたり、母親会いたさに単身銚子来てしまったハマ息子そのまま入兆に居て良い許可を出すどころか小学校への学費出したりと教育にも非常に熱心である)。食事には差をつけずに職人と同じものを食べたりと、実は愛情深い好人物である。 律子水橋交際を知ると手切れ金渡して水橋追い出してしまい、律子にかをるとハマを番に付ける。以降律子水橋騒動は「前科」と呼び、どこへ行くにも付き人付けるようになる。 ようやくまとまりかけたかをるの縁談律子壊され一時寝込んでしまうほど落胆する重ねてかをるの口から惣吉の名を聞いてしまったことで大激怒する。が、かをるの惣吉を想う気持ちには勝てず、坂東家から追い出す形で婚礼認めた千代からは自身亡くなったのちはるいと再婚するよう遺言されていたことに加え初七日済んでいないうちに律子東京行き願い出たことに頭を痛める昭和5年1月律子東京行きを許すも気落ちしていたところにハマから暇を貰いたいと言われ拒否する。 惣吉らが村長宅襲撃し逮捕されるとかをるを心配して会いやって来る律子河原畑と交際している話を聞く機嫌損ね昭和6年東京から戻って来た際には結婚反対である旨を言う。 かをるが流産した件では吉武家酷い目遭ってきたと勘ぐって相当立腹し、「吉武人間には会わせない」といった調子であった律子小浜との結婚言い出すと「節操がなさすぎる」として猛反対するが、本心では律子のことを案じており、小浜追って満州へ旅立つことを知ると涙を流して別れ惜しんでいた。 かをるが梅木再婚果たし無事に双子出産する梅木社長代理推しそのまま隠居宣言する英一郎が召集されることが決まると、珍しく気弱に「戦わなくていい」と言って送り出すまた、るいには「(英一郎に)厳しく過ぎた」と子どもとの向き合い方を後悔するのような内容述べていた。英一郎が負傷した聞く真っ先大阪へ向かう。 いよいよ戦争突入する召集されたはずの英一郎を家中探し回るなどの認知証の症状出始め、かつての勢いなくなっていた。 昭和20年銚子空襲で「入兆」が空襲遭うと、仕込み空襲されることに耐えられず、思わず防空壕から出てしまい、止めようとしたるいと爆撃遭って亡くなった

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坂東家

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旧坂東家住宅見沼くらしっく館」の記事における「坂東家」の解説

坂東家初代助右衛門尚重は紀伊国現在の和歌山県加田出身で、1675年延宝3年)に江戸で暮らす傍ら見沼一角入江新田開発したが、下流反対にあい1718年享保3年)、2代目四郎左衛門尚政の時に元の溜池戻した徳川吉宗新田開発推奨し3代目助右衛門尚常は入江新田再開発幕府願い出て65町2反あまりを新田として開発屋号取り加田屋新田」と命名した。坂東家住宅建てられたのは10代目助次郎の時で、13代目新助14代目貞市は大正から昭和にかけて北足立郡片柳村村長務めた

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