史上最高の繁栄と崩壊とは? わかりやすく解説

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史上最高の繁栄と崩壊 (1918年〜1939年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 14:52 UTC 版)

アメリカ合衆国の歴史」の記事における「史上最高の繁栄と崩壊 (1918年1939年)」の解説

詳細は「アメリカ合衆国の歴史 (1918-1945)」、「狂騒の20年代」、「世界恐慌」、および「ニューディール政策」を参照 大戦後ウッドロウ・ウィルソン大統領主導によって国際連盟設立国家間紛争防止しよう積極的に整備進めたが、孤立主義守ろうとする保守的な議会決議によってアメリカ自身不参加という結果となってしまった。ウィルソンによって掲げられた高い理想達成失敗すると、アメリカは再び孤立主義選択することとなる。また、1919年のパリ講和会議での人種差別撤廃案廃案追いやった。国内ではレッドサマーシカゴ人種暴動オマハ人種暴動エレイン人種暴動などの人種暴動勃発した経済は、消耗したヨーロッパ変わって世界の工場として輸出拡大国際的に大戦消極参加だったアメリカ日本大国として存在感増し両国史上初めての繁栄謳歌した米国内では、戦争から帰還した若者中心に刹那的な文化台頭し急速に消費社会移行した大都市では高層ビル建設されニューヨークなどは摩天楼呼ばれる高層都市となったトーマス・エジソンによって早期電気普及したことから、夜間でも明るい街は人間活動時間飛躍的に拡大したグラハム・ベルによって普及した電話遠く離れた人と直接交流できる手段となり、ビジネスをより効率的に効果的に発展させることに寄与した。さらに、ラジオ新聞の発達によるマスメディア成長によって、市民リアルタイム新し情報仕入れることが可能となり、成長を常に新し情報に頼る社会情報化社会)のさきがけとなった1920年代前半大規模なストライキなどが頻発しアメリカで最も労働運動盛んに行われた時代でもある。しかし、賃上げなどを要求することよりも、企業国有化求めるものが大半であった。これは共産主義革命成功したソビエト連邦影響を受けたものとも取られて、企業活動影響与え労働運動弾圧する動き司法庁を中心に盛んに行われマルキスト共産主義者とされた人々ソ連への追放が行われた。この活動には捜査BOI(現FBI長官フーヴァーによる司法支配背景にある。彼は1924年就任以降、死までの約50年にわたり長官の座に就きFBI権限・能力強化尽力した反面、自らは冷戦前半にかけて「影の大統領」と呼ばれるほどの強大な権限を手にして、アメリカ数々内外政策関与した。 またこのころリンドバーグ大西洋無着陸横断飛行成功したり、ベーブ・ルースルー・ゲーリッグなどの野球スター登場市民熱狂させ、大資本によるハリウッド映画製作された。また大衆市民手軽に土地売買し情報網発達伴って大都市中心に流行したが、これは株価地価異常に高騰させる理由となったバブル景気)。しかし、アメリカ人類史上最高の「富」を手にしていることは、世界誰が見て真実のようであった一方農村部では大戦中の食料増産によって土地疲弊しその後農業政策失敗したことから、南部小農家がさらに没落し離農して西部目指すもの多く現れた。大都市繁栄謳歌する傍らで、農家貧しさを味わうと言う、非常に偏った「富」であったことも事実である。 豊かになった大都市では、富を目当てに群がるユダヤ人カトリックなどの新移民に対して差別感情蔓延したアルコール依存症患者増加したためとの名目禁酒法制定されたが、実際新移民酒造業を営むものが多かったことへの排斥感情基づいているとも言える。他にも黒人反乱地方都市頻発したこともあり、クー・クラックス・クランKKK)などの人種差別団体公然と組織され黒人新移民弾圧した。また1920年代には日本人による移民急増したが、これら日系アメリカ人社会的に成功する様に危機感抱いた勢力によって、日本人脅威煽る積極的な排日キャンペーン繰り広げられ日本製品ボイコットなどが行われた。日系移民の多いカリフォルニア州中心に排斥運動高まり排日移民法制定されるなど、人種差別公然と行われる時代であった日系人排斥運動隣国カナダへ飛び火したアジアでは中国軍民による居留民襲撃対しイギリス軍共同して南京市街への砲撃を行うなど断固とした姿勢をとった(南京事件)。 やがてヨーロッパ自力復興によって、アメリカ輸出経済陰り生じ1929年9月最高値を境に、株価じわじわと値を下げ始めていた。しかし熱狂した市民はそれに注意することも無く土地売買続けた1929年10月24日いわゆる暗黒の木曜日」を境に、遂に株価一斉に大暴落し、史上最高の繁栄誇ったアメリカはここに破綻したアメリカ破綻は「世界の工場アメリカ」に経済依存していたヨーロッパ諸国日本波及し1930年代取り巻世界恐慌となった資本家一斉に労働者リストラをはじめ、大都市失業者溢れた食糧配給には長蛇の列ができ、浮浪者犯罪者増加して社会不安蔓延した農家没落はもはやとどまるところを知らず、彼らが逃れた西部にも、彼らを受け入れ余地はどこにも無かった。そこにかつての繁栄誇ったアメリカはどこにも存在しなかった。 この社会不安の中、大戦恩給前払い求めて退役軍人首都ワシントン大規模なデモ起こした陸軍士官ダグラス・マッカーサーはこれを共産主義者煽動され暴挙とし、彼らを戦車主体とする軍事力弾圧流血事態となったこのころ失業者デモ闘争相次いでおり、革命公然と叫ばれるようになっていたが、これらを共産主義者煽動していることは十分に考えられることであった。どちらにしろ、この後共産主義者大量に検挙することに成功しアメリカで共産主義運動沈静化した。 未曾有の恐慌資本主義先進国例外なくダメージを受けることになったが、その混乱状況回復過程速度については各国なりの事情影響した広大な植民地領有する国々イギリス・フランス)やアメリカ金本位制からの離脱や高関税による経済ブロックによる自国通貨産業保護努めたが、必ずしも成功しなかった。ソビエト連邦ドイツといった全体主義国家および日本など権威主義国家場合産業統制により資源配分国家管理することで恐慌から脱したが、全体主義政党軍部台頭が他の列強諸国との軋轢生んだ恐慌発生以降各国での通貨問題解決するための多く試みなされた恒常的な協調体制構築されたわけではなく結局のところ外国為替相場国際的調整第二次世界大戦後国際通貨基金設立を巡る議論中に送り込まれることとなったフランクリン・ルーズベルト大統領は、国が率先して主導する大規模公共事業中心としたニューディール政策によってこの難局乗り切ろうとするが、経済一時的に回復したのみで、1930年代後半には再び危機的状況陥った

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