通貨問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)
対馬藩は幕府から朝鮮との貿易を許され、日朝貿易の窓口になった。また、薩摩藩によって武力で幕藩体制に組み込まれた琉球王国とも通交があったようである。朝鮮は中国産の生糸や、薬用として重宝された高麗人参を輸出して、日本は慶長丁銀で購入した。幕府では貿易による貴金属の流出が問題とされ、銀の含有率を低くした銀貨に切り替える。李朝では含有率が低い銀貨の受け取りを拒否したため、幕府は高麗人参専用の銀貨として人参代往古銀を発行した。日本は外交使節の朝鮮通信使にも銀を贈ったが、朝鮮側は銀を自国内には持ち込まず、朝鮮人被虜の送還費用や外交窓口である東萊府の資金とした。 日本は輸入品によって貴金属の流出が続いたために、輸入額が大きい品物を国内生産するという、現在の輸入代替にあたる政策も行われた。第8代将軍徳川吉宗の時代には、中国からの砂糖と朝鮮からの高麗人参が国産化された。吉宗の命令で草梁倭館は調査をすすめて、やがて日本では、お種人参という名で国産が実用化された。高麗人参の貿易で多大な利益を得ていた対馬藩にとっては、経済面で衰退する一因となった。
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