金の流出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/10 14:45 UTC 版)
もっとも、日米修好通商条約の原案では、日本通貨の輸出は禁じられており、従って原案通りであれば金の流出は起こり得なかった。しかし、外貨と邦貨の交換を嫌った幕府は、国内における外貨の通用を許し、その代わり貨幣交換条件を削除することを申し出た。これに対してハリスは、いきなり外貨を通用させることは難しいと回答したが、幕府は通貨交換を1年間に限り、代わりに邦貨の輸出を認める再提案を行い、結局これが最終合意となった。 このため、外国人商人が1ドル銀貨をまず一分銀3枚に交換し、両替商に持ち込んで4枚を小判に両替して、国外に持ち出し地金として売却すれば莫大な利益が得られることとなった。地金としての1両は4ドルに相当する。従って、1ドル(メキシコドル)→3分(一分銀)→0.75両(天保小判)→3ドル(20ドル金貨)と、両替を行うだけで利益を上げることができた。実際には、開港直前の1859年6月25日(安政6年5月25日)の触書の中で、その当時小判として最も多く流通していた天保小判は一分銀5枚の増歩通用とされ、さらに市場においては小判1枚との交換に対し一分銀6枚と増歩を要求される状況で、さらに9月ごろには8枚から9枚と跳ね上がった。それでも一年間にこのような両替を5~6サイクル程繰り返し、利益を上げることが可能であったという。結果、大量の金(小判)が海外に流出することになる。ハリス自身もこの両替によって私財を増やしたことを、日記に記している。 両替による利益獲得メキシコドル4枚 一分銀12枚 小判3枚 メキシコドル12枚 ⟶ {\displaystyle \longrightarrow } ⟶ {\displaystyle \longrightarrow } ⟶ {\displaystyle \longrightarrow } 売却
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