当時のポルトガルの経済と通貨政策
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「アルヴェス・レイス」の記事における「当時のポルトガルの経済と通貨政策」の解説
ポルトガル経済は1892年と1902年の二度に渡って経済破綻を迎えていた。経済的困窮の原因は産業革命の失敗による友好国イギリスへの工業製品依存と自国産業の後進性であり、ナポレオン戦争による1807年のフランス軍の侵入と金の流出、それに介入してきたイギリス軍による1820年までのポルトガル占領、そして1822年のブラジルの独立による喪失がそれに拍車をかけていた。イギリスとの貿易均衡はポートワインの大流行によって保たれた時期があったものの需要が収まると均衡は崩れた。競争力の劣るポルトガルの製品はイギリスの需要に応えられず、自国で生産した商品を自らの植民地民に購入させることで資金を集めた。だがそのために強い反発を招き、植民地維持のための軍事費は1974年のカーネーション革命までに国家予算のほぼ半分を費やすほどに増大した。これらの状況でポルトガル政府は国債の発行や通貨の切り下げに対して極度に保守的な財務政策をとり、また国内情勢も不安定であったことから自国の紙幣発行をイギリスやオランダに委託していた。 ポルトガルは1910年にポルトガル王国から第一共和政へと移ったが、第一次世界大戦後も経済は悪化した。1919年から1920年の財政赤字は王政末期の平均の約12倍、物価は1914年から20年の間に452%上昇した。通貨エスクードの対ポンド価値は1918年の7.9から1923年の109.4へと急落し、国外への資本流出が続き、1922年には14の銀行が閉鎖された。経済の悪化によって都市労働者・中産階級・農民らの階層間の対立が激化し、共和政への不満が高まった。
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