安政二朱銀の発行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/10 14:45 UTC 版)
幕府は上記のような金の流出を予想していた。本来ならば、銀の量を増やした新しい一分銀を発行し、1ドル=一分となるようにすれば問題は解決する。しかしながら、そのような量の銀は国内には無かった。このため、外国奉行・水野忠徳の策により貿易取引に限定して、1ドル=一分となる新通貨を発行することとした。実際には、1859年6月30日(安政6年6月1日)より、量目がほぼ1ドル銀貨の半分の貿易専用の通貨である安政二朱銀(一分=四朱)と、天保小判の量目の4/5倍に低下させた安政小判を発行し、これにより1ドル=一分に誘導し、かつ金銀比価を国際水準に対しやや金高に設定された17.2:1に是正しようと試みた。 幕府の構想メキシコドル4枚 二朱銀8枚 一分銀4枚 ⟶ {\displaystyle \longrightarrow } ⟶ {\displaystyle \longrightarrow } 開港場では翌7月1日(6月2日)より1ドル銀貨との引き換えが始まったが、この二朱銀は開港場のみでしか通用せず、交換された貨幣が日本国内において一般に流通するものではなく、かつ1ドル銀貨の日本国内での購買力を1/3に低下させるというこの政策にハリスおよびオールコックら外国人領事は条約違反であると強く抗議し、7月21日(6月22日)、結局幕府は1ドル銀貨を一分銀3枚で引き換えるよう開港場奉行に申し渡し翌日に通用が停止された。したがって安政二朱銀の通用は僅か22日間で終わり、安政小判についても4ヶ月足らずで鋳造停止となるに至った。 一方、小判入手を目的とする洋銀の一分銀への両替要求は一日16000枚にも上り、たちまち一分銀は払底した。ハリスは、洋銀の吹替による一分銀の鋳造、洋銀に改三分の極印を打って三分として通用させることなどを提案し幕府に対応を迫った。
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