金の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 18:48 UTC 版)
「朝鮮民主主義人民共和国の鉱業」の記事における「金の歴史」の解説
朝鮮半島北部には、先カンブリア時代の変成岩類や中生代の花崗岩類などの深成岩類が広く分布するため、砂金は各地に産出する。このため古代から採取が行われ、産金の歴史は144年までさかのぼる。しかし、世宗は金銀鉱の開発を禁じたと言われるなど、朝鮮の王朝は鉱業開発に消極的だった。 この状況が変化したのは西欧の列強が東アジアに進出した19世紀後半以降で、その外圧によって1890年代から朝鮮北部の金鉱床の開発が外国資本に許可された。特に、マザーロードと同じ深成鉱脈型の雲山鉱山は、カリフォルニア・ゴールドラッシュの次の採掘地として魅力を有していた。1891年に外国人として初めて馬木健三が慶尚南道昌原郡で金鉱および銅鉱の開発許可を得ると、1896年のロシア人およびアメリカ人のグループを皮切りに、ドイツ人、イギリス人、フランス人などが1901年までに各地の鉱山開発権を獲得している。 雲山鉱山はアメリカ資本により開発が進められ、1915年の段階で8つの坑口と3つの製錬所が設けられ、約2,000名の鉱夫が働き年間300万円以上にあたる金を生産していた。黄海南道の遂安鉱山はイギリス資本によって経営され、1915年の時点で鉱夫は約1,000名、年産は約130万円に達した。北朝鮮で最初に金鉱開発を行った小規模な日本資本による経営は不振だったが、1912年には古河合名会社が平安南道亀城郡、後に安川敬一郎は平安北道昌城郡、朝鮮総督府は平安北道の尚州市および義州郡、咸鏡南道新興郡で、それぞれ金の採掘を行っている。また、採掘用具への投資が軽くて済む砂金は、鉱業権許可の手数料が鉱山より安いこともあり、活発に採取が行われていた。 1916年の時点で民族別の金の産出額は、優良な鉱山を有する欧米人が80%以上を占めていた。しかし1924年に朝鮮人のグループが平安北道の三成鉱山で富鉱部を掘り当て、1926年の時点で金の産出額の比率は欧米人が52%、朝鮮人が42%、日本人が6%となっている。朝鮮半島の砂金を含む産金量は1910年の3,746kgから1926年には7,159kg、1935年には16,710kgにまで増加し、その大部分を北部が占めている。 第二次世界大戦中の統計は途絶しているが、1947年には北朝鮮の産金量が10,014kgとなっている。
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