通貨危機と国際機関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:42 UTC 版)
「中国の貨幣制度史」の記事における「通貨危機と国際機関」の解説
アジア通貨危機の際は、東アジア各国の通貨が切り下げを行う中で、中国は人民元を切り下げない方針を示して安定化に貢献した。通貨危機後には、アジアの金融セーフティネットとしてチェンマイ・イニシアティブが合意された。世界銀行と中国は対アフリカ融資を中心として協調が進み、北京大学教授の林毅夫(中国語版)(ジャスティン・リン)はアジア初の世界銀行チーフエコノミストとなった。経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)では、中国スタディグループ(The China-DAC Study Group)も設置された。 世界金融危機が起きると、中国は対策として法定金利を引き下げ、4兆元・10項目の財政出動による景気刺激策(内需拡大十項措置(英語版))を発表した。中国人民銀行は公開市場操作や流動性供給を行い、マネーサプライは1999年以降の最大伸び率となり、2011年には世界のマネーサプライの半分を占める総資産が世界最大の中央銀行となった。財政政策と金融緩和のポリシーミックスが行われ、世界最速のV字回復で金融危機を脱出した。中国は人民元の国際化をさらに進め、人民元はIMFの特別引出権(SDR)の構成通貨に加わり、中国外貨取引センター(CFETS)は通貨バスケットを24ヶ国に拡大した。そして中国はドルを基軸としているIMFの改革を提案し、新興国への拠出金の増額や新興国の外貨準備をSDR建てにすることを提案した。しかしIMFの改革は進まず、中国は国際機関として新開発銀行やアジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立した。経済圏構想である一帯一路のルートに必要な建設費は8兆ドルともいわれており、AIIBやシルクロード基金が資金の供給源とみられている。
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