史上最高のフロントライン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 00:44 UTC 版)
「1985-1986シーズンのNBA」の記事における「史上最高のフロントライン」の解説
前季リーグトップの勝率を収めながらも、ファイナルで宿敵ロサンゼルス・レイカーズの前に敗れたボストン・セルティックスは、新シーズンを控えて思い切ったトレードを行った。元ファイナルMVPのセドリック・マックスウェルをロサンゼルス・クリッパーズに送り、ビル・ウォルトンを獲得したのである。 70年代後半のポートランド・トレイルブレイザーズで絶大な支持を受けチームを優勝に導いたウォルトンも、1978年に負った足の骨折を機に満足に試合に出ることすら叶わず、クリッパーズ時代の4年間では全試合の半分近くを欠場していた。マックスウェルも故障持ちだったが、ウォルトンはそれに輪を掛けた怪我の見本市であり、戦力として計算しづらい彼の獲得は、セルティックスにとって一種の賭けだった。 そしてセルティックスはこの賭けに勝った。ウォルトンはこのシーズンキャリア初となる80試合に出場し、シーズンを戦い抜いたのである。マックスウェルが移籍したことでマクヘイルが先発パワーフォワードに昇格し、センターのパリッシュ、パワーフォワードのマクヘイル、スモールフォワードのラリー・バード、控えのウォルトンという強力なフロントラインが完成した。この陣容はしばしば"史上最高のフロントライン"に挙げられており、彼らに優秀なディフェンダーで勝負強さも兼ね備えたデニス・ジョンソン、シューターで攻撃的な性格で知られるダニー・エインジらを加えたこのシーズンのセルティックスは、無類の強さでリーグを席巻した。 このシーズン67勝を記録したセルティックスだが特にホームでは異常なまでに強く、ボストン・ガーデンでの試合は40勝1敗、勝率.976という高勝率を誇った。ホームで1度しか負けるところを見なかった地元ファンは、彼らを"史上最強のチーム"と呼んだ。ちなみにガーデンで唯一セルティックスを破ったのは、ウォルトンの古巣であるトレイルブレイザーズだった。3年連続リーグトップの勝率を収めたセルティックスは、バードが5部門でリーグトップ10に入る25.8得点9.8得点2.02スティール、フリースロー成功率89.6%、スリーポイントシュート成功率42.3%を記録し、史上3人目となる3年連続MVPを獲得した。このシーズンはバードの絶頂期と言われている。またウォルトンはシックスマン賞を受賞し、MVPとシックスマン賞を獲得した史上初の選手となった。
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