ムーミン
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ムーミン(スウェーデン語: Mumin、フィンランド語: Muumi、英語: Moomin)は、スウェーデン系フィンランド人の女性作家トーベ・ヤンソンの「ムーミン・シリーズ」と呼ばれる一連の小説と絵本、および末弟ラルス・ヤンソンと共に描いた[注 1]「ムーミン漫画」作品の総称、あるいはそれらとそれらを原作とする二次著作作品の総称。または、同作品に登場する架空の生物の種族名であり、同時に主人公(主要な登場生物)の名前でもある「ムーミントロール」の略称あるいは愛称。
注釈
- ^ 次弟のペル・ウーロフ・ヤンソンもトーベと写真絵本を製作している。
- ^ ヒューマノイド[要説明]のキャラクターもよく見ると尻尾が生えていたり(『ムーミンパパの思い出』のミムラ一族など)、髪が発光したり(『小さなトロールと大きな洪水』のチューリッパ)、足の指が長い(おしゃまさん〈トゥーティッキ〉)など人間離れした部位がある。
- ^ 『ムーミン谷の彗星』は何度か改訂され、この生物は初版の『彗星追跡』(KOMETJAKTEN)ではキヌザル(マーモセット)であった[2]。ただしキヌザルもいちばん小さいピグミーマーモセットでさえ体長11–15cm[3]で、子猫と比べて極端に小さいわけではない。
- ^ 講談社版全集の訳者あとがき(『小さなトロールと大きな洪水』や『ムーミンパパ海に行く』など)ではこれのことを指しているらしい『ムーミントロールと世界のおわり』について「1940年代初めに書かれたムーミンシリーズの原型」といったような説明があるが誤り。
- ^ この時配信を請け負ったのがスウェーデンのブルス・プレス(Bulls Press)で、同社は今日もムーミンの全ての権利の総代理店である。
- ^ この時期の商品には著作権表示が©瑞鷹または©ZUIYOとなっているものがある。
- ^ ジャンルはアシッド・ハウス。“Vem Ska Trosta Knyttet” (Swedish) (2010年2月16日). 2015年10月30日閲覧。
- ^ スウェーデン語とノルウェー語は同じインド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派北ゲルマン語群に属する非常に近しい言語であり、問題に記載された例文に共通性が見られるのに対し、フィンランド語はウラル語族に属するため、他言語とは綴りが大きく異なっている。
- ^ なお、アニメ版「小さなバイキングビッケ」はスウェーデンの作家がスウェーデン語で書いた作品が原作となってドイツと日本の企業が共同制作したものであり、舞台も「北欧」となっている[45]。
出典
- ^ 鈴木, p. [要ページ番号].
- ^ 萩原 2017, p. 5, 『週刊ムーミンハウスをつくる』.
- ^ “ピグミーマーモセット”. どうぶつ図鑑. 東京動物園協会. 2024年7月16日閲覧。 “体の大きさ:頭胴長17.5〜19cm、尾長19cm、体重120〜190g”
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- ^ We Love MOOMIN
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- ^ 2017年11月からノルウエーサーモンPRビッケ新デザイン登場!! - 「小さなバイキングビッケ」公式ホームページ
- ^ “センター試験地理「ムーミン」出題が話題 不正解受験生嘆き 公式ツイッター「反省」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2018年1月13日) 2018年1月13日閲覧。
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- ^ a b c d “「ムーミン」出題、入試センター「設問として支障ない」と見解”. 産経WEST. (2018年1月17日). オリジナルの2018年1月18日時点におけるアーカイブ。 2023年11月26日閲覧。
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- ^ 「ムーミン谷の国名、菅義偉官房長官コメント避ける「大学入試の個々の問題」」『産経ニュース』2018年1月15日。2018年1月16日閲覧。
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- ^ “ムーミン谷はどこにある? ~センター試験地理Bの出題に寄せて~”. ムーミン公式サイト (2018年1月16日). 2022年6月17日閲覧。
- ^ 「ムーミンの舞台、入試センター「設問に支障なし」」『朝日新聞』2018年1月16日。2023年11月26日閲覧。オリジナルの2018年1月16日時点におけるアーカイブ。
ムーミン・シリーズ
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「トーベ・ヤンソン」の記事における「ムーミン・シリーズ」の解説
詳細は「ムーミン」を参照 ムーミンの原型となるキャラクターは『ガルム』で1943年に初登場しており、当初の名前はスノークだった。スノークは夢や幻覚などファンタジーに関する文章とともに登場し、風刺画向けの怒った顔をしていた。1944年には『ガルム』以外の絵にもスノークが登場して、作家のサインとしての役割も果たした。1945年8月にトーベは「私の新しい肩書きはスノーク夫人」と書き、『ガルム』のクリスマス号でスノーク姿の自分を描いた。ムーミントロールという名前は、ストックホルム工芸専門学校時代の叔父のエイナルの話がもとになった。 ムーミンの物語は文章と挿絵をともにトーベが手がけ、著者、挿絵画家、デザイナーの全てを自分の役割とした。切り貼りでサンプル本を作り、バランスを見ながら指定を書き込み、絵に番号をつけて配置を指定した。レイアウトではページ構成と絵の配置、文章と余白部分を検討した。ムーミン絵本の『それからどうなるの?』では幼少期の体験をもとに仕掛け絵本を作り、これもレイアウトと製本作業の指示を全て行った。 ムーミンの舞台化やテレビ化にも関わった。初の戯曲は、1949年にヴィヴィカのすすめで執筆した『ムーミントロールと彗星』の舞台版だった。フィンランドではイルッカ・クーシスト作曲のムーミン・オペラが1974年に国立オペラ劇場で上演され、スウェーデンでは1982年にストックホルム王立ドラマ劇場で冒険劇が上演された。舞台監督はヴィヴィカが務めた。1965年にはトーベ作詞、エルナ・タウロ(英語版)作曲の "Höstvisa" (フィンランド語 "Syyslaulu" 、日本語で『秋の歌』) がフィンランド国営放送音楽賞で3位を受賞した。スウェーデンのテレビ番組では脚本を書いた。 トーベにとってムーミンの物語は、戦争中に自分の楽しみとして始めた趣味だった。しかし、ムーミン・シリーズのヒットによって絵画に使える時間が減ると、人々の期待とのバランスを取ることが苦痛になり、生涯の悩みとなった。コミック連載中の苦労については、のちに短編小説『連載漫画家』(『人形の家』収録)で題材にした。 後述するように、トーベは子供向けとされた作品にも不安や脅威を描いた。このためムーミンは子供も大人も楽しめる作品として人気を得たが、他方で児童書は子供向けにのみ書くべきだという批判が起き、ムーミンに対する反対運動も起きた。舞台版ムーミンの表現をめぐっては子供の親から苦情が寄せられた。トーベは解釈は観客のものという持論だったが、子供向けとして適切な表現かどうかという批判には「そうなると「ひどい」という言葉自体を禁じなければならない」というコメントを掲載した時もあった。
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ムーミン・シリーズ
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「トーベ・ヤンソン」の記事における「ムーミン・シリーズ」の解説
詳細は「ムーミン」を参照 『小さなトロールと大きな洪水(英語版)』 (1945年, Småtrollen och den stora översvämningen) 『ムーミン谷の彗星』 (1946年, Kometjakten) 『たのしいムーミン一家』 (1948年, Trollkarlens hatt) 『ムーミンパパの思い出(英語版)』 (1950年, Muminpappas bravader) 『ムーミン谷の夏まつり(英語版)』 (1954年, Farlig midsommar) 『ムーミン谷の冬』 (1957年, Trollvinter) 『ムーミン谷の仲間たち(英語版)』 (1962年, Det osynliga barnet och andra berättelser) 『ムーミンパパ海へいく(英語版)』 (1965年, Pappan och havet) 『ムーミン谷の十一月(英語版)』 (1970年, Sent i November) ムーミン関連絵本 『それからどうなるの?(英語版)』 (1952年, Hur Gick Det Sen?) 『さびしがりやのクニット(英語版)』 (1960年, Vem ska trösta Knyttet?) 『ムーミン谷へのふしぎな旅(英語版)』 (1977年, Den farliga resan) 『ムーミンやしきはひみつのにおい(英語版)』(1980年, Skurken i Muminhuset)(ペル・ウーロフ・ヤンソンの写真にトーベが文を書いた、写真絵本。) ムーミン・コミックス ムーミン・コミックス(筑摩書房)2001年。トーベ・ヤンソン、ラルス・ヤンソン。冨原眞弓訳。
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ムーミン・シリーズ (原作)
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「ムーミン」の記事における「ムーミン・シリーズ (原作)」の解説
作者のトーベ・ヤンソンは画家でもあり、ムーミンの原型となるキャラクターは小説執筆以前にも風刺雑誌『ガルム』などでたびたび描かれていた。小説として初めて登場するのは1945年にスウェーデン語で著された『小さなトロールと大きな洪水』で、その後ムーミン・シリーズとして知られる計9作品に登場するようになる。 造形的には、トーベが10代の頃、次弟ペル・ウーロフ・ヤンソンとの口ゲンカに負けたときに、トイレの壁に悔し紛れに描いた『SNORK(スノーク、とても醜い生き物)』として描いたものが、ムーミントロールのルーツであるとされる。ネーミングは叔父の家へ下宿をし学校へ通っている時代、勉強の合間に冷蔵庫から食べ物を失敬しては夜食にしていたのだが、あるときに叔父から注意され「この裏にはムゥーミントロールというお化けがいるからつまみ食いはやめなさい。首筋に冷たい息を吹きかけてくるぞ。」と言われたことがきっかけである。 小説は子供向けの作品の体裁をとっているが、その内容は必ずしも子供向けではない。第二次大戦の戦中・戦後に執筆された初期の作品には、洪水や彗星の襲来など自然災害が繰り返し描かれる。新聞連載漫画の大成功によってもたらされた「ムーミンブーム」にほとほと疲れ果てた頃に書かれた第6作『ムーミン谷の冬』を契機として、後期の作品はよりはっきりと内観的であり、おとぎ話の体裁をとった純文学といってよい内容を備えている。また、小説の挿絵もトーベが行っており、初期はインクの濃淡で描かれていたが、次第に細かな線のみで表現されるようになった。朝日新聞の千葉恵理子によると、トーベはこの作風の変化を画家としての進歩だと受け取り、改訂する際に初期作品の挿絵を線による挿絵に差し替えたとされている。 1954年からイギリスの大衆紙「イブニング・ニュース(英語版)」 にムーミントロールの漫画が週に6日掲載された。トーベ・ヤンソンが漫画を描きスウェーデン語のセリフをコマに書くと、語学が堪能な末弟のラルス・ヤンソンがセリフを英語に翻訳した原稿が印刷に回る。途中ラルスが作品のアイディア自体を提供する時期を経て、1960年以降はラルスが引き継ぎ、1975年まで合計73作品が連載された。うち21作はトーベの絵である。
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