ガルム_(雑誌)とは? わかりやすく解説

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ガルム (雑誌)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/01 04:26 UTC 版)

ガルム』(: Garm)は、フィンランドヘルシンキで1923年から1953年まで発行されたスウェーデン語の雑誌[1]。スウェーデン語のカリカチュア雑誌としては最も長命で、編集人の急死で終刊となるまで好評を保ち続けた[2]。誌名は北欧神話の番犬ガルムを由来にしており、黒い犬のシンボルキャラクターは表紙に登場して人気を呼んだ[3]


注釈

  1. ^ 白衛隊は地主、役人、資産家が中心で、赤衛隊は都市労働者と貧農が中心だった。組織力でまさる白衛隊の勝利に終わるが、国内のデリケートな問題として長く残り続けた[5]
  2. ^ 1884年に禁酒運動の団体「禁酒の友」が設立され、南フィンランドを中心に禁酒協会が設立された。19世紀末の禁酒運動デモは労働者を中心として14万人が参加した。アルコールの害を啓蒙するための絵本『トゥルミオラのトンミ』も出版された[10]
  3. ^ 2001年では総人口の5.7%にあたる約29万人となっている[12]
  4. ^ その他にスウェーデン語系の間では、ドイツのミュンヘンで発行されたカリカチュア雑誌『ジンプリチシムス』が人気だった[15]
  5. ^ フィンランド南西部にあたるボスニア湾の東岸には伝統的にスウェーデン語系の人々が多く、地方の潜在的購読者だった[17]
  6. ^ ヤンソンはフィンランド社会民主党を支持したのち、暴力革命に反対して晩年は右傾化していった[16]
  7. ^ 創刊前年の1922年にはジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』やヴァージニア・ウルフの『ジェイコブの部屋英語版』が出版されている[22]
  8. ^ ハーガル・オルソンフィンランド語版エルメル・ディクトニウスエーディット・セーデルグランなどのモダニズム作家がいた[22]
  9. ^ ガルムは死の女神ヘルに飼われており、グニパヘリルという洞窟に鎖でつながれている。ガルムは死者がヘルヘイムから逃げ出さないように見張っている。終末の日ラグナロクにおいてガルムは鎖から解き放たれ、軍神チュールと相討ちになる[30]
  10. ^ ドイツのカリカチュア雑誌『ジンプリチシムス』では、トーマス・ハイネの描くブルドッグがシンボルだった[32]
  11. ^ 1946年の夏至号ではガルムとムーミン・トロールが夏至のかがり火を炊き、背景に寄り添う恋人たちがいる。夏至の前夜は恋の成就を願う時でもある[36]
  12. ^ トーベから見たレインは、「いつも静かに憤っている人で、どんなことにも真っ当で正直な人」だった[37]
  13. ^ トーベは『ガルム』の仕事を好んだ点として、ヒトラーやスターリンに悪態をつけたことを挙げている[41]
  14. ^ 1931年に禁酒法廃止の是非を問う国民投票があり、1932年に廃止されて酒の専売制英語版に変わった[44]
  15. ^ スオミはフィンランドの意味。
  16. ^ 独立以前の知識人はスウェーデン語系が中心で、大学に通うエリート層もスウェーデン語系が大多数だった。独立後にはフィンランド語系の農民や牧師も大学進学者が増え、新しいエリート層がカレリア学徒会の主な会員となった[51]
  17. ^ シッランパーのノーベル賞候補入りは1933年頃から話題になりはじめ、実際の受賞は1939年までかかった[62]
  18. ^ 『アヤン・スウンタ』はIKL青年部の機関紙にあたる[65]
  19. ^ 「嵐の予兆に満ちた1938年の秋、つまりミュンヘン会談の時期、『ガルム』の表紙絵はこうだった。わが国のファシスト連中のあいだに、この絵がどれほど激しい憤怒をひきおこしたか、あえて述べる必要があるだろうか」とレインはコメントした[68]
  20. ^ 相互援助条約には、ソ連軍の主要港使用と進駐が含まれていた。ソ連にはレニングラードをドイツから防衛する意図があった。ソ連は同様の相互援助条約を締結したバルト3国を1940年に併合した[70]
  21. ^ 理由として、ソ連軍が予測を誤った点、フィンランド軍の準備が整っていた点、地形と天候がフィンランド側に有利に働いた点がある[71]
  22. ^ フィンランドの善戦とソ連の苦戦は、『デイリー・エクスプレス』、『メルボルン・アルゴス』、『パンチ』など他国のメディアでも題材になった[73]
  23. ^ 検閲前の絵は、のちの1988年にスウェーデンの新聞『ダーゲンス・ニーヘーテル』に掲載された[74]
  24. ^ レインの息子は徴兵によって1942年に戦死した[85]
  25. ^ 大戦後の北欧諸国は、指導者を国家反逆罪に問う裁判を自らおこなった。大戦時にドイツに占領されていたノルウェーでは25名、デンマークでは46名が死刑宣告を受けた。フィンランドの戦争責任裁判では死刑宣告はなかった[89]
  26. ^ ウラン135という表記が、ウラン235の誤記なのか、意図的なものなのかは明らかではない[91]
  27. ^ たとえばAKSは、1944年の休戦後に連合国からファシズム団体と見なされて解散した[51]
  28. ^ 1951年12月には、ムーミンがファッツェルフィンランド語版のクリスマス広告でチョコレートをすすめている。ファッツェルのチョコレートは、『小さなトロールと大きな洪水』でムーミンが食べる場面がある[97]

出典

  1. ^ a b c d 冨原 2009, p. 13.
  2. ^ a b c 冨原 2009, pp. 2, 19.
  3. ^ a b c d e f 冨原 2009, pp. 23–24.
  4. ^ a b 冨原 2009, p. 19.
  5. ^ 石野 2015, p. 108-113.
  6. ^ 石野 2015, p. 105.
  7. ^ 石野 2015, pp. 133–134.
  8. ^ 石野 2015, p. 133, 135.
  9. ^ 石野 2015, pp. 145, 178.
  10. ^ a b 石野 2017, pp. 141–143.
  11. ^ 石野 2017, p. 141-143.
  12. ^ a b 吉田 2001, p. 81.
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  15. ^ a b 冨原 2009, p. 26.
  16. ^ a b 冨原 2009, p. 22.
  17. ^ a b 冨原 2009, p. 21.
  18. ^ 冨原 2009, pp. 21–22.
  19. ^ 冨原 2009, pp. 220–221.
  20. ^ ヴェスティン 2021.
  21. ^ 冨原 2009, pp. 17–18.
  22. ^ a b c 冨原 2009, p. 18.
  23. ^ a b 冨原 2009, p. 16.
  24. ^ 冨原 2009, p. 293.
  25. ^ 冨原 2009, pp. 16, 106, 124, 130, 147, 159, 229, 230.
  26. ^ 冨原 2009, p. 213.
  27. ^ ヴェスティン 2021, p. 122, 190.
  28. ^ 冨原 2009, p. 221.
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  30. ^ a b バーケット 2019, pp. 99, 170.
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  40. ^ 冨原 2009, pp. 28–29.
  41. ^ ヴェスティン 2021, pp. 121–125.
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  49. ^ 冨原 2009, p. 30.
  50. ^ 冨原 2009, pp. 118–119.
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  101. ^ 冨原 2014, pp. 73–74, 174.
  102. ^ “Garm magazine covers”. tovejansson.com. https://tovejansson.com/gallery/tove-jansson-garm-caricature/ 2022年7月10日閲覧。 
  103. ^ 冨原 2014, pp. 14–15.
  104. ^ カルヤライネン 2014, pp. 67–70.
  105. ^ ヴェスティン 2021, pp. 122–123.





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