ヤンソン【Tove Marika Jansson】
トーベ・ヤンソン
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トーベ・マリカ・ヤンソン(Tove Marika Jansson [tuːve mariːka jɑːnsɔn] ( 音声ファイル)1914年8月9日 - 2001年6月27日)は、フィンランドのヘルシンキ生まれのスウェーデン系フィンランド人の画家、小説家、ファンタジー作家、児童文学作家。日本語表記にはトーヴェ・ヤンソンもある[1]。
注釈
- ^ フィンランドはスウェーデン王国による統治から1809年にロシア帝国による統治に移り、大公国として一定の自治を行なったが、外交と軍事の決定権はなかった[8]。
- ^ 命名の際、ヴィクトルは第一次世界大戦でのドイツの勝利を願ってヴィクトリアと名づけようとし、シグネの反対でトーベに決まった[11]。
- ^ 独立前の19世紀末から資本家を中心とする集団と、労働者を中心とする集団が対立していた。前者が白衛隊、後者が赤衛隊だった[13]。
- ^ ラッルッカは寄付によって建てられた住宅で、芸術家が創作に集中できるように安い賃料で入居できた。エテライオン・ヘスペリア通りとアポロ通りに面しており、ヤンソン家の他にはマルクス・コリンとエヴァ・トルンヴァル・コリン夫妻、エッレン・シェレフ、エステル・ヘレニウスらが入居した[17]。
- ^ トーベはボートで2日間かけて島を1周する一人旅を計画し、ヴィクトルは反対したがシグネは賛成して娘を送り出した[23]。
- ^ トーベは「島」(1961年)というエッセイで島の魅力について書いており、D・H・ロレンスの小説『島を愛した男』も読んでいた[25]。
- ^ 取材記事には、ヤンソン家について「世界で最も楽しいアトリエハウス」という見出しが付けられた[27]。
- ^ 雑誌名のガルムとは、北欧神話に登場する冥界の番犬ガルムに由来する。シグネによってキャラクター化されて表紙に描かれた[30]。
- ^ 祖母エリン・ハンマルステンが危篤となってシグネがストックホルムに帰った際には、トーベがシグネの代役として『ルンケントゥス』誌の表紙と裏表紙を描いた[32]。
- ^ その頃にはトーベはヘルシンキのアテネウムで画家として勉強しており、過去の冒険譚を自分の名で発表したくなかったとされる[34]。
- ^ フリーハンドのドローイング、人形のドローイング、絵画、レタリング、遠近法、立体物の構造、工芸としての絵画について学んだ[35]。
- ^ 入学翌年の日記では、「たしかに16歳にして早くも自分の天職(ふう!)が決まっているというのはありがたい。それ以外にどんな道があるというのか」と書いている[36]。
- ^ 内戦後のフィンランドでは、国内統一のためにフィンランド語を第1言語にすることを目標とした純正フィンランド運動が起きた。それまでラテン語とスウェーデン語だった大学の教育言語をフィンランド語とすることを求める運動も起き、事態は1937年の大学の言語法で収拾された[44]。
- ^ トーベと共にアトリエを借りたのは、ルナル・エングブロム、クリスティアン・シベリウス、ウント・ヴィルタネンの3人だった[45]。
- ^ 自由芸術学校の設立や、フィンランド芸術界における女性の地位向上には、現代美術を支援した実業家マイレ・グリッセンの貢献があった。マイレはアルヴァル・アールト、アイノ・アールト夫妻らとアルテックを共同設立し、国外の作家も紹介する展覧会を開催した[47]。
- ^ この時期のトーベは、マティスの他にシュザンヌ・ヴァラドンの色使いや構図にも影響を受けた[53]。
- ^ ヴェスヴィオ火山の光景は、『ムーミン谷の彗星』のもとになった[57]。
- ^ フィンランドは1939年にソ連と冬戦争を戦っていた。その後、ソ連に侵攻するドイツ国防軍の領内通過を認める代わりにナチス・ドイツの支援を受けた。このためソ連との戦争が再び起き、継続戦争と呼ばれた。ドイツへの協力を反対する勢力もあったが、政府の方針は変わらなかった[58]。
- ^ アテネウムで代理教師も務めたが、空襲警報によって30分ほどで授業は終わり、すぐに辞めている。トーベ自身は「評価をするって最悪」と書き残した[64]。
- ^ 戦争中は慢性的な物不足で、貨幣はインフレーションの恐れがあった。貨幣よりも価値の下がらない投資対象として芸術作品は人気が上がり、トーベの絵画も売れた。しかし戦後は売れ行きが急減し、絵画と必需品を物々交換した時もあった[65]。
- ^ ソ連軍の爆撃でアトリエの窓が割れた時は、「圧倒的な地獄」と書き残した[68]。
- ^ 戦時中は投資対象だった作品が売れなくなり、アトリエ購入の借金返済や税金の未払いがあり、奨学金を申請しても資金は入らなかった[70]。
- ^ トーベは『ムーミントロールの不思議な旅』や『ムーミントロールと大きな洪水』というタイトルを考えていたが、トロールについて知らない人が多く、ムーミントロールでは誰にも分からないということで出版社の案が採用された[72]。
- ^ モーネの作ったおとぎ話にトーベが挿絵を描いたことがあり、モーネはトーベについて既知の関係にあった[74]。
- ^ 小学生が「どうして新しいムーミンの本が出ないのか?」という意見書で署名を集めてトーベのもとに持ってきたこともあった[80]。
- ^ 1962年には友人のアルベルト・グスタフションにヴィクトリア号というボートを作ってもらい、30年近く乗った。また、ビューフォート風力階級表を愛用し、作品でも使っている[90]。
- ^ 1969年のアニメは原作との違いが大きいとして、トーベは失望した。1990年のアニメでは、フィンランドの子供番組プロデューサーであるデニス・リプソンがコンサルタントで参加し、トーベとラルスのチェックのもとで製作された[95]。
- ^ スノークが連想させるスウェーデン語のスノーキッグには、「インテリぶった」や「高慢ちき」の意味がある。のちにスノークはムーミンとは別個のキャラクターとして『ムーミン谷の彗星』に登場した[106]。
- ^ エイナルはトーベのつまみ食いを止めるために、食料庫にはムーミントロールという怖いやつがいるという話を聞かせた[108]。
- ^ ブックアートの先行作品としては、ルイス・キャロルとジョン・テニエルの『不思議の国のアリス』や、A・A・ミルンとE・H・シェパードの『クマのプーさん』などがあるが、トーベは1人で行なった[109]。
- ^ 幼少期のトーベはエルサ・ベスコフの絵本『もりのこびとたち』に登場するトロールを怖がったので、シグネがトロールの上に紙を貼って見たい時だけトロールを見られるようにした[110]。
- ^ 1960年に大成功したオスロ公演では、トーベはライオンの足として出演もした[111]。
- ^ ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団による演奏の視聴ができる。ハンス-エリク・ホルガーソン編曲、マグヌス・エーリクソン指揮 (2000年6月録音)。エルナ・タウロ. “Autumn Song”. ストックホルム・コンサートホール: ナクソス・ジャパン株式会社. 2015年11月17日閲覧。
- ^ 1960年頃のトーベは次のようにも語っている「ムーミンのマジパンやら、石鹸やら、ピンバッジやらとは、もうすぐさよならです。私もやっと、落ち着いて絵の世界に戻れます。相当のブランクがあって不安ではあるけど」[111]。
- ^ トーベから見たヘンリーは「いつも静かに憤っている人で、攻撃したり守りに入ったり。しばしば力尽き果てる。ときに間違いもあるけれど、どんなことにも真っ当で正直な人」だった[124]。
- ^ 愛国人民連盟(IKL)などに属するフィンランドの民族主義者は、イタリアやドイツのファシズムを支持していた[125]。
- ^ フィンランドを威圧するソ連兵が長剣の鞘から抜刀すると中身は短剣だったという、ソ連の軍事力を嘲笑する内容だった。当時のフィンランド政府はソ連と講和交渉中だったため、ソ連を刺激することを避けた[127]。
- ^ 『ユーレン』、『ルシファー』、『ヴォー・ティード』、『ヴォー・ヴァールド』、『アッラス・クレーニカ』、『ヘルシングフォーシュ・ユナーレン』、『スヴェンスカ・プレッセン』、『ヒューヴドスタットブラーデッド』などの雑誌や新聞、そのほか子供雑誌やフィンランド語の雑誌でも挿絵を描いた[130]。
- ^ 現在はヘルシンキのスウェーデン語系職業訓練学校のロビーにある[131]。
- ^ 翻訳はオーケ・ルンクイスト、ラーシュ・フォシェル[134]。
- ^ アストリッドは1960年にトーベに手紙を出し、「提案をお請けくださらないならば、誰がアストリッドをなぐさめるのでしょう?」「トールキンの著作にトーベ・ヤンソンの挿絵ならば、今世紀最強の児童書になります」などと書いた。トーベは1週間後に制作を決めた[136]。
- ^ 翻訳は翻訳家・詩人のブリット・G・ハルクヴィスト[134]。
- ^ たとえばムーミンに登場するフィリフヨンカは常に何かを恐れながら生きており、モランは暗い力や緊張感を表している[141]。
- ^ 当時の書評には、ムーミンの続編ではない点に対する当惑や新境地への期待などが見られる[144]。
- ^ トーベはスリラー愛好者を自認しており、「ニョロニョロのひみつ」(『ムーミン谷の仲間たち』収録)がノルウェーのスリラー傑作選に選ばれると聞いた時は喜んだ[145]。
- ^ 監督はカネルヴァ・ セーデルストロムが1作目、他2作はリーッカ・タンネルとの共同による[151]。
- ^ 模型に必要な小物や素材は国外の旅行先や蚤の市でも入手した[152]。
- ^ その他に読んだ作家にジャック・ロンドン、ヘンリー・ライダー・ハガードらがいる[162]。
- ^ ヘルシンキの郵便博物館にシグネの制作した切手が収蔵されている[170]。
- ^ ヤンソン家は芸術一家としてしばしば取材を受けたが、インタビューで主に話をするのはヴィクトルであり、シグネは主婦と呼ばれて扱いは小さかった。シグネが自分の仕事部屋を持てるようになったのは、ラッルッカに引っ越してからだった[171]。
- ^ 内戦では、ドイツが白衛隊を支持し、ソ連が赤衛隊を支持した[13]。
- ^ 『トルトゥガの宝』、『支配者』、『我は我が不安なり』ではシグネが表紙を制作した[184]。
- ^ 世界一周旅行の間もトーベとトゥーリッキは制作を続け、トーベはフロリダの高齢者の生活に関心を持って長編『太陽の街』を書いた[191]。
- ^ トーベはアトスについて、「どんなこともポジティブに解釈する人」「一緒にいるといつもシンプルに明るくいられる」と評した[195]。
- ^ アトスの名は、『三銃士』が好きだった母親によって付けられたという点もトーベは気に入っていた[198]。
- ^ フィンランドにおける同性愛は1950年代まで精神病棟や刑務所行きとされ、1971年までは法律違反で、1981年までは病気とされていた[201]。
- ^ 1950年代はフィンランドのグラフィックやデザインが世界的に評価されるようになった。ティモ・サルパネヴァやタピオ・ヴィルッカラのガラス製品、ルート・ブリュックやカイ・フランクの陶磁器、マイヤ・イソラによるマリメッコのテキスタイル、アルヴァル・アールトの家具などがあった。トーベのグラフィックもこの流れにあった[206]。
- ^ たとえば「畜生」や「くそばばあ」などの表現が槍玉にあがった。酒やタバコの描写も問題とされた[208]。
- ^ トーベを招いたのは、ウプサラ大学、ヘルシンキ大学、ヘルシンキ商科大学、オーボ・アカデミー大学、トロンハイムとオスロの学生組織、ルンド大学、ヨーテボリ大学など[209]。
- ^ 絵画とグラフィックで項目があった女性は、ヘレン・シャルフベック、シグリッド・シャウマン、イナ・コリアンダー、トゥーリッキ・ピエティラだった[211]。
- ^ 最初の文学研究は、1964年にハリー・ハックゼルが発表したムーミンの文学史研究だった[212]。
- ^ エリック・クルスコフ『風刺画家 トーベ・ヤンソン』(1995年、スウェーデン語)、ユハニ・トルヴァネン『ムーミン姉弟 トーベとラルス・ヤンソン ムーミン・コミックス物語』(2000年、フィンランド語)などがある[214][213]。
- ^ 国際会議の閉会式でトーベは次のように語った。「この四日間、みなさんがわたしの作品に示してくださった、たくさんの理解とたくさんの誤解に心から感謝します。ともあれ、いまはヘルシンキのアトリエに戻るのが待ち遠しくてたまりません。もちろん、小説を書くために!」[215]。
- ^ バルブロ・K・グスタフソン『石の原野と牧草地 トーベ・ヤンソンの後期作品におけるエロティックなモチーフと同性愛の描写』(1992年、スウェーデン語)などがある[213]。
- ^ 他方、トーベは報道関係者を避けた[217]。
- ^ よく聞かれる質問として、たとえば「ムーミンはどのように始まったのですか」などがあった[224]。
- ^ ヴェスティンはスウェーデンにおけるトーベ・ヤンソン研究の第一人者。カルヤライネンはトーベの生誕100年を記念する回顧展に合わせて伝記を執筆した[225]。
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- ^ “映画『TOVE/トーベ』オフィシャルサイト”. 2021年9月18日閲覧。
- ^ ヤンソン 2021, p. 487.
固有名詞の分類
小説家 | パウル・カレル ウンベルト・エーコ トーベ・ヤンソン セルゲイ・アントーノフ アントン・チェーホフ |
ファンタジー作家 | マーヴィン・ピーク ジェイン・ヨーレン トーベ・ヤンソン スザンナ・クラーク パット・マーフィー |
児童文学作家 | ヘニング・マンケル ヨハン・ダビット・ウィース トーベ・ヤンソン ダニエル・ピクリ シルヴァーナ・ガンドルフィ |
児童文学作家 | イーニッド・ブライトン エリック・カール トーベ・ヤンソン ルイス・キャロル 牧野節子 |
フィンランドの小説家 | ミカ・ワルタリ トーベ・ヤンソン ボ・カルペラン レーナ・クルーン ロサ・リクソム |
フィンランドの画家 | ヒューゴ・シンベリ アクセリ・ガッレン=カッレラ トーベ・ヤンソン エーロ・ヤルネフェルト |
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