室町幕府 室町幕府の概要

室町幕府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/16 03:59 UTC 版)

室町幕府
Ashikaga mon.svg
創設年 1336年
解散年 1573年
代表 征夷大将軍
対象国 日本の旗 日本
前政府 Imperial Seal of Japan.svg建武政権
後政府 織田木瓜 織田政権
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花の御所(室町殿)

成立時期

初代将軍足利尊氏

延元元年(1336年)5月、九州から東上した足利尊氏湊川の戦い楠木正成を破る。後醍醐天皇比叡山に退去したが、正成とともに「三木一草」と称された後醍醐の武将ら(結城親光名和長年千種忠顕)もこの前後に相次いで戦死したため苦境に立たされることとなった。翌月入京した足利軍は光厳上皇治天の君に擁立し、8月には光厳の弟豊仁親王(光明天皇)が即位する。和睦の成立によって10月に帰洛した後醍醐は幽閉され、11月2日に光明へ神器が譲与される。同月7日、建武式目の制定によって新たな武家政権の施政方針が示されたが、室町幕府の実質的な成立はこの時期とされる。北朝から権大納言に任ぜられた尊氏は「鎌倉大納言」と称され、鎌倉将軍(鎌倉殿)を継承する存在と見なされた。

翌月21日、後醍醐が大和国吉野に脱出し、南北両朝の並立状態が始まる。翌延元2年(北朝建武4年、1337年)8月、鎮守府将軍として東北にあった南朝方の北畠顕家が西上の途に就き、明くる延元3年(北朝建武5年、1338年)1月には青野原の戦いで幕府軍を撃破したものの、その後の連戦の末ついに5月に戦死し(石津の戦い)、また事実上南朝方総大将であった新田義貞も閏7月の藤島の戦いで敗死した。こうして主将と奥羽に勢力を築いた有力武将の二人を失った南朝方の劣勢は覆いようもなく、北朝・幕府方優位の趨勢の下、尊氏は8月11日に征夷大将軍に任ぜられた。

終期

滅亡は、元亀4年(1573年)7月に織田信長が15代将軍義昭京都から追放した時点とするのが一般的である。もっとも、義昭はその後も将軍を解官されてはおらず、信長の勢力圏外においては依然将軍としての権威を保持していた。信長以前には、天文22年(1553年)8月に13代将軍義輝三好長慶に敗れ近江国朽木谷に逃れてから永禄元年(1558年)11月に和議を結び入京するまで、長慶が将軍を擁立しない独自の政権を京畿に打ち立てていた例もある。義昭追放後もこれを庇護する毛利氏との交渉で信長もその復帰を了承しており、幕府が存続(復活)する可能性もあったのだが、義昭の信長に対する人質要求により実現せず、結局義昭が政権に返り咲くことはなく、結果的に元亀4年の追放時点に遡及して(中央政権としての)幕府の滅亡が確定したともいえる。

義昭は天正16年(1588年)に関白豊臣秀吉に従って忠誠を誓うまで征夷大将軍であったと『公卿補任』は記録する。義昭は将軍職辞任後准三宮の待遇を得、秀吉からも貴人として最後まで遇された。現任将軍の存在という面を重視すれば、この天正16年1月を幕府終期と見ることもできる。

政治

歴代将軍

名前と就任年。

(10代 足利義材は足利義稙と同一人物なので、通常は義稙を代数に含まない[1]。代数に含む場合、義尹が12代、義晴が13代、義輝が14代、義栄が15代、義昭が16代となり、全16代15人となる。)

組織機構

組織

中央

3代将軍足利義満

室町幕府の職制はほぼ鎌倉幕府の機構を踏襲している。基本法として建武式目を制定(1336年)。具体的な法令としては鎌倉時代の御成敗式目(貞永式目)を適用し、必要に応じて「建武以来追加」と呼ばれる追加法を発布して補充している。

幕府開設当初、初代将軍尊氏は武家の棟梁として諸国の武士を統帥して執事高師直がこれを補佐し、政務・裁判は弟直義が総理する二頭体制が取られた。やがて直義と師直の間に確執が生じ、幕府内が尊氏・直義両派に分裂して観応の擾乱へと発展、南朝方や諸国の武士を巻き込んで内乱は長期化した。

尊氏の後を継いだ2代将軍義詮は幕府機構の再建に努め、病に倒れると、細川頼之を管領に任じて幼少の後継者・義満を後見させた。頼之後見期及び義満による親裁期を経て政治機構が整えられていった。

鎌倉時代の将軍は全国の御家人と個々に主従関係を結び、所領(地頭職)を安堵する立場にあり、守護は任国の軍事・刑事の長であり、国内の御家人の監督者に過ぎなかった。

これに対して室町幕府は、守護大名による合議制・連合政権であったと評される。長期の南北朝内乱の間に、守護はその権限を拡大し、任国内の領主層の武士(国人)を被官化するなどして、任国の管理者から領国支配者(大名)となっていく(ただし地域差があるので、詳細は「守護領国制」を参照)。これにより、御家人=将軍直臣という鎌倉幕府の基礎構造は失われ、将軍の諸国武士・所領に対する支配は相当後退し、主に守護を通じて全国支配を行う体制となった。しかしながら室町将軍がこの現状をよしとした訳ではなく、鎌倉時代以来の足利氏の根本被官や一族、守護の分家など、守護大名の頭越しに各地の武士と主従関係を結ぶ場合もあった。特に足利義満は直属軍事力の整備に熱心であり、奉公衆を整えていき、以降の将軍にも継承された。

また室町将軍以上の勢威を持った守護大名を、幕府が危険視し、討伐した例もある。しかし個々の守護大名はともかく、守護大名と室町将軍が全面的に対立することはなかった。守護大名は幕府から任命された守護職に支配の正当性の根拠があり、室町将軍の権威を否定することはできず、両者は相互に補完する体制であった(室町幕府―守護体制)。将軍の権威の失墜はすなわち守護大名の権威の失墜を意味し、応仁の乱後にそうなっていくのである。

地方

東北

東北地方には当初奥州管領が設置されたが、斯波家兼ら4人の管領が並立し争うなど混迷を極め、半世紀を経て奥州探題が設置された。さらに、奥羽2国(陸奥国出羽国)が鎌倉府の管轄下に組み込まれると廃止されて一時期は稲村公方篠川公方が設置されている。

幕府は鎌倉府に対抗するため、斯波家兼の孫大崎詮持を奥州探題に補任し、以降大崎氏により世襲される。しかし、蘆名氏伊達氏などが京都扶持衆として戦国大名化していくにつれて、大崎氏も在地領主化していくことになる。

また、家兼の死後に羽州探題が分裂し次子最上兼頼以降最上氏により世襲される。

関東

観応の擾乱が起こると、足利尊氏は鎌倉東国10カ国を統括する機関として鎌倉府を設置した。長官は鎌倉公方で尊氏の子足利基氏の子孫が世襲し、関東管領が補佐した。室町時代を通じて鎌倉公方は幕府と対立し、関東管領を務める上杉氏とも対立していった。

これに対抗するため、幕府は東国や陸奥の有力国人を京都扶持衆として直臣化した。このため、足利義教の代に永享の乱を起こした第4代鎌倉公方足利持氏を攻め滅ぼして一時直接統治を図るが失敗に終わり、持氏の子足利成氏を新しい鎌倉公方とした。だが成氏も享徳の乱を起こして、古河御所に逃れて古河公方を名乗り、さらに上杉氏は山内上杉家扇谷上杉家に分裂したため、応仁の乱が始まる前に関東地方は騒乱状態となる。

幕府も手をこまねいていたわけではなく、8代将軍足利義政の庶兄足利政知を関東に派遣する(堀越公方)。だが、堀越公方も政知の死後に今川氏重臣伊勢盛時(北条早雲)によって倒されて、失敗に終わった。古河公方も小弓公方との分裂を経て、盛時の子孫である後北条氏によって傀儡化させられていくのである。

九州

九州には本拠を博多(福岡県福岡市)に置く九州探題が設置される。初めは懐良親王ら南朝勢力の討伐に任じられた今川貞世(了俊)が就くが、了俊が九州で独自の勢力を築くと幕府に警戒され、了俊が解任された後は渋川氏の世襲となる。

財政

室町幕府の財政は幕府直轄の御料所からの収入が主であったが、南北朝の戦乱の際に敵対する南朝側より狙われて奪取されたり、自軍への恩賞にされてしまうケースも多く、次第に土地からの収入が減少して鎌倉幕府や江戸幕府に比べて小規模であったと考えられている。このため、武家役として臨時の段銭や棟別銭などが徴収された。

商人に対しては特権や保護の代償に営業税などを取り、各からの津料関所のからの関銭(通行税)も徴収された。尚、足利義満の時代に京都の土倉や酒屋に対して恒常的に役銭を取る権利を認められると、段銭や棟別銭等と共に納銭方と呼ばれる幕府御用の土倉によって徴収された。後に納銭方は幕府の委託を受けて税収の保管・出納の事務等も任される様になり、こうした土倉を公方御倉と呼んだ。更に義満が日明貿易を始めると貿易そのものや抽分銭による収益も幕府収入となる。貿易の回数が限られていた為に臨時収入的な物に留まったが、1回の貿易で他の税収の数年分の収益を挙げる事もあったとされている。

また、明徳の乱・応永の乱・嘉吉の乱などによって没収された守護大名の所領の一部は幕府御料所に組み入れられたり、将軍側近や奉公衆に所領として宛がって将軍直属軍の基盤とした[2]。他の臨時収入的な物として礼銭分一銭等が挙げられる。更に15世紀後半以後には京都のある山城国内の御料所化にも着手している。




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  1. ^ 国史大事典(吉川弘文館)等
  2. ^ 田沼睦「室町幕府と守護領国」(初出:『講座日本史3 封建社会の展開』東京大学出版会、1970年/所収:田沼『中世後期社会と公田体制』岩田書院、2007年)
  3. ^ 二木謙一『中世武家の作法』吉川弘文館


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