室町幕府の職務とは? わかりやすく解説

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室町幕府の職務

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 03:21 UTC 版)

侍所」の記事における「室町幕府の職務」の解説

建武3年1336年)、鎌倉幕府組織倣い政所(まんどころ)、問注所とともに設置される初期室町幕府初代将軍足利尊氏実弟直義の2頭体制であったが、侍所頭人足利家執事高師直の兄にあたる高師泰であることから、侍所将軍直轄機関であった考えられている。 鎌倉幕府同じく御家人武士の統率主な職務であり、検断所務沙汰関係などは附属された検断方において行われていたが、徐々に侍所移管していく。2代将軍足利義詮時代には、検非違使庁職務侍所移り山城全体治安維持を行う市中警察権徴税掌握している。3代将軍足利義満時代には山城守護が別に置かれ侍所純粋に京都室町殿直轄領として管轄する機関となる。応永5年1398年)からは、赤松氏一色氏京極氏山名氏交代所司務め所司家臣所司代務め様になり、これらの四氏は四職(ししき)と呼ばれた所司または頭人とうにん)などと呼ばれる役職統率し所司代しょしだい)が所司補佐した侍所軍事力所司務め大名兵力依存するところが大きく実際に所司重臣任じられ所司代がその指揮あたった土一揆鎮圧など大規模な軍事力要する場合には他の大名権門協力仰いだ実務処理は奉行人が行い、下級役人として小舎人雑色などが編成された。他に事務方として開闔かいこう)が置かれ監察役である目附や取調官相当する寄人よりうど)などがいた。 しかし、室町末期から戦国時代にかけては所司所司代置かれず、幕府奉行人である松田氏飯尾氏いずれか開闔として所司所司代代わりに侍所指揮を執った。開闔侍所責任者として在京義務付けられ京都治安維持禁獄管理将軍や他の権門による検断に関する助言などを行ったまた、開闔室町中期以降京都周辺地侍や腕に自信がある浮浪者などを傘下加えて独自の軍事力を持つようになり、応仁の乱以降所司軍事力による支援期待できなくなると、開闔被官が他の侍所職員とともに治安維持従事したまた、開闔軍事力そのまま足利将軍家軍事力一翼担っており、当時の記録よりおよそ200-300人程度動員できたと推定される

※この「室町幕府の職務」の解説は、「侍所」の解説の一部です。
「室町幕府の職務」を含む「侍所」の記事については、「侍所」の概要を参照ください。

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