室町幕府の恩賞方とは? わかりやすく解説

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室町幕府の恩賞方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/19 21:41 UTC 版)

恩賞方」の記事における「室町幕府の恩賞方」の解説

建武3年延元元年/1336年)、建武政府倒した足利尊氏直ちに後の室町幕府となる新政府樹立図り足利宗家家宰である執事高師直頭人とする恩賞方恩沢方(おんたくがた)とも)を設置した尊氏建武政府の恩賞方失敗学んで引き続き最終決定権尊氏親裁したものの、恩賞方恩賞申請受理恩賞地選定恩賞替地沙汰恩賞地他者所領であった場合新旧領主間の裁判)・恩賞下文紛失安堵などの広範な業務任された。 尊氏幕府成立後民政のみならず一部まで弟の足利直義譲って半ば象徴的存在にもなっていたが、恩賞方業務のみは自らが把握して親裁行い、必要があれば審議にも参加した。これを「御恩沙汰(ごおんさた)」と呼んだ皮肉にも観応の擾乱によって尊氏直義対立して直義とこれを支持する幕府官僚多く離反した時、室町幕府機構多く機能停止陥ったが、恩賞方のみは尊氏派の官僚そのまま残留したためにこれを免れたのである幕府組織再建主導した後の2代将軍足利義詮恩賞方拠点として再建図り、後にここで御前沙汰呼ばれる会議主宰した。後に御前沙汰義詮後継者である足利義満によって恩賞以外の重要事項審議するとともに将軍個人的な人選によって選ばれ重臣側近による事実上の最高諮問機関へと変化していく。特に恩賞方などで事務担当していた法曹官僚である奉行人次第奉行衆右筆方)として幕政深く関わってくると、本来恩賞方下級官僚しかない彼らが将軍意向御前沙汰一員加えられ恩賞方衆と呼ばれるうになる。 さらに足利義教になると、御前沙汰そのもの恩賞方から離れて幕府中枢置かれるようになり、恩賞方衆も「御前沙汰衆御前奉行人」などと呼ばれるのが一般的となる。また、恩賞方実際に御前沙汰のための事務機関となり、御前沙汰衆予備軍とも言える奉行人達が詰め様になった。 このため別個に奉行衆の中から「別奉行」として恩賞奉行あるいは御恩奉行などが任命され恩賞業務置いた推定されているが、詳細不明である。

※この「室町幕府の恩賞方」の解説は、「恩賞方」の解説の一部です。
「室町幕府の恩賞方」を含む「恩賞方」の記事については、「恩賞方」の概要を参照ください。

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