建武政府の恩賞方
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元弘3年(1333年)に鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇が、恩賞業務の審議・調査のために設置した。その正確な時期や、初期の制度は不明だが、7月19日に新田氏庶流(ただし派閥は新田氏ではなく足利氏)の岩松経家に対し北条泰家ら旧幕府の幹部の遺領が配布されているため(『集古文書』)、7月中には恩賞方が設置されていたと考えられる。 翌建武元年(1334年)5月18日、全国を4地域に分けてそれぞれに頭人を任命する四番制を導入、 吉田定房(東海道・東山道) 九条光経(北陸道) 万里小路藤房(畿内・山陽道・山陰道) 四条隆資(南海道・西海道) を頭人に任命、楠木正成や名和長年を寄人に任じた。彼らは雑訴決断所の頭人や寄人を兼務していたため、両者の連携が期待された。また、伊賀兼光ら旧幕府の法曹官僚から恩賞方に加わる者もいた。
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