建武の新政と村上氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:16 UTC 版)
義光・義隆父子の後は、信泰の子で義光の弟である村上信貞が家督を相続し、義光親子の功績などもあり信濃国での権益と勢力を建武の新政下で一定の枠内で認められ、「信濃惣大将」と称せられるようになった。建武2年(1335年)に諏訪氏や仁科氏などが北条高時の遺児北条時行を奉じて挙兵した(中先代の乱)の際には、信貞は乱鎮圧のため京から下向して信濃国各所に出兵し、事実上鎮圧軍の主力として北条与党の豪族たちと交戦した。
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