建武政権下の構成員とは? わかりやすく解説

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建武政権下の構成員

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/15 23:58 UTC 版)

記録荘園券契所」の記事における「建武政権下の構成員」の解説

建武記によれば建武政権下、国家の最高政機関として再興され記録所の、建武2年1335年3月17日時点での構成員は以下の21人。 一番:1、211122122日。〈右少弁正経朝臣藤原正経) 〈左大史〉冬直宿禰小槻冬直) 〈新大外記〉師治(中原師治) 〈佐渡判官代秀清中原秀清) 〈六位史〉清原康基 二番3、412142324日。〈権右中弁〉実夏朝臣(洞院実夏) 〈清大外記頼元五条頼元) 〈大夫判官明成坂上明成) 時知(小田時知) 三番5、615162526日宣明朝臣中御門宣明) 匡遠(小槻匡遠) 〈兵衛大夫判官〉職政(中原職政) 〈土佐守兼光伊賀兼光四番7、817、182728日。光守朝臣高倉光守) 〈大外記〉師利(中原師利) 章香(中原章香) 正成(楠木正成五番:9、19、202930日。〈蔵人右少弁長(甘露寺藤長) 〈大外記〉師右(中原師右) 〈大判事明清中原明清) 〈伯耆守〉長年名和長年内訳としては、 公家17有職故実清華家1人洞院家実務官僚系名家2人勧修寺流甘露寺家勧修寺流中御門家有職故実地下家1人衣文高倉家) ※高倉家後半家に昇格 実務官僚系地下家12人(明経道中原氏明経道清原氏明法道中原氏明法道坂上氏官務小槻氏出身不明実務官僚1人藤原正経武家4人元高官僚2人(元六波羅探題引付頭人評定衆伊賀兼光、元六波羅探題評定衆小田時知) 商業蓄財した武士2人(元鎌倉幕府御家人楠木正成土豪名和長年) 以上のように、家格問わず官僚17人、有識者2人経済人2人構成されている。建武政権下では、何よりも実務能力が最重視されていた証であり、21世紀初頭現在の中世法制史研究では、この点を好評価する傾向にある。

※この「建武政権下の構成員」の解説は、「記録荘園券契所」の解説の一部です。
「建武政権下の構成員」を含む「記録荘園券契所」の記事については、「記録荘園券契所」の概要を参照ください。

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