建武政権東寺時代略歴とは? わかりやすく解説

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建武政権東寺時代略歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 07:59 UTC 版)

文観」の記事における「建武政権東寺時代略歴」の解説

元弘3年1333年6月5日建武政権開始後、しばらく文観音沙汰はなくなる。しかし、10月25日後醍醐天皇は、腹心武将楠木正成菩提寺である観心寺対し弘法大師空海作と伝わる不動明王像引き渡すように、綸旨天皇私的命令文をもって命じている。正成と観心寺素早くこれに応じ翌日には正成自らの護送によって不動明王像宮中運ばれた。この一連の動きには、文観献策があったとも言われている。 建武元年1334年3月には、叡尊ゆかりの石清水八幡宮国家鎮護大法である仁王経修した。さらに、4月から6月ころには、真言宗醍醐派の長である第64代醍醐寺座主に登った。 同年5月18日には、文観観音信仰伝えた母が没した文観亡母供養として、自ら絵筆取って三七日みなぬか数え21日目)に『絹本著色五字文殊像』(重要文化財奈良国立博物館)を、五七日(いつなぬか、数え35日目)に八字文殊画像個人)を描いた。これらには、真言密教伝統的な文殊図様形式と、真言律宗忍性に始まる亡母供養としての文殊信仰両方表現されている。 同年8月30日には東寺大勧進職補任された。これは、戒律関係の高僧任じられる慣例のため、文観真言僧というより律僧としてこの地位就いたものとみられる。そして、建武2年1335年3月15日数え58歳のとき、文観はついに真言宗盟主である正法務・第120代東寺一長者補任された。貴種尊ばれた旧仏教界において、地方平民生まれた律僧出身者栄耀栄華極めたというのは異例である。 しかし、中央仏教界における要職一手独占した文観対し紀伊国和歌山県)の高野山金剛峯寺からは痛烈な批判浴びせられ解任求め訴状提出された。この上奏文は、文観独裁による弊害危惧したという体裁はなっているが、実際に文観の低い出自とそれにまつわる偏見批判集中している。そのため、仏教美術研究者内田啓一によれば後醍醐天皇がある人物寵遇したことそのもの問題だったのではなくその人物が律僧出身者という低い身分だったことに高野山からの反感があったのではないか、という。 建武2年1335年10月から年末にかけては、文観東寺一長者として多忙な公務こなした10月14日播磨国兵庫県)で青年期支援をしてくれた宇都宮長老菩提弔い1週間後21日には京都戻って国家鎮護大法である仁王経法を行じその1週間後の28日にはやはり護国法会である仁王会修した30日舞楽曼荼羅供、閏10月にも週ごとに後醍醐天皇のための祈祷儀式行った同年12月13日には、東寺西院御影堂三衣と鉢を、同月25日には河内国大阪府)の天野山金剛寺 (河内長野市)に仏舎利施入した。 翌建武3年1336年1月7日には、東寺大法である後七日御修法開始した。しかし、この頃既に後醍醐天皇足利尊氏戦いである建武の乱始まっており、10日尊氏京都攻め入ったため、後七日御修法中断された。やがて尊氏敗退し九州退いたため、文観は京へ戻り3月21日には大僧正補任された。だが、尊氏九州多々良浜の戦い勝利して再起し5月には湊川の戦い楠木正成敗死させて京に迫ったこの頃文観要職解任され6月には第65醍醐寺座主として尊氏親し三宝院賢俊が、9月には第121東寺一長者として成助が補任されている。通説見解では、この二人文観敵対派閥であり、文観排除したのだとされている。しかし、内田は、実際にはこの2人文観から付法伝授)を受けたことがあるため、師から弟子への穏当な交替見なすことも可能であることを指摘している。尊氏攻勢続いているとはいえ、この時点での帝位依然として後醍醐天皇であることも傍証となるという。 10月1日には後醍醐天皇によって河内国天野山金剛寺が勅願寺指定された。11月7日京都攻略完了した足利尊氏は『建武式目』を発布し幕府開いた。 なお、この時の戦乱で、観心寺から宮中移されていた伝・空海作の不動明王像本体焼失した。しかし、この数年以内におそらく文観監修によって模造作成され、後に観心寺寄進された。観心寺における不動明王像等の配置は、文観の「三尊行法に従っているとも言われる文観監修推定)の不動明王像は、重要文化財指定されている。

※この「建武政権東寺時代略歴」の解説は、「文観」の解説の一部です。
「建武政権東寺時代略歴」を含む「文観」の記事については、「文観」の概要を参照ください。

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