室町幕府の免許制
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当初は将軍のみが諸大名に対する免許権を有していたが、後に鎌倉公方・足利満兼が関東の諸大名に免許して関東八屋形の制を整えることで、将軍・鎌倉公方による免許制が整った。屋形号は室町幕府でも守護以上の身分で遇される足利一門や、代々有力守護であって幕府の重職につく家や特に功績ある家柄、また、国人領主ながら、室町幕府の建設に功労ある家柄に許された。 尚、時代によって変遷はあるものの、室町幕府体制下における「屋形」とは、 斯波氏(武衛家) 畠山氏(金吾家) 細川氏(京兆家) 山名氏(本宗家) 一色氏(本宗家) 畠山氏(匠作家) 細川氏(讃州家) 赤松氏(本宗家) 京極氏(本宗家) 大内氏 斯波氏(大野家) 土岐氏(西池田家) 六角氏 細川氏(上和泉家) 細川氏(下和泉家) 今川氏 山名氏(伯耆家) 山名氏(石見家) 武田氏(豆州家) 富樫氏 細川氏(奥州家) 京極氏(加州家) 以上の20数家の事を指し、これらの家々が室町幕府における「大名」と呼ばれる家々であった。これら「大名」と呼称された家々を俗に「室町二十一屋形」(『京極家譜』)と称した。 この「大名」と称された二十一屋形の他、奥羽においては足利氏の一門である斯波氏の庶流・斯波兼頼は屋形号を受けて最上屋形を称したのに伴い、最上氏の祖となっている。また、幕府の重臣・大館氏は伊勢守護で御所号を有する北畠氏の娘婿となり、屋形号を授けられ関岡屋形と名乗っている。国人領主に対しては貞治3年(1364年)、幕府奉公衆の宮氏が備中守護に補任され、屋形号を授けている。また、永享10年(1438年)、足利義教によって畿内における戦乱鎮圧に功のあった石見国の有力国人・益田氏に対して屋形号が授与されている。また、宗家の千葉氏も関東八屋形の一つとして屋形号を有する家柄であるが、肥前国の国人領主・千葉胤繁も足利義稙から屋形号を許されている。これを見る限り、屋形号は国人領主にも免許される道は開かれていたことがわかる。しかし、備中の宮氏、石見の益田氏、肥前の千葉氏もいずれも室町時代を通じての国人領主であるが、一時的に守護職に補任されたり、事実上国人領主の指導的地位を有した有力な武家であることもふまえなければならない。 屋形号を有するか否かに関わらず守護に補任される大名は室町幕府より白傘袋、毛氈鞍覆、塗輿、朱の采配の免許がなされる。足利将軍家連枝や管領、探題などには裏書免許(書状の自署省略)の特権も許された。また、屋形号を免許された大名の家臣は侍烏帽子に直垂の着用が許される。但し、自家以外の場で主君を屋形と呼称することは非礼とされた。
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