黛時代にゲスト出演した著名人(声楽家・作曲家は除く)
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「ベートーベンから浪花節まで」を基本コンセプトとした内容であったため、黛の人脈の広さからおよそクラシック音楽とは関連性が薄いと思われる芸能人や大物著名人なども数多くゲスト出演していた。(したがって、必ずしもポップスや軽音楽を軽視していたわけではない。)またクラシックの演奏家であっても専門とは違う分野に挑戦させられることも少なくなかった。(指揮者の小林研一郎がテノール歌手として出演するなど。)以上の理由から、出演者や取り上げる音楽は黛敏郎本人の政治的主張とは必ずしも一致しない場合が少なくなく、かつ作曲者の政治的立場と音楽作品の価値とは常に峻別していた。(黛敏郎が自身の政治的主張を露骨に出したのは憲法記念日特集の番組くらいである。) 美空ひばり - オペラ「アリア」に同番組内で挑戦した。 永六輔 - 常連ゲストの一人。卒業式の歌を特集した際に黛に向かって「学園長式辞」と言った。 植木等 - 黛が「追悼特番をお送りします」と称した内容で放送。番組冒頭に僧服を纏って登場しお経を詠んだ。当時(1995年)の時点では健在であった植木のひょうきんな人柄が出ている放送回であった。 ハナ肇とクレイジーキャッツ 宮間利之とニューハード 勝新太郎 坂東玉三郎 - 玉三郎の好きな曲「アランフェス協奏曲」にあわせて詩を朗読後、舞踊を踊った。衣装代えに時間がかかることから、一旦収録を中断し、次の番組を収録後、踊った。一発収録が主だったが、特異な収録形態だった。 遠藤周作 - オペラに挑戦。 岡本太郎 - 楽譜なしの作曲に挑戦し、岡本太郎自身の叫び声とオーケストラによる一種の協奏曲が初演された。 三波春夫 - 一般には典型的「演歌」として扱われる歌の世界を「ブルース」という全く異なる角度から分析。また浪曲の成立までの歴史を実演したこともある。 石津謙介 大屋政子 大前研一 - 番組内でクラリネットを披露した。 寺山修司 - 番組冒頭に寺山修司自身の歌集『田園に死す』から数首を寺山自身の朗読によって紹介し、そこから童謡に対する寺山の思い出や考えが述べられた回だった。 竹村健一 高英男 - 黛敏郎の晩年に出演した時には、黛敏郎作曲、加藤道夫台本のバレエ『思い出を売る男』の歌唱を披露した。 野坂昭如 - 常連ゲストの一人。歌手として出演し持ち歌を歌ったこともある。 小沢昭一 - 常連ゲストの一人。ベートーベンの生涯を浪曲にしたものを披露したこともある。 西村晃 高島忠夫 倉本聰 玉置宏 阿久悠 小沢栄太郎 芦田伸介 - 憲法記念日特集の『憲法はなぜ改正されなければならないか』ではナレーションを務めたが、番組が放送中止になった。 坂上二郎 黒柳徹子 芳村真理 江守徹 桂三枝(現・六代 桂文枝) 梶原茂(現・梶原しげる) - 1979年に出演。当時は現役の文化放送アナウンサーで、「イングリッシュ演歌」を披露。 ジョーン・シェパード ₋ 当時は千昌夫夫人で常連ゲストの一人。梶原茂がイングリッシュ演歌を披露した回には最後に登場し、外国人が英語の歌を日本語に訳したものを歌ったらどうなるかの実例として、ゴダイゴの「Monkey Magic」を日本語に訳した「いたずら化け猿」という歌を歌った。 大沢悠里 - 1986年9月14日に出演。当時は現役のTBSアナウンサーだった。オーケストラの演奏に合わせて即興的に何種類ものラジオ原稿を読み分けた。 中山千夏 - 「運命」のタクトを振る。 桜田淳子 - フルオーケストラの演奏をバックに「気まぐれヴィーナス」を披露。 キャロル 大山のぶ代 木の実ナナ 森進一 八代亜紀 - 彼女に関する企画は1980年代 - 1990年代にかけて多数行われた。 タモリ - 1977年に番組内で密室芸を披露。番組の最後には紅衛兵に扮し、ベートーベンの「歓喜に寄す」に合わせてハナモゲラ語で毛沢東を称えた。 おすぎ 舛添要一 山田邦子 清水ミチコ - 「清水ミチコオンステージ」と題して、オーケストラをバックに物まね芸を披露。番組冒頭で『カルメン』の「ハバネラ」をでたらめな外国語で歌いきり、黛敏郎に「わたしもいろいろな外国語を知ってるがこんなのは今まで聞いたことがない」と言わせた。黛との対談中、言い間違いをした黛に対し、「わたしもいろいろな日本語を知ってるがこんなのは今まで聞いたことがない」と清水が応酬したので黛および会場を大いに沸かせた。 オユンナ 和田アキ子 - 男性のキーのままでカルメンの「闘牛士の歌」を熱唱し絶賛された。 江本孟紀 - 現役引退後、TV&ラジオの仕事では発音や発声が重要と痛感した江本は、発声を良くしようと声楽レッスンに通い始める。その成果として番組内でオペラに挑戦した「江本孟紀・オペラに挑戦」が1985年6月に放送された。 聖飢魔II - 1993年に「悪魔の音楽考」で出演。黛時代では異例のハードロックが取り扱われた。「悪魔組曲作品666番ニ短調」やオーケストラ融合である「BAD AGAIN〜美しき反逆〜」を披露し、間のトークで悪魔音楽はどういうものであるべきか黛・デーモン小暮閣下が議論した後、単調な曲である聖飢魔IIの新曲「鬼」とクラシックの悪魔音楽メドレーを融合した「鬼+α」を披露し終了した。 PUFFY - 『第47回NHK紅白歌合戦』からの出演オファーを蹴ったことを讃えられ番組内で『アジアの純真』を歌った。 土井たか子 - 『花の政党対抗紅白歌合戦』に出演し、『マイ・ウェイ』を熱唱してトリを務めた。 古舘伊知郎 - オーケストラ演奏の実況中継を即興で行う。当時はテレビ朝日のアナウンサーでプロレス番組の実況中継で人気を博していた。 岩崎宏美 - 新人時代に出演し、『ロマンス』を様々に編曲した歌唱に一人で挑戦し絶賛された。 丹波哲郎 - 演奏中のオーケストラの楽団員全員および指揮者に催眠術をかけて演奏不能にした。 ジュディ・オング - 『魅せられて』の企画からレコーディングまでの経緯を番組にした時に出演し最後に歌を披露、後にこの曲が大ヒットして再び出演し、もう一度歌った。 二度目の出演の時、最初の予定ではケチャに編曲されたものも本人が歌うことになっていたが、憑依現象が発生したため大事を取って代役が立てられたと黛は説明していた。 武智鉄二 - 『豪華歌合戦』に出演して『お化けのロック』を歌い、黛敏郎をして「悪夢の世界」と言わしめた。 高峰秀子 - 常連ゲストの一人。笠置シズ子追悼の回には、すでに歌手活動から引退していたにもかかわらず『東京ブギウギ』を歌って、黛敏郎ら出演者と笠置シズ子を偲んだ。 沢竜二 - 松井翠声の活弁に合わせて剣戟を披露、バックの音楽に合わせて、尾上松之助風、三船敏郎風、必殺シリーズ風などと細部が微妙に異なる立ち回りを何通りにも演じ分けてみせた。 丸山浩路 - 歌のない管弦楽曲を手話通訳し、会場に来ていたろう者の観客から「生まれて初めてオーケストラを聞くことができた」と感謝された。 細川俊之 - 声楽家として出演。『あまいささやき』の語りで登場し最後に『さっちゃん[要曖昧さ回避]』の独唱を披露した。 井上ひさし - 1981年の憲法記念日特集に出演。黛の『憲法はなぜ改正されなければならないか』の演奏前に護憲派の立場から日本国憲法の価値を論じたが、番組が放送中止になった。 小池朝雄 - 常連ゲストの一人だが、常に演技者としての出演だった。『太平洋序曲』の日本初演時(ただし演奏会形式によるダイジェスト版)にはナレーションおよび明治天皇の役を演じ、またチェホフの『タバコの害について』の一人舞台を演じた。 小泉文夫 - 常連ゲストの一人。黛敏郎が外遊したときには司会を務めたこともある。「小泉文夫の大予言」の回では、小泉の著作『歌謡曲の構造』の実践として小泉自身が作曲した歌謡曲を雪村いずみやあのねのねが歌った。なお番組の最後に「小泉さんは国立大学の教授だが、もしこれらの曲が大ヒットしたら副業を禁止する公務員の規定に違反するので大学を辞めなきゃならなくなるが、そのことについてお考えをお聞かせ願いたい」という黛の質問に対して、「これらの曲はあくまでも自分の研究の一環として作曲したものです。だから公務員の規定に違反するものではありません。これからも大学教授を続けて行くし曲の印税も全部貰うつもりです」と小泉が答えたので、黛は「せっかくの決意だが無駄になるでしょう」と言って、会場と小泉自身を失笑させた。 高田好胤 - 常連ゲストの一人。 笠智衆 - 小学校の校長先生に扮し教育勅語を朗読した。 越路吹雪 丸山明宏(現・美輪明宏) 由美かおる 内田裕也 沢田研二 ザ・タイガース かまやつひろし - フォーク・ソングの歴史を二回に渡って語り、かつ内外の多くの名曲を自身の歌と演奏によって紹介した。最後に番組放送当時(1976年)の最新のフォーク・ソングとしてかまやつは矢野顕子編曲による『丘を越えて』を高く評価し矢野に代わって歌った。 菅原文太 矢崎泰久 - 「スポーツ・ニュースのための音楽」(1993年10月10日放送)に出演したが、黛が作曲した『スポーツ行進曲』が流れないまま終わりそうになることに不満を持ち、独断で秋山和慶(この回の指揮者)に演奏をお願いしたうえ、曲の前振りも行った。 山本リンダ 大賀典雄 - 元ソニー株式会社CEO(東京芸大卒の声楽家だが、番組中、音程の悪さを黛に指摘されたエピソードがある) 和田弘とマヒナスターズ ロス・プリモス 鶴岡雅義と東京ロマンチカ 殿さまキングス その他
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