番組黎明期
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「オールナイトニッポン」の記事における「番組黎明期」の解説
放送開始の背景として、1960年代半ばの不況と、1964年の東京オリンピックによるテレビの躍進により広告収入が激減し、ラジオ業界にとっては新しいリスナーの層と広告主(スポンサー)の開拓を迫られていた(ラジオ離れ#1960年代も参照)事がある。その状況に対し、ニッポン放送は1964年4月より「オーディエンス・セグメンテーション」編成を導入し編成方針を抜本的に見直していたが、その動きが深夜に波及したことにある。 放送が開始された1960年代後半は、いわゆる団塊の世代が大学生生活を送っていた時代であり、『オールナイトニッポン』はそのような大学生、また受験勉強に明け暮れている高校生・中学生にターゲットを絞り、それまでテレビやラジオで流れることはほとんどなかったビートルズやサイモン&ガーファンクル、ボブ・ディランなど海外のポピュラーミュージックからザ・フォーク・クルセダーズなど日本のフォークソングまで、若者世代の最先端を走る音楽をふんだんに流す編成とした。 前身となる番組は、ニッポン放送にて1959年10月10日から放送していた『オールナイトジョッキー』(DJ:糸居五郎)となる。子会社の「株式会社深夜放送」 が制作していたこの番組は、糸居が選曲・ターンテーブルの操作といった通常はスタッフが行う作業を一人でこなすというディスクジョッキースタイルであり、それが局の省力化した番組を作れないかという思惑と合致していたことから、番組を発展させる形で『オールナイトニッポン』は放送を開始した。 1965年8月に、文化放送が、土居まさるをDJとして始めた『真夜中のリクエストコーナー』が「深夜放送の原型」としてみていたのが亀淵昭信だったが、亀淵はのちのインタビューで「土居さんは今の放送では当たり前のように使われている擬音語や擬声語をふんだんに、しかも上手に使って、それまでのアナウンサーのテンポとは全く違う、まるで機関銃のような早口で若者たちに語りかけたのです。ラジオ放送という概念を覆したという意味で、新しい時代の到来を予感させました」と述べている。 放送時間は、当初、午前0時スタートがいいのではないかという議論があったが、1967年の時点で午前0時台には既に多くのスポンサーが入っていたので、放送枠の改変が困難だったため、当初の構想より1時間遅くして、午前1時からのスタートと決定した。また、タイトルについては「オールナイトニッポン放送」という案も上がったが、全国ネット化を見据えているという理由で「放送」を取って『オールナイトニッポン』となった。 1967年10月2日深夜から放送開始。放送時間は月曜日 - 土曜日25:00 - 29:00(翌日未明1:00 - 5:00)。当初のDJ(「パーソナリティ」と呼ぶようになったのは1969年頃から)はニッポン放送アナウンサーの糸居五郎(月曜日)、斉藤安弘(火曜日)、高岡尞一郎(水曜日)、今仁哲夫(木曜日)、常木建男(金曜日)、高崎一郎(土曜日。アナウンサーではなかったが、プロデューサー兼DJとしてニッポン放送の番組に出演していた)。初回放送のDJは、前身番組『オールナイトジョッキー』のDJだった糸居が務めた。本番組で最初にかかった曲となる、初回の第1曲目はジェファーソン・エアプレインの「あなただけを」だった。 当時編成局長だった石田達郎や当時編成部長だった羽佐間重彰は、番組を立ち上げるに当たって、次のような4つの大原則を立てている。 外部のタレントではなく、アナウンサーやディレクターといったニッポン放送内部の人間を起用する スポンサーを付けない提供スポンサーから番組内容に口出しされることを嫌ったため、番組開始後1年間はスポンサーを付けなかった。のちにスポンサーを付ける際にも、「協賛スポンサー」という形で、番組内容にはタッチしないことを条件としており、パーソナリティがスポンサー名を読み上げる際、「以上各社の協賛で…」と付け加えるのはこの原則に由来している。この原則は2021年現在も守られているが、とんねるずや『SUPER!』では「以上各社の提供で」と読み上げていたほか、『X』については通常のスポンサー読みとなっていて、「…(スポンサー名)がお送りします(しています)。」となっている。 これについて、亀淵はのちのインタビューで「番組の自由度を保持するためにはスポンサーに縛られたくはない。とはいっても、無名の番組は安い値段でしか売れない。人気があれば高く売れる。番組を安売りするぐらいだったら無理やりスポンサーを付ける必要はない。良い番組を作って、良い放送をすれば、黙っていてもカロリーの高いスポンサーが付いてくるはずだ。」と述べている。 協賛の原則は守っているものの、1988年に始まった『松任谷由実のオールナイトニッポン』以降、土曜のみのスポンサー起用がはじまることになる。1999年の『タイトー サタデースペシャル クールKのウルトラカウントダウン』からは冠スポンサーがつくようになり、2002年の『TOSHIBA Presents @llnightnippon.com LF+R リスナーズBEST!』以降、土曜のオールナイトニッポンは"○○ presents ××のオールナイトニッポン"を正式な番組タイトルとしている。 狭いスタジオを使う、ゲストは呼ばない狭いスタジオに閉じこめ孤独感を味わわせることで、聴取者と一対一で喋っているような感覚にさせる。同様にゲストを呼ぶことも禁止した。生放送時のスタッフもディレクターのみと最小限の人数であった。 下ネタはやらない『オールナイトニッポン』開始前は、深夜帯はお色気番組全盛だった。高崎も懇意にしていた盛田昭夫から「これではソニーのトランジスタラジオが売りにくい」と苦言を呈されていたという。 40周年となった2007年10月1日、『BEAT CRUSADERS ヒダカトオルのオールナイトニッポン』に特別出演した斉藤安弘は、「ニッポン放送の品位に関わることであって、それで他局に負けてはならないということで、下ネタはやらなかった。そのため、相手を置かずに一人でやった」と語った。その一方、「下ネタはやらない代わりに、自分は26時になると、トイレの話を専門にしていた」とも言った。 この4つの大原則について、亀淵昭信はのちのインタビューで「受験戦争と若者。深夜帯にはチャンスがあると思っていたでしょう。すべては石田イズムでもいうのでしょうか、石田常務と彼の右腕の羽佐間編成局長には、ラジオの将来的ビジョンがありました。それが深夜帯の番組開発に繋がっていくわけです。企画段階で、若者、特に中学生や高校生、浪人生、大学生を対象にすることが明確に打ち出されました。そして、若者は出演者の名前じゃない、DJもパーソナリティの知名度じゃないんだ、何を聞かせてくれるかなんだ、ということを肝に銘じだのです。“それなら、ウチの社員が使える”という感じで基本的な枠組みが決まって行きました。それが石田や羽佐間の掲げた4か条です」と述べている。 また、亀淵昭信によれば「孤独な寂しがり屋の若い人々に、若者の広場をつくろう」というのが、オールナイトニッポンの番組開始当初のコンセプトだったという。 具体的なコンセプトについて、ニッポン放送新入社員で広報部員だった中川公夫は、「基本は音楽番組の発想、何をしゃべるかについては自分で考える。リスナーからのハガキを使ってもいいし、自分の身辺で起こったことでもいい。困ったら曲をかければいいというイージーな部分をありましたね」と話している。番組としてもこれといったコーナーも設けられず、聴取者からのお便り紹介とパーソナリティ自ら選曲した音楽をひたすら流すというシンプルな番組であった。 そのような初期の番組におけるアイデンティティとして、番組の冒頭の「君が踊り僕が歌うとき、新しい時代の夜が生まれる。太陽の代わりに音楽を、青空の代わりに夢を。フレッシュな夜 をリードする オールナイトニッポン」というフレーズがあげられる。このフレーズは1980年代まで笑福亭鶴光が大きくアレンジして使っていたほか、初代DJの斉藤安弘がパーソナリティを務める2003年 - 2009年にかけて放送された『オールナイトニッポンエバーグリーン』、全日空国際線の機内プログラム、SKY AUDIOの『オールナイトニッポンClassics』の中で聞くことができた。この口上は、当時の番組構成作家、山之井慎によるものである。 先述の若者をターゲットとした番組は好評を博す。それを表すエピソードとして、1967年9月に解散コンサートを行ったアマチュアグループ・フォーク・クルセダーズが卒業記念に自主制作したアルバムの楽曲『帰ってきたヨッパライ』を、高崎一郎がラジオ関西の深夜番組で評判になったのを聞きつけ、1967年10月13日に、ラジオ関西の関係者から、この曲の原盤を手に入れて、1967年10月14日、すぐに、オールナイトニッポンでオンエアした所、リスナーからの反響が大きく、一晩のうちに同じ曲を何回かにわたって放送するほどとなり、それを切っ掛けに全国圏のブームとなり2か月で180万枚の売り上げを記録したことが挙げられる。ちなみに、この曲をTBSラジオのパックインミュージックでも放送しようと検討したものの、『パック』の提供スポンサーである日産自動車 の存在によって、放送することができなかったという。こういった昼間のラジオ番組では決してかけられないようなマイナーな曲や時に反体制的な曲、海外からの新しい音楽を含む深夜番組ならではの選曲が若者を刺激した。
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