番組黎明期とは? わかりやすく解説

番組黎明期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:54 UTC 版)

オールナイトニッポン」の記事における「番組黎明期」の解説

放送開始背景として、1960年代半ば不況と、1964年の東京オリンピックによるテレビ躍進により広告収入激減しラジオ業界にとっては新しリスナーの層と広告主スポンサー)の開拓迫られていた(ラジオ離れ#1960年代参照事がある。その状況対しニッポン放送1964年4月より「オーディエンス・セグメンテーション編成導入し編成方針抜本的に見直していたが、その動き深夜波及したことにある。 放送開始され1960年代後半は、いわゆる団塊の世代大学生生活を送っていた時代であり、『オールナイトニッポン』はそのような大学生、また受験勉強明け暮れている高校生中学生ターゲット絞りそれまでテレビラジオ流れることはほとんどなかったビートルズサイモン&ガーファンクルボブ・ディランなど海外ポピュラーミュージックからザ・フォーク・クルセダーズなど日本フォークソングまで、若者世代最先端を走る音楽ふんだんに流す編成とした。 前身となる番組は、ニッポン放送にて1959年10月10日から放送していた『オールナイトジョッキー』(DJ糸居五郎)となる。子会社の「株式会社深夜放送」 が制作していたこの番組は、糸居が選曲ターンテーブル操作といった通常スタッフが行作業一人でこなすというディスクジョッキースタイルであり、それが局の省力化した番組作れないかという思惑合致していたことから、番組発展させる形で『オールナイトニッポン』は放送開始した1965年8月に、文化放送が、土居まさるDJとして始めた真夜中リクエストコーナー』が「深夜放送原型」としてみていたのが亀淵昭信だったが、亀淵はのちのインタビューで「土居さんは今の放送では当たり前のように使われている擬音語擬声語ふんだんに、しかも上手に使ってそれまでアナウンサーテンポとは全く違う、まるで機関銃のような早口若者たち語りかけたのです。ラジオ放送という概念覆したという意味で、新し時代到来予感させました」と述べている。 放送時間は、当初午前0時スタートがいいのではないかという議論があったが、1967年時点午前0時台には既に多くスポンサー入っていたので、放送改変困難だったため、当初の構想より1時間遅くして、午前1時からのスタート決定したまた、タイトルについては「オールナイトニッポン放送」という案も上がったが、全国ネット化を見据えているという理由で「放送」を取ってオールナイトニッポンとなった1967年10月2日深夜から放送開始放送時間月曜日 - 土曜日25:00 - 29:00翌日未明1:00 - 5:00)。当初DJ(「パーソナリティ」と呼ぶようになったのは1969年頃から)はニッポン放送アナウンサー糸居五郎月曜日)、斉藤安弘火曜日)、高岡尞一郎水曜日)、今仁哲夫木曜日)、常木建男金曜日)、高崎一郎土曜日アナウンサーではなかったが、プロデューサーDJとしてニッポン放送番組出演していた)。初回放送DJは、前身番組オールナイトジョッキー』のDJだった糸居が務めた本番組で最初にかかった曲となる、初回の第1曲目ジェファーソン・エアプレインの「あなただけを」だった。 当時編成局長だった石田達郎当時編成部長だった羽佐間重彰は、番組立ち上げる当たって次のような4つ大原則立てている。 外部タレントではなくアナウンサーディレクターといったニッポン放送内部人間起用する スポンサー付けない提供スポンサーから番組内容口出しされることを嫌ったため、番組開始後1年間スポンサー付けなかった。のちにスポンサー付ける際にも、「協賛スポンサー」という形で、番組内容にはタッチしないことを条件としており、パーソナリティスポンサー名を読み上げる際、「以上各社協賛で…」と付け加えるのはこの原則由来している。この原則2021年現在守られているが、とんねるずや『SUPER!』では「以上各社の提供で」と読み上げていたほか、『X』については通常のスポンサー読みとなっていて、「…(スポンサー名)がお送りします(しています)。」となっている。 これについて、亀淵はのちのインタビューで「番組自由度保持するためにはスポンサー縛られたくはない。とはいっても、無名番組は安い値段でしか売れない人気があれば高く売れる。番組安売りするぐらいだった無理やりスポンサー付ける必要はない。良い番組作って良い放送をすれば、黙っていてもカロリーの高いスポンサー付いてくるはずだ。」と述べている。 協賛原則守っているものの、1988年始まった松任谷由実のオールナイトニッポン以降土曜のみのスポンサー起用がはじまることになる。1999年の『タイトー サタデースペシャル クールKのウルトラカウントダウン』からは冠スポンサーがつくようになり、2002年の『TOSHIBA Presents @llnightnippon.com LF+R リスナーズBEST!』以降土曜オールナイトニッポンは"○○ presents ××オールナイトニッポン"を正式な番組タイトルとしている。 狭いスタジオを使う、ゲスト呼ばない狭いスタジオ閉じこめ孤独感味わわせることで、聴取者一対一喋っているような感覚にさせる同様にゲストを呼ぶことも禁止した生放送時のスタッフディレクターのみと最小限人数であった下ネタはやらないオールナイトニッポン開始前は、深夜帯お色気番組全盛だった。高崎懇意にしていた盛田昭夫から「これではソニートランジスタラジオ売りにくい」と苦言呈されていたという。 40周年となった2007年10月1日、『BEAT CRUSADERS ヒダカトオルのオールナイトニッポン』に特別出演した斉藤安弘は、「ニッポン放送品位関わることであって、それで他局負けてならないということで、下ネタはやらなかった。そのため、相手置かず一人でやった」と語った。その一方、「下ネタはやらない代わりに自分26時になると、トイレの話を専門にしていた」とも言った。 この4つ大原則について、亀淵昭信はのちのインタビューで「受験戦争若者深夜帯にはチャンスがあると思っていたでしょう。すべては石田イズムでもいうのでしょうか、石田常務彼の右腕羽佐間編成局長には、ラジオ将来的ビジョンありました。それが深夜帯番組開発繋がっていくわけです。企画段階で、若者、特に中学生高校生浪人生大学生対象にすることが明確に打ち出されました。そして、若者出演者の名前じゃないDJパーソナリティ知名度じゃないんだ、何を聞かせてくれるかなんだ、ということ肝に銘じだのです。“それなら、ウチ社員使える”という感じ基本的な枠組み決まって行きました。それが石田羽佐間掲げた4か条です」と述べている。 また、亀淵昭信によれば孤独な寂しがり屋若い人々に、若者広場をつくろう」というのが、オールナイトニッポン番組開始当初コンセプトだったという。 具体的なコンセプトについて、ニッポン放送新入社員広報部員だった中川公夫は、「基本音楽番組発想何をしゃべるかについては自分考える。リスナーからのハガキ使ってもいいし、自分身辺起こったことでもいい。困ったら曲をかければいいというイージー部分ありましたね」と話している。番組としてもこれといったコーナー設けられず、聴取者からのお便り紹介パーソナリティ自ら選曲した音楽ひたすら流すというシンプルな番組であったそのような初期番組におけるアイデンティティとして、番組冒頭の「君が踊り僕が歌うとき、新し時代の夜が生まれる。太陽代わりに音楽を、青空代わりに夢を。フレッシュな夜 をリードする オールナイトニッポン」というフレーズあげられる。このフレーズ1980年代まで笑福亭鶴光大きくアレンジして使っていたほか、初代DJ斉藤安弘パーソナリティ務め2003年 - 2009年にかけて放送された『オールナイトニッポンエバーグリーン』、全日空国際線機内プログラムSKY AUDIOの『オールナイトニッポンClassics』の中で聞くことができた。この口上は、当時の番組構成作家山之井慎によるものである。 先述若者ターゲットとした番組好評を博す。それを表すエピソードとして、1967年9月解散コンサート行ったアマチュアグループ・フォーク・クルセダーズが卒業記念自主制作したアルバム楽曲帰ってきたヨッパライ』を、高崎一郎ラジオ関西深夜番組評判になったのを聞きつけ、1967年10月13日に、ラジオ関西関係者から、この曲の原盤手に入れて1967年10月14日、すぐに、オールナイトニッポンオンエアした所、リスナーからの反響大きく一晩のうちに同じ曲を何回かにわたって放送するほどとなり、それを切っ掛け全国圏のブームとなり2か月で180万枚売り上げ記録したことが挙げられるちなみに、この曲をTBSラジオパックインミュージックでも放送しようと検討したものの、『パック』の提供スポンサーある日自動車存在によって、放送することができなかったという。こういった昼間のラジオ番組では決しかけられないようなマイナーな曲や時に反体制的な曲、海外からの新し音楽を含む深夜番組ならではの選曲若者刺激した

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