高岡尞一郎とは? わかりやすく解説

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高岡尞一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 01:41 UTC 版)

高岡 尞一郎[1] (たかおか りょういちろう)は、元ニッポン放送アナウンサー。「」の字がJIS X 0208に無い文字(JIS X 0213に収録)であることなどから、「高岡 一郎」と記される場合もある[2][3][4]

人物

早稲田大学卒業後、ニッポン放送入社。

1967年にスタートした看板番組『オールナイトニッポン』の初代パーソナリティとして一躍有名になった。

しかし、声帯にポリープを発症、ディレクターへの転身を進められたが断り、1970年、オールナイトニッポンを降板するとともにニッポン放送を退職した[5]

1971年11月1日のニッポン放送の周波数変更(1310kc→1240kc)を記念して放送された『マラソンワイド・100時間』では、1310kcとして最後、そして1240kc最初の番組進行を行なった。

1997年11月7日に放送された『いまに哲夫オールナイトニッポンDX』では、久々に電話で出演した。

担当番組

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ ニッポン放送編『ラジオ・カタログJOLF』(サンケイ出版刊、1982年6月15日発行)、日本民間放送連盟編・発行『民間放送全職員人名簿』各年度版のほか、高岡本人の声が収録されているLPレコード『オールナイトニッポン』(キャニオンレコード、1970年12月発売)にも名前は「高岡尞一郎」と記されている。
  2. ^ a b 『ラジパラ』P100より、1967年から1972年までの『オールナイトニッポン』パーソナリティ一覧表を参照。
  3. ^ a b 『俺たちのオールナイトニッポン』(『オールナイトニッポン』40周年記念特設サイト)より、『オールナイトニッポン』担当当時の年度別パーソナリティ一覧。
  4. ^ アンコーさん、オールナイトニッポンの思い出を語る<その1>~ラジオの深夜放送が熱かった時代~[1] - 日経BP セカンドステージより、「1967年10月1日深夜、糸居五郎を皮切りに、齋藤安弘、高岡寮一郎、今仁哲夫、常木建男、高崎一郎の各パーソナリティの声が深夜のラジオから流れ始めた。『オールナイトニッポン』放送開始である。」との記述あり。
  5. ^ 村野まさよし著『深夜放送がボクらの先生だった』(2008年8月1日発売・11日発行、発売元:実業之日本社・発行元:有楽出版社)ISBN 4408593303

参考資料




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