略歴・活動
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沖縄県那覇市に生まれたが、一家が戦火を避けて1944年に宮崎県に疎開し、翌年に兵庫県尼崎市に移ったため、そこで育つ。尼崎市立小田南中学校を経て、兵庫県立尼崎高等学校卒業。中学生時代から高校生時代にかけ、毎日新聞阪神版や毎日中学生新聞の投稿コーナーの常連となったほか、寺田ヒロオが選者をつとめていた『漫画少年』『野球少年』の常連投稿者になり、やがて個人的な親交を結んだ。高校時代は、美術部へ入部しつつ通信教育を受講し、デッサンの基礎を学んだ。 卒業後、塗料会社、農機具業界紙の編集プロダクションを経て、新大阪新聞の成人向け記事のイラスト・題字カット制作に従事。腕前が認められ、『すたみなコイさん』で連載漫画デビュー。そのかたわら、大阪・桜橋の画塾「クロッキー研究所」へ通い、改めて絵を勉強し直した。 新聞社の紹介で面会した大阪在住の児童漫画家・中村治之が東京で活動することをすすめ、砂川は1964年5月に上京し、持ち込み活動を開始。同じように下積みをつづけていた同年代の秋竜山、谷岡ヤスジと知り合い、親交を結んだ。砂川は中村の仲介によって知己を得ていたサトウサンペイに漫画サンデー編集長・峯島正行の紹介を受け、1969年、同誌で『寄らば斬るド』の連載を開始。時代劇のパロディ漫画を得意とし、デビュー当初は時代小説を多く載せていた中間小説各誌で連載を抱える売れっ子となるが、1974年に僧帽弁狭窄症を患い、半年間休業。 漫画だけでなく、絵本を多く執筆したほか、『週刊朝日』で造詣が深いクラシック音楽に関するイラストつきエッセイの連載を長年続けた。エッセイは順次書籍化され、のべ十数冊に達し、業界外部の筆者としては群を抜いた。 2019年3月6日、うっ血性心不全のため死去。77歳没。
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略歴・活動
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2000年、山本晶子がパーカッショングループフラワービートを結成。 2012年1月10日、NHKしずおか「たっぷり静岡」で、リーダー山本晶子の音楽活動と、フラワービートの公演の様子が放映された。 2012年3月5日、静岡新聞朝刊「音楽の現場から」に中学校での芸術鑑賞会公演が特集される。
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略歴・活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 06:37 UTC 版)
劇作家で僧侶上杉清文門下にてアングラ修行に勤しみつつ、田口トモロヲ、沼田元気に学び、末井昭を上司に「写真時代」編集部員だった頃も。以後、歌舞伎町台湾クラブママ・スーザン、大人計画、マシュマロ・ウェーブ木村健三、毛皮族。
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略歴・活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 21:31 UTC 版)
東京都杉並区出身。クラシック、ジャズ、ロックといったジャンルを自由に横断する、幅広い音楽性の持ち主。 3歳の頃にヴァイオリンに惹かれ、4歳でヴァイオリンを始める。 高校時代にはプロとして活動開始。その後、東京芸術大学に進学。 1980年頃、上田知華のバック弦楽四重奏団「KARYOBIN」に参加。 1984年に飛鳥ストリングスを結成、2枚のオリジナルアルバムをリリース。飛鳥ストリングスは、尾崎豊の『街路樹』、浜田省吾の『その永遠の一秒に ~The Moment Of The Moment~』、ユニコーンの『SPRINGMAN』、ソウル・フラワー・ユニオンの『向日葵の夢』、ソウルシャリスト・エスケイプの『短距離走者の孤独』など、多くの作品に参加。 1987年にAdi(佐藤正治、金子飛鳥、渡辺等、塩谷哲)を結成。 東急文化村の10年間に渡る連続企画「Asian Fantasy Orchestra」の中核メンバー、音楽監督を歴任。仙波清彦はにわオールスターズ東南アジア公演。 1992年、初のソロ・アルバム『MULTI-VENUS』発表。 1996年、坂田明/Bill Lazwellの共同project「ミジンコ空艇楽団(Flying Mijinko_Band)」で中央アジアツアー(モンゴル、ウズベキスタン)。 1996年から4年半、ハワイ・オアフ島に移住。 1998年、ニューヨーク在住振付家・Yoshiko Chuma(英語版)の「Unfinished Symphony」で Bessie Composition Award in N.Y.(英語版)を受賞。映画『カンゾー先生』の音楽に参加。 2000年から2004年、金子飛鳥Acoustic unitにて、Japan Foundation主宰のヨーロッパ公演。ヤヒロトモヒロ(元JAGATARA)などと共に、GAIA CUATROを結成。 同年、フジ・ロック・フェスティバルに、ジミ・ヘンドリックスのトリビュートバンドの一員として出演。 2005年、アフリカ公演等、数多くの海外公演を行い好評を博した。 2008年、映画『西の魔女が死んだ』の音楽に、ヴァイオリン奏者として参加。 2011年より東日本大震災支援「本・つながる・未来」継続イベントを主催。音と言葉による創造的な時間を通して「いのち」のあり方と「つながり」を考え続ける。 デビュー以来、膨大なアレンジワークやスタジオセッション、コンサートサポートに参加、『ファイナルファンタジー』シリーズ(鈴木光人作曲)のストリングスアレンジなども手がけている。 2016年、Amy Camie(ハープ)とのデュオ・アルバム『Nebula』をリリース。 2017年、林正樹(ピアノ)とのデュオ・アルバム『Delicia』をリリース。 2018年、福山雅治のドームツアー「FUKUYAMA MASAHARU DOME LIVE 2018-暗闇の中で飛べ-」、三宅純 special group(ブルーノート東京他)、Wong WingTsan pianoコンサート(浜離宮ホール)に参加。 2019年まで何年も継続している大貫妙子 Pure acoustic concert などで絶賛される。 演劇の音楽監督(栗山民也演出:炎立つ、トロイ戦争は起こらない、Caligula他)、 CM音楽の作曲(サントリーアルプス天然水 – vsop CMアレンジ大賞他)、 舞踏家との即興コラボレーション(岩下徹、山田せつこ他)も手がける。サポートワーク(大貫妙子, Jane Birkin, 佐野元春, 山下洋輔, 三宅純, 挾間美帆ほか)も多数行っており、国内外の重鎮アーティストの信頼を得ている。 今までに50ヶ国以上で公演、オリジナルCD27枚。 2020年、活動を継続している主なユニット。Gaia Cuatro (Japanese-Argentinian combo)。 http://www.abeatmanagement.com/site/index.php/en/gaia-cuatro Ubiquitous (Ethnic progressive electric trio with 鬼怒無月、 ヤヒロトモヒロ)。 林正樹(ピアノ)とのデュオ。 北村聡(バンドネオン)とのデュオ。 Amy Camie(ハープ)とのデュオ。 Pheeroan aska project (Altanative Jazz with Pheeroan akLaff : Ds, Perc,)。 yuLa - 鈴木光人とのエレクトロ・アンビエント・デュオ。2020年1月30日、アルバム『Ambient Works』を配信。http://project-yula.com A- Un(あ・うん) - オガワアキラ(Gr, Electronics, Pf)とのポスト・クラシック・デュオ。 シングル『OIRASE』『Arrival』『cosimc scale』を配信。 2020年7月、活動名を金子飛鳥からマレー飛鳥(Aska Maret)に改名した。
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略歴・活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 04:24 UTC 版)
医師の家に生まれる。幼少時代は絵画・彫刻などを嗜む。 千葉県にある全寮制の暁星国際高等学校に入学し、美術に詳しい数学教師に影響を受け、サルバドール・ダリやマルセル・デュシャンなどシュールレアリズムに傾倒する。親が医師だったからという理由で昭和大学医学部に進学し、1年生時に全寮制の富士吉田キャンパスで開かれたクリスマスイベントをきっかけにして、休部状態だった演劇部を復活させる。明治大学の「騒動舎」がしていたようなコメディをやってみたいという思いから、2000年に演劇部のメンバーと「庭劇団ペニノ」を結成・旗揚げ。劇団名の由来は「ペニス」+「タニノ」。 以後、同劇団の脚本・演出を担当(初期はチラシ画、美術なども担当)。脚本をシナリオ形式ではなく、絵コンテ形式で書く手法を取っている。 2002年、ガーディアンガーデン演劇フェスティバルに参加。 2003年、医師免許取得。以後、病院勤務(精神科)と並行して演劇活動を継続。 通常の劇場での公演とは別に、自宅マンションや野外に劇場を建て込んだり、インスタレーションの様な舞台を嗜好するなど常に演劇の枠組みを広げる活動を行っている。2007年より、劇団以外での活動(演出)を本格的に開始する。 また、2004年の台湾招聘公演を皮切りに、近年はEU圏(ドイツ・スイス・オランダ・ベルギー・フィンランド・オーストリア・デンマーク・フランスなど)の演劇祭や北米5都市の劇場から招聘を受け、ツアー公演を頻繁に行っており現地での高い評価を受けている。 2007年に「野鴨」にて第7回バッカーズ演劇奨励賞を受賞し、2008年に「笑顔の砦」、2009年に「星影のJr.」が第52、53回岸田國士戯曲賞(白水社)の最終候補作品にノミネートされ、 2016年に自身の出身である富山県を舞台にした作品「地獄谷温泉 無明ノ宿」において第60回岸田國士戯曲賞を受賞。 2016年度北日本新聞芸術選奨を受賞した。 第71回文化庁芸術祭優秀賞を受賞。 2018年富山ひまわり賞特別賞を受賞。 2019年第36回とやま賞(文化・芸術部門)を受賞。
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