古寺
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古寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 20:11 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動古寺(こじ、ふるでら)とは、古びた寺院または、古くなって荒れ果てた寺院。古くから存在する由緒ある寺院などをいう。さらに、日本の地名に古寺(こでら、ふるでら、ふるてら)がある。
なお、「寺院」という語が広義では仏教以外の諸宗教における類似の施設をも指すのと同様に、「古寺」もそのような語義を持っている。他方、後述する古刹(こさつ)の場合は、道教寺院を例外として、そのような用法はほとんど見られない。
古びた寺
単に「古びた様子の寺院」を指すもので、歴史的価値を問題とはしない。
古くなり荒れ果てた寺
類義語として、廃止された寺を意味する廃寺(はいじ)があるが、古寺は、廃止されているか否かは問わず、廃寺も含め荒廃した寺院を刺す。歴史上にも、兵火を被るなどして失うもの多く、そのまま衰退の一途をたどって消えていった寺がある一方で、こうした古寺が有力な庇護者を新たに得ることで復興を果たした例も少なくない。
また、荒れ寺/荒寺(あれでら)も類義語であるが、人の手が入らず荒れ果てた状況にある寺のことであって、古いかどうかは問題としない。
歴史ある寺
古寺名刹(こじ めいさつ)という語があるように、古寺(歴史ある寺。有名かどうかは別義)と名刹(名高い寺。古いかどうかは本来は別義)は微妙に異なるものを指すが、歴史ある名刹は、古刹(こさつ)と呼ばれる。なお、「古寺」「名刹」「古刹」は中国語でも日本語と同様に用いられる[1]。
日本では、例えば四国遍路などといった信仰心に基づく寺院(神仏習合の下では寺社)の巡礼は、古くから行われており、とりわけ泰平の世となった江戸時代には、よく整備された街道を礎として、流通や大衆文化の発達に伴って観光という別の動機を大いに交えながら空前の隆盛期を迎えたが、当時はとくに「古寺」を愛でたわけではなく、目的地である名刹の多くが歴史ある名刹──すなわち、古刹──であったということであって、古寺巡礼(こじ じゅんれい)という現代的感覚とは乖離している。その点で近代以降の巡礼はそれ以前の巡礼とは異なるところがあり、今も昔も信仰篤い人々がいることは確かであるが、「古寺巡礼」という信仰目的とは関係の無いフレーズが重用されることからも分かるように、観光色がいっそう強いものとなっている。さまざまな形態の古寺観光が「古寺巡礼」の名のもとで盛んに行われている現代では、古寺観光や巡礼に関する書物が数多く出版されている。このような純粋な「巡礼」から「巡礼の名のもとに行われる観光」への変化は日本に限らず、仏教文化圏、とくに大乗仏教の文化圏では一様に見られる時代的変化である。
遺跡化した寺
漢字文化圏のうち、とくに中国語圏では、俗語表現としてであるが、莫高窟のような石窟寺院やアンコール・ワットのような石造寺院、すなわち遺跡化した寺院にも、「古寺」という語を用いることがある。
地名
関連項目
関連書籍
- 和辻哲郎『古寺巡礼』岩波書店 (岩波文庫) 、1979年3月16日。ISBN 4-00-331441-7
脚注
外部リンク
古寺(寒山寺)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 03:45 UTC 版)
照壁 西のややオレンジがかった黄色い照壁が境内への入口となっている。門前には「江蘇省文物保護単位」の標識碑がある。 大雄宝殿・羅漢堂 境内中央には、本堂にあたる大雄宝殿があり、仏事はここでおこなわれる。クスノキの一刀彫りで金色に彩色された釈迦牟尼仏、阿難、迦葉の像があり、脇には十八羅漢が並んでいる。羅漢堂の向かい側には、鐘房と碑廊があり、数多くの鐘や古い詩碑が保管されている。 大雄宝殿の前庭には香炉が置かれており、常に参詣客の線香が絶えない。 なお、大雄宝殿の外には、唐代に建てられたという「釈迦牟尼説法図」の石碑がある。 鐘楼 大雄宝殿の南東側には、屋根の大きく反り返った2階建ての鐘楼があり、観光客はそこで鐘を撞くことができる。鐘楼の前には「聴鐘石」と刻された自然石が置かれており、記念写真の撮影スポットとなっている。 寒拾殿 境内東側にあり、金色に彩色された寒山と拾得の像が安置されている。 普明宝塔 境内東端、最奥に所在する普明宝塔は、1995年12月に建てられた高さ52メートルの木造の塔で、唐の楼閣式仏塔を模したものである。
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「古寺」の例文・使い方・用例・文例
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