古寛永
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寛永13年6月(1636年)、幕府が江戸橋場と近江坂本に銭座を設置。公鋳銭として寛永通宝の製造を開始。 主な鋳造所は幕府の江戸と近江坂本の銭座であった。しかし水戸藩、仙台藩、松本藩、三河吉田藩、高田藩、岡山藩、長州藩、岡藩等でも幕府の許可を得て銭座を設けて鋳造していた。 やがて、銭が普及したことから寛永15年(1638年)に1貫文=銀23匁前後であった銭相場が16年(1639年)に1貫文=銀16匁まで下落したため、『銭録』によれば寛永17年8月(1640年)に一旦銭座を停止したとある。ただし、これは諸藩に置かれた銭座に関する停止で、江戸や坂本・京都・大坂など幕領における銭座停止はもう少し遅く、寛永18年12月23日付で出された老中連署奉書によったとみられている。また、安国良一は銭相場の下落の原因は寛永飢饉(物価の上昇と銭の需要が強い庶民層への打撃)の影響が大きかったとしており、幕府は銭座に残った寛永通宝を公定価格で買い上げたり、宿場町に拝借金・拝借米を与えて寛永通宝で返済させることで幕府への事実上の回収(飢饉が収まって銭相場が安定した時点で再放出を意図している)を図ったりしている。また、当初の高水準の銭相場を背景にした運上を含めた利益を見込んだ幕府・銭座による過剰生産を抑止しきれなかったことや、原料の錫の不足などによる公鋳の銭座側の事情による部分と私鋳銭による部分によって生じた質の低下(皮肉にも銭座による鋳造停止による職人の失業が私鋳銭に拍車をかける)など、多くの課題も浮上しており、その後の鋳銭事業に生かされることになる。 その後銀12匁まで下落していたが、承応から明暦年間にかけて再び銭相場が銀18匁前後まで高騰したため、承応2年(1653年)、明暦2年(1656年)に銭座を設けて鋳銭を再開する。 これらの古寛永は大局的には以下のように分類される。鋳銭地は古銭収集界で現存するものを当てはめたものであり、これらの内発掘などで銭籍が確定しているものは一部のみであり、長門銭、水戸銭の一部、および松本銭である。 寛永13年(1636年)銭座設置 浅草銭/御蔵銭(あさくさせん/おくらせん):江戸浅草橋場の銭座で鋳造。 芝銭(しばせん):芝網縄手で鋳造。「通」字の之繞および「永」字などの点が草書体となった「草点」のものが多い。 坂本銭(さかもとせん):近江坂本で鋳造。「永」字が撥ねるものが多い。 寛永14年(1637年)銭座設置 水戸銭(みとせん):常陸水戸で鋳造。 仙台銭(せんだいせん):陸奥仙台で鋳造。 吉田銭(よしだせん):三河吉田で鋳造。 松本銭(まつもとせん):信濃松本で鋳造。「寳」が仰いでおり「斜寳」と呼ばれる。鋳銭を請負った今井家に書状と未仕上げの枝銭が残されており、(現在は松本市に寄贈され、松本市立博物館で展示されている。)その書体(「斜寶縮寶」)より、松本銭が確定した。 高田銭(たかだせん):越後高田で鋳造。 萩銭/長門銭(はぎせん/ながとせん):長門萩美弥郡赤村で鋳造。 岡山銭(おかやません):備前岡山で鋳造。 竹田銭(たけたせん):豊後竹田で鋳造。従来「斜寳」が充てられていたが、松本銭であることが確定した。 寛永16年(1639年)銭座設置 井之宮銭(いのみやせん):駿河井之宮で鋳造。井之宮銭とされていたものは発掘事実により岡山銭に変更される。「寛」字が小さく「縮寛」と呼ばれる。 承応2年(1653年)銭座設置 建仁寺銭(けんにんじせん):京都建仁寺で鋳造。建仁寺銭とされているものは長崎鋳造との説もあり。 明暦2年(1656年)銭座設置 沓谷銭(くつのやせん):駿河沓谷で鋳造。 鳥越銭(とりごえせん):浅草鳥越で鋳造。 古寛永の総鋳造高については詳しい記録が見当たらず不明であるが、鋳銭目標などから推定した数値では325万貫文(32億5千万枚)とされ、この内、鳥越銭が30万貫文(3億枚)、沓谷銭は20万貫文(2億枚)との記録もある。 寛永年間鋳造寛永通寳寛永13年(1636年)称浅草銭御蔵銭 寛永通寳寛永13年(1636年)称芝銭二草点 寛永通寳寛永13年(1636年)称坂本銭跳永 寛永通寳寛永14年(1637年)称水戸銭力永 寛永通寳寛永14年(1637年)称仙台銭中字 寛永通寳寛永14年(1637年)称吉田銭広永 寛永通寳寛永14年(1637年)称松本銭太細 寛永通寳寛永14年(1637年)称高田銭笹手永 寛永通寳寛永14年(1637年)長門銭俯永 寛永通寳寛永14年(1637年)称岡山銭離頭通 寛永通寳寛永14年(1637年)松本銭旧称竹田銭斜寳 寛永通寳寛永16年(1639年)?岡山銭旧称井之宮銭縮寛 承応・明暦年間鋳造寛永通寳承応2年(1653年)称建仁寺銭大字 寛永通寳明暦2年(1656年)称沓谷銭正足寳 寛永通寳明暦2年(1656年)称鳥越銭
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