古宮殿時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 14:23 UTC 版)
富の蓄積によって富裕層が生まれ、紀元前2000年頃、クノッソスを含むクレタ各地に宮殿が建ち始めた。これらの宮殿は計画的に建設されており、また、規格化もなされている。そのため、クノッソス、マリア、フェストス、ザクロスで発見されたそれぞれの宮殿は基本的に同一な構造である。これらの宮殿の規格、構造が同一であることは何らかの人物が主導したと想像されており、この宮殿の成立によってミノア文化の人々が支配する側と支配される側と二分化が始まっていたと思われる。また、宮殿は中央に長方形の広場が形成され、その周囲に各種機能を担うブロックが配置されているが、この西側にはさらに広場が構築されている。この西側の広場から宮殿を見た時に宮殿が最も威容を持つようにされており、ここにも二分化の傾向が暗示されている。 この古宮殿は、内装にフレスコ画が描かれていたり、複雑な作りの貯蔵庫があったり、その豪勢さと壮大さは新宮殿に劣らぬ規模であったが、紀元前1700年頃に起こった大地震によって崩壊してしまった。今までは地震が起きる度に壊れた部分を修復していたが、想像を絶する大地震に、修復が追い付かないほどの大損害を被ってしまったのである。その為、古宮殿を取り壊し、その上に新しい宮殿を作る計画が生まれた。
※この「古宮殿時代」の解説は、「クノッソス」の解説の一部です。
「古宮殿時代」を含む「クノッソス」の記事については、「クノッソス」の概要を参照ください。
- 古宮殿時代のページへのリンク