ミノア文明以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 00:22 UTC 版)
ミノア文化における編年年代土器による編年文化推移による区分前3650年-3000年 EMI 前宮殿時代 前2900年-2300年 EMII 前2300年-2160年 EMIII 前2160年-1900年 MMIA 前1900年-1800年 MMIB 古宮殿時代(第1宮殿時代) 前1800年-1700年 MMII 前1700年-1640年 MMIIIA 新宮殿時代(第2宮殿時代) 前1640年-1600年 MMIIIB 前1600年-1480年 LMIA 前1480年-1425年 LMIB 前1425年-1390年 LMII 諸宮殿崩壊後の時代 (最終宮殿時代) 前1390年-1370年 LMIIIA1 前1370年-1340年 LMIIIA2 前1340年-1190年 LMIIIB 前1190年-1170年 LMIIIC 前1100年 亜ミノア文化 クレタ島ではギリシャ本土やキクラデス諸島と並行しながら独自の進化を遂げていた。そのため、本土や島嶼部で発掘されるソースボートはクレタ島では稀にしか発見されず、その逆にクレタ島で発掘されるヴァシリキ様式(de)ティーポットは本土や島嶼部で発見されることは稀である。 そのため、初期青銅器時代にキクラデス諸島での文化断絶が発生したにもかかわらず、クレタ島ではその傾向は見られず、中期青銅器時代に至ると宮殿が築かれるようになった。この青銅器時代の文化推移についてクレタ島ではエーゲ海で見られる初期、中期、後期と並行した形で前宮殿時代、古宮殿(第1宮殿)時代、新宮殿(第2宮殿)時代、諸宮殿崩壊後(最終宮殿、もしくはクレタのミケーネ)時代という区分が用いられることが多い。なお、各時代は土器の様式の変化に伴い、右の表のように細分化されている。 ミノア文化の盛衰については研究者のあいだでも議論が続いており、高編年を取る者、低編年を取る者の間で100年ほどの差が出ている。ミノア文化について明らかにするには線文字Aの解読、宮殿から得られる情報の整理、宮殿周囲の都市やヴィラ、聖域なども考慮して研究することが必要であるとされており、研究が続いている。
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