狩野探幽 狩野探幽の概要

狩野探幽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/23 03:39 UTC 版)

狩野 探幽
本名 山城国
誕生日 慶長7年1月14日(1602年3月7日)
死没年 延宝2年10月7日(1674年11月4日
死没地 江戸
国籍 日本
流派 狩野派
代表作 二条城障壁画、名古屋城障壁画
影響を受けた
芸術家
雪舟 狩野永徳
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生涯

慶長7年(1602年)、狩野孝信の長男として京都で生まれる。尚信安信は弟、姉は狩野信政に、妹は神足高雲(常庵・守周)に嫁いだ。また久隅守景の妻国は姪、狩野寿石は甥または孫、江戸幕府3代将軍徳川家光正室御台所鷹司孝子は母方の従姉に当たる。子に探信(守政)、探雪、狩野信政室、養子に益信[* 1][4][5]

慶長17年(1612年)、駿府徳川家康に謁見し、元和3年(1617年)、江戸幕府の御用絵師となり、元和7年(1621年)には江戸城鍛冶橋門外に屋敷を得て、本拠を江戸に移した。江戸城二条城名古屋城などの公儀の絵画制作に携わり、大徳寺妙心寺などの有力寺院の障壁画も制作した。山水、人物、花鳥など作域は幅広い。

元和9年(1623年)、狩野宗家を嫡流の従兄・貞信の養子として末弟安信に継がせて、自身は鍛冶橋狩野家を興した。探幽には嗣子となる男子がなかったため、刀剣金工家・後藤立乗の息子・益信(洞雲)を養子にしていた。その後、50歳を過ぎてから実子守政と探雪が生まれたため、守政が鍛冶橋家を継いだ。しかし、探幽の直系である鍛冶橋狩野家から有能な絵師が輩出されることは、6代後の子孫である狩野探信(守道)とその弟子沖一峨を僅かな例外として殆どなかった。

探幽の作品は制作年代(署名の形式の変化)により、誕生から34歳までの「宰相・釆女(うねめ)時代」、34歳から60歳までの「斎書き時代」、60歳から死没までの「行年(こうねん)時代」の三期に分けられる[6]

延宝2年(1674年)、死去。享年73(満72歳没)。戒名は玄徳院殿前法眼守信日道。墓所は池上本門寺。墓の形は、瓢箪を象っている。弟子も多く、久隅守景、神足高雲、桃田柳栄(守光)、尾形幽元(守義)ら探幽四天王に加え、京都で鶴澤派をおこした鶴澤探山会津藩御用絵師となった加藤遠澤など。

評価

若年時は永徳風の豪壮な画風を示すが、後年の大徳寺の障壁画は水墨などを主体とし、墨線の肥痩を使い分け、枠を意識し余白をたっぷりと取った瀟洒淡泊、端麗で詩情豊かな画風を生み出した。探幽は、画面地を一つの不透明で均質な平面と考え、そこに山水や人物が描かれることによって生じる絵画空間とは次元の異なる意味を持たせようとした。絵画空間にはモチーフが断片的にしか描かれていなくても、地の素材に由来する安定した均一性によって、画面に堅固な統合性を与えている。この画法は、描かれた部分のみ見ると、筆致が荒く、モチーフの形も中途半端な粗雑な画に見える。しかし、濃墨ではなく最も薄い墨色で表された部分に注目して、薄墨と画面地との間に暗示される景観の展開を想像で補いながら追うと、薄墨と画面地の間に柔らかい光を帯びた、深く潤いに満ちた景観が立ち上がってくる[7]

この画法は掛け軸等の小作品でも生かされ、その中に彼の芸術的真骨頂を見いだすのも可能である。その一方、大和絵の学習も努め、初期の作品は漢画の雄渾な作画精神が抜け切れていないが、次第に大和絵の柔和さを身に付け、樹木や建物はやや漢画風を残し、人物や土波は大和絵風に徹した「新やまと絵」と言える作品も残している。江戸時代の絵画批評では、探幽を漢画ではなく「和画」に分類しているのは、こうした探幽の画法を反映していると云えよう。粉本主義と言われる狩野派にあって探幽は写生も多く残し、尾形光琳がそれを模写しており、また後の博物画の先駆と言える。

探幽の画風は後の狩野派の絵師たちに大きな影響を与えたが、彼の生み出した余白の美は、後世の絵師たちが模写が繰り返されるにつれ緊張感を失い、余白は単に何も描かれていない無意味な空間に堕し、江戸狩野派の絵の魅力を失わせる原因となった。すでに晩年の探幽自身の絵にその兆候が見られる。近代に入ると、封建的画壇の弊害を作った張本人とされ、不当に低い評価を与えられていた。しかし近年、その真価が再評価されている。

ギャラリー


注釈

  1. ^ 『古画備考』などで信政は初め探幽の姉を妻にしたとされ、後に探幽の娘を妻にしたとされる。しかし益信の実家の後藤家系図では信政の妻は益信の異母姉「妙息」とする異説もあり、いずれが正しいか不明(信政が3度結婚した、あるいは妙息が探幽の養女として信政に嫁いだ可能性も推測される)。信政の息子寿石と探幽の続柄も甥(叔父)か外孫(外祖父)どちらかに分かれている[2][3]

出典

  1. ^ 狩野探幽』 - コトバンク
  2. ^ 榊原悟 2014, p. 514.
  3. ^ 門脇むつみ 2014, p. 122.
  4. ^ 榊原悟 2014, p. 17-21,514-515.
  5. ^ 門脇むつみ 2014, p. 30.
  6. ^ 影山幸一. “狩野探幽《雪中梅竹鳥図》軽やかに晴れやかに、綺麗の美──「榊原悟」(artscape 2016年12月15日号)”. 大日本印刷. 2020年8月30日閲覧。
  7. ^ 鬼原 (1998)。
  8. ^ 愛知県史編さん委員会編集 『愛知県史 別編 文化財2 絵画』 愛知県、2011年3月31日、pp.530-533。
  9. ^ 門脇むつみ「《作品紹介》狩野探幽筆、玉室宗珀・沢庵宗彭・江月宗玩賛「堀直寄像」『MUSEUM 東京国立博物館研究誌』第641号、2012年12月、pp.69-77
  10. ^ 紙本著色伊達政宗画像 狩野探幽筆 - 仙台市の指定・登録文化財
  11. ^ 仙台市博物館編集・発行 『特別展図録 伊達政宗―生誕450年記念』 2017年10月7日、第202図。
  12. ^ 京都国立博物館 毎日新聞社編集 『特別展覧会 桃山時代の狩野派―永徳の後継者たち―』 毎日新聞社 NHK京都放送局 NHKプラネット近畿、2015年4月7日、pp.248,281。
  13. ^ 京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課編集発行 『京都市文化財ブックス第21集 京の障壁画―京都市指定・登録障壁画集成― 附 第24回京都市指定・登録文化財』 2007年2月13日、pp.92-93。
  14. ^ 山下善也 「狩野探幽と獺図と黒田忠之像」福岡市美術館編集・発行 『狩野派と福岡展』 1998年2月3日、pp.62-66。
  15. ^ 小林法子 「狩野探幽筆 獺図」『国華』第1129号、1989年。
  16. ^ 図録(2002)p.223。
  17. ^ 京都国立博物館編著 『特別展覧会 御即位二十年記念 京都御所ゆかりの至宝―蘇る宮廷文化の美―』 京都新聞社 NHK NHKプラネット、2009年1月10日、第66図。
  18. ^ 愛知県史編さん委員会編集 『愛知県史 別編 文化財2 絵画』 愛知県、2011年3月31日、p.536。
  19. ^ 門脇むつみ 「詩仙図について」『文学』11巻3号、岩波書店、2010年。
  20. ^ 徳川美術館 中日新聞社文化事業部編集『徳川美術館展 尾張徳川家の至宝』 中日新聞社、2013年1月2日、pp.190-191。
  21. ^ 『松平・徳川氏の寺社』(岡崎市美術博物館、2000年)に全図掲載。
  22. ^ 花園大学歴史博物館編集・発行 『花園大学歴史博物館二〇一三年度春季企画展 大圓宝鑑國師三五〇年遠忌記念 大仙寺展』 2013年4月2日、pp.40-41,88-89。
  23. ^ 守屋正彦狩野探幽筆「野外奏楽図・猿曳図」屏風とその儒教的主題について」『藝叢 : 筑波大学芸術学研究誌』第31巻、筑波大学大学院人間総合科学研究科芸術学研究室、2016年3月、58(1)-47(12)、ISSN 0289-4084NAID 120006343849 
  24. ^ 『館蔵品名品選集』 一般財団法人 今治文化振興会 今治市河野美術館、2019年3月28日、第42図。
  25. ^ 門脇むつみ 「狩野探幽筆、翠巌宗珉ほか賛「荒尾崇就像」(景福寺)について」『大和文華』第131号、大和文華館、2017年3月31日、pp.1-11。
  26. ^ 富山市佐藤記念美術館編集発行 『特別展 とやまの寺宝 ―花鳥山水 お寺に秘された絵画たち―』 2014年10月4日、第4図。
  27. ^ a b c 「大徳川展」主催事務局編集・発行 『大徳川展』 2007年10月10日、第252-254図。
  28. ^ a b 京都市文化市民局文化部文化財保護課編集発行 『京都市文化財ブックス第11集 京都近世の肖像画』1996年2月、pp.40-41
  29. ^ 幽美を求めて ― 墨から墨まで ― │ 大阪市立美術館
  30. ^ 榊原悟 「狩野探幽筆 桐鳳凰図屏風」『国華』第1258号、国華社、2000年8月20日、pp.9-16。
  31. ^ 京都国立博物館 東京国立博物館 朝日新聞社編集 『亀山法皇七〇〇年御忌記念 南禅寺』 朝日新聞社、2004年、図2。
  32. ^ 京都国立博物館 東京国立博物館 朝日新聞社編集 『亀山法皇七〇〇年御忌記念 南禅寺』 朝日新聞社、2004年、図87。
  33. ^ 愛知県史編さん委員会編集 『愛知県史 別編 文化財2 絵画』 愛知県、2011年3月31日、pp.478-479。
  34. ^ 京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課編集発行 『京都市文化財ブックス第21集 京の障壁画―京都市指定・登録障壁画集成― 附 第24回京都市指定・登録文化財』 2007年2月13日、図6。
  35. ^ 鬼原俊枝 「狩野探幽筆 瀟湘八景図屏風」『国華』第1259号、国華社、2000年9月20日、pp.13-19。
  36. ^ 野口剛 五十嵐公一 門脇むつみ 『天皇の美術史4 雅の近世、花開く宮廷絵画 江戸時代前期』 吉川弘文館、2017年10月20日、口絵4、p.230、ISBN 978-4-642-01734-3
  37. ^ 栃木県立博物館編集・発行 『平成十七年度秋季企画展 祈りのすがた ―下野の仏画―』 2005年10月1日、第31図、ISBN 4-88758-033-9
  38. ^ a b c 川延安直 「会津藩主の肖像画」福島県立博物館編集・発行 『福島県立博物館 若松城天守閣 共同企画展 展示解説図録 徳川将軍家会津松平家』 2006年9月30日、pp.20-21,107-108
  39. ^ 石川県立歴史博物館編集発行 『肖像画にみる加賀藩の人々』 2009年4月18日、p.52。


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