バルトロメウス・スプランヘル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/22 00:14 UTC 版)
|
バルトロメウス・スプランヘル
|
|
|---|---|
|
『自画像』
|
|
| 生誕 | 1546年3月21日 アントウェルペン |
| 死没 | 1611年 プラハ |
バルトロメウス・スプランヘル(Bartholomäus(Bartholomeus)Spranger、1546年3月21日 - 1611年6月27日)[1][2]は、ブラバント公国(現在のベルギー)の画家。北方マニエリスムの代表的な美術家。
生涯
生地のアントウェルペンでコルネリス・ファン・ダレム等の元で画家としての修業を積み、1565年にローマに出る。ここでマニエリスムの様式を身に付け、ローマ教皇のための仕事に従事し、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世に招かれてウィーンへ赴き、宮廷画家となる。後にルドルフ2世に従ってプラハに移り、以降は没するまで彼の地を本拠とした。
彼の作品で特徴的なのは裸婦像の描写である。神話を主題に採りながらも、体の線を曲げて男性キャラクターを誘惑する女性像は、優美さと妖艶さで他の追随を許さない。また晩年にかけては、皇帝のコレクションに収まっていたカラッチの影響や、巧みな色彩効果でその座を掴んだ新進の宮廷画家、ハンス・フォン・アーヘンとヨーゼフ・ハインツの追い上げもあって、バロック絵画に接近した様式に画風が移っている。その意味では、マニエリスムとバロックの過渡期を生きた画家であったと言える。
脚注
- ^ “Bartholomeus Spranger”. The Metropolitan Museum of Art. 2026年3月21日閲覧。
- ^ “Bartholomaeus Spranger”. The National Gallery. 2026年3月21日閲覧。
固有名詞の分類
| 16世紀の美術家 |
ソフォニスバ・アングイッソラ フランチェスコ・フランチャ バルトロメウス・スプランヘル ヤコポ・ダ・ポントルモ バッティスタ・ドッシ |
| 17世紀の美術家 |
狩野探幽 梁袠 バルトロメウス・スプランヘル 土佐光則 狩野山楽 |
- バルトロメウス・スプランヘルのページへのリンク