河北新報
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河北新報 | |
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河北新報社本社 | |
種類 | 日刊紙 |
サイズ | ブランケット判 |
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事業者 | 株式会社河北新報社 |
本社 | 宮城県仙台市青葉区五橋1-2-28 |
代表者 | 一力雅彦 |
創刊 | 1897年(明治30年)1月17日 |
前身 | 東北日報 |
言語 | 日本語 |
価格 |
1部 【朝刊】160円 【夕刊】60円 月極 4,400円 【朝刊のみ】3,900円 【夕刊のみ】1,400円 |
発行数 |
【朝刊】382,297部 【夕刊】34,169部 (2022年4月、日本ABC協会調べ[1]) |
ウェブサイト | https://kahoku.news/ |
概要
一力健治郎らが経営難の「東北日報」を引き継ぎ、「白河以北一山百文」(白河の関(現・福島県白河市)より北は、山ひとつ100文の価値しか持たないという意味があるとされる)[注 1]から「河北」と改題して1897年(明治30年)1月17日に創刊した[5]。
草創期、当時としては画期的な英文欄の創設、無休刊の宣言などを次々と行った。外勤記者の制服制帽着用や、全員の自転車取材を奨励し、周囲の目を驚かせた。なお明治10年頃、在地の民権派が好んで広域的な「東北」という地名を各地の紙名に用いていたが、河北新報創刊の頃にはこの傾向は衰え、大正時代には河北新報以外に広域的な名称の新聞は東北地方から消えている[6]。
東北6県で販売されており、特に地元・宮城県内での世帯普及率は70%に迫る高さである一方、宮城県以外の各県での世帯普及率は皆無である。そのため、全般的に宮城県の県紙としての性格が色濃いが、東北地方全体の政治・経済および各地域の話題を俯瞰できるため、宮城県外では主に職場で読まれる傾向がある。なお、ごく初期には、東北地方諸藩からの開拓移民が多かった北海道でも販売されていたが、明治期に販売競争に敗れ撤退している。
2021年2月現在のコーポレート・スローガンは「『東』は未来」。1993年(平成5年)から使われている河北新報社のシンボルマークは、グラフィックデザイナーである永井一正の作品。
2018年10月1日からは経費節減のため、宮城県内11市町村で夕刊の当日配達を取りやめている。当日配達を続けるのは仙台周辺の10市町[注 2]のみとし、他地域では夕刊を翌日付朝刊と一緒に届けることになった[7]。
印刷
印刷は、2003年(平成15年)から泉パークタウン(仙台市泉区)にある河北新報印刷センターで行っている。同センターは超高速タワー型オフセット輪転機を備えており、他紙の印刷業務も一部受託している。2011年(平成23年)秋には朝日新聞の受託印刷を開始[8]。2012年(平成24年)春からは読売新聞の受託印刷も行っている[9]。
2023年(令和5年)3月、朝日新聞が設備の老朽化を受け、仙台工場(仙台日刊印刷、宮城野区)を閉鎖することに伴い、岩手、宮城、山形、福島各県の一部の印刷受託に留まっていたものを南東北3県全域分に拡大する。また仙台工場で印刷していた日刊スポーツ、日本農業新聞、日刊建設新聞も新たに河北新報が受託した[10]。
紙面
1997年(平成9年)には米の栽培と人間生活を扱った連載企画「オリザの環」で日本新聞協会賞を受賞。また、社会問題化していたスパイクタイヤを全廃に追い込んだのは、河北新報の記事が発端であった事は特筆すべき事項でもある。
東北地方に関する記事だけでなく、首都圏の知識人や文化人を独自に取材した記事を多く掲載している。
三大ブロック紙(北海道新聞・中日新聞・西日本新聞)などとの記事の交換も行っている。2020年現在、中日新聞系の東京新聞では当紙のオピニオン欄『声の交差点』一部投稿が転載されている(不定期)他、中日新聞などの三大ブロック紙に連載されている4コマ漫画(2022年現在は『ねえ、ぴよちゃん』)が掲載されている。また、近年では東北6県の他県紙(東奥日報、岩手日報、秋田魁新報、山形新聞、福島民報、福島民友)との連携企画も増えている(東北電力が協力している場合は新潟日報も加わる)。
スポーツ関連では、東北楽天ゴールデンイーグルスやベガルタ仙台、仙台89ersをはじめとした「仙台のスポーツ」に関連した記事を多く取り扱っている。場合によって(勝利試合など)はスポーツ面のみでなく1面や社会面、ローカル面でも話題が取り上げられることもある。また数ページを使用した特集記事も時折掲載される。なお、楽天イーグルスについては紙面上の呼称は一貫して「東北楽天」となっており、「楽天」とのみ表記されることは原則的にない。
毎週日曜日の第2朝刊には、宮城県内各地の小学校の様子を綴った「どきどき小学生」が掲載されている。
ブロック紙としての性格
東北地方に販路と総局をもっており、「ブロック紙」とされているが、実際には本社を置く仙台市・宮城県からの視点で書かれた記事も多い[注 3]。宮城県以外の5県では、役所、職場等で購読されていたり、公立図書館や大学図書館で備え付けているところも多いが、各県内の地元紙の勢力が強く、河北新報のシェアは高くはない[注 4]。そのような事情もあり、2020年10月31日付をもって青森市以外での青森県での配達・販売を終了した。
宮城県外向けとなる早版(13版)の締切時刻は、国政選挙や統一地方選挙の翌日など特別な場合を除き、午後11時頃である。そのため、地方選挙の開票状況(最終確定票)が紙面に反映されないことが多い[注 5]。選挙が行われた当該地域では、河北新報から配信された速報ファクスを販売店が独自にコピーして、開票翌日の新聞に折り込んで配ることが多い[注 6]。
注釈
- ^ 「白河以北一山百文」には、『近事評論』1878年8月23日発行分に掲載された「白河以北一山百文」という記事の「西南では飛ぶように土人形が売れるが、東北地方では『白河より北では土人形の一山で100文』と言って叩き売りにしないと売れない、と売り子が嘆く。それでも東北も栄えて、同じように飛ぶように売れる日がやがてくる、と諭す話」に由来するという別の説もある。「往来で日本地図を開き各地の土人形を並べて、『白河以北一山百文』と泣き叫ぶ売り子。聞けば、西南の人形は飛ぶように売れるが、東北地方はたたき売りでもしないと売れない。それが悲しくて泣いているという。そこで、こう諭した。治乱盛衰は天の道、今は人気がある西南もいつ廃れるかわからない。やがて東北の人形が大いに売れる日も来るだろう。すると、売り子は納得したと見え、泣くのをやめて、再び大声で叫んだ。『白河以北一山百文』と」という内容である。
- ^ 仙台、名取、岩沼、富谷、塩竈、多賀城の6市と松島、大和、利府、七ヶ浜の4町。
- ^ 広告も、全国共通のものをのぞくと、宮城県内向けのものがほとんどである。
- ^ 岩手県で比較的多く読まれているほかは各県の購読数は数百部程度にとどまる[11]。
- ^ 統合版でもあるため、開票結果は翌々日の紙面に掲載されることになる。
- ^ コピー折込の判断はそれぞれの販売店が行うので、選挙が行われた地域でも折込配信されないことがある。
- ^ 県によっては2ページの場合もあり。
- ^ 当時は、日本科学技術振興財団のテレビ部門(通称:科学テレビ。後のテレビ東京)の番組欄は非掲載。
- ^ テレビ欄での表記は「北海道テレビ」。これは「北海道放送テレビ」という意味であり、 1968年に開局した北海道テレビ (HTB) とは別。
- ^ テレビとは異なり、こちらは当初から「北海道放送」と記載。
出典
- ^ “22年4月ABC部数”. 新聞情報. (2023年5月3日)
- ^ 『大辞泉』小学館、1998年。
- ^ “資料 河北新報 媒体情報” (PDF). 河北新報. 2023年3月5日閲覧。
- ^ 広告料金表
- ^ 創刊号の1面
- ^ 米地文夫, 今泉芳邦, 藤原隆男、「新聞・雑誌名「東北」にみる明治期の東北地域観」『岩手大学教育学部研究年報』 1998年2月 第57巻 第2号 p.55-72
- ^ 日本新聞協会発行『新聞協会報』2018年9月18日付。
- ^ 朝日新聞を受託印刷(河北新報社)
- ^ 河北新報社が読売新聞の一部を受託印刷(河北新報社)[リンク切れ]
- ^ “朝日新聞の受託印刷拡大 河北新報社 約11万7000部に”. 河北新報. (2023年3月8日) 2023年3月8日閲覧。
- ^ 河北折込センター
- ^ a b 1966年5月と1967年4月のテレビ欄。
- ^ 河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙 文藝春秋社書籍ショールーム。
固有名詞の分類
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