ジークフリート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/21 09:44 UTC 版)
スカンディナヴィアの伝承と典拠
スカンディナヴィアにおけるシグルズの物語は、大陸の伝承とは対照的に、ゲルマン神話との強いつながりを示す。これは、旧来の説では本来の物語により近いことを示しているとされたが、近年では、スカンディナヴィアにおいて独自に発展した伝承であるという見方がされてきている[65]。スカンディナヴィアにおける伝承に大陸の典拠よりも古い要素が含まれているのは確かだが、アイスランドとスカンディナヴィアのキリスト教化の文脈においてその大部分が変容したと考えられている。異教の神々が頻繁に登場することは、この物語がキリスト教化以前のすでに終わった時代のものであることを示すことになる[66]。
スカンディナヴィアにおけるシグルズの最も古い典拠は石碑図画であるが、これらは物語に関する知識がなければ理解が難しいため、他の典拠のあとに掲載する。
散文のエッダ
スノッリ・ストゥルルソンによって1220年頃に編纂されたとされるいわゆる『散文のエッダ』は、絵画石碑を除けば、シグルズの生涯を描いたスカンディナヴィアの資料の中で最も古いものである[67]。スノッリは、『詩語法』と呼ばれる詩の数章においてシグルズの物語に触れている[68]。ここで語られる内容は『ヴォルスンガ・サガ』のものと非常によく似ているが、それよりも明らかに短い[69]。『詩語法』では、シグルズの復讐についての言及はない[70]。また、シグルズはショーズという地で育ったとされる[71]。
シグルズはヒャルプレク王のもとで育てられ、鍛冶師レギンから名剣グラムを受け取り、グニタヘイズの地で穴に潜み、下からファーヴニル竜の心臓を貫いて討った。シグルズは竜の血を舐め、鳥の言葉がわかるようになり、レギンが竜の黄金を奪うため自分を殺そうとしていると知る。彼はレギンを殺し、ニーベルングの秘宝を我がものとした。シグルズは財宝をもって去り、途中ヴァルキュリャのブリュンヒルドの鎧を切り裂いて目覚めさせて、ギューキ王のもとへ向かう。宮廷に着いたシグルズはギューキ王の娘グズルーンと結婚し、王子グンナルとブリュンヒルドとの結婚を手伝うことになる。炎の壁を超える試練を成し遂げられなかったグンナルの代わりに、グンナルに変装したシグルズはそれをこなしてブリュンヒルドと結婚する。初夜の床において、彼は二人の間に剣を置いて共寝をしなかった。シグルズとグンナルはお互いの変装を解く[72]。
シグルズとグズルーンは、スヴァンヒルドとシグムンドの二児を儲けた。やがて、ブリュンヒルドとグズルーンは口論になり、グズルーンは炎の壁を越えたのがシグルズであることを暴露し、証拠としてブリュンヒルドのもとから持ってきた指輪を見せる。ブリュンヒルドはグンナルの弟グットルムを使ってシグルズを殺させる。グットルムは寝ているシグルズを刺し殺すが、シグルズは死ぬ前に剣を投げつけグットルムを真っ二つにした。グットルムは3歳のシグムンドも殺した。ブリュンヒルドは自殺し、シグルズとともに荼毘に付された[73]。
詩のエッダ
1270年頃にアイスランドで編纂されたとされる『詩のエッダ』は、さまざまな時代の神話や英雄譚を詠んだ歌を収集したものである[74]。シグルズの物語は、『詩のエッダ』に収められた英雄詩の中核をなしている[75]。しかし、シグルズの生涯に関する細部は詩によって矛盾しており、「エッダ詩からシグルズの物語をはっきりと捉えることは難しい」[76]。
一般的に、『古エッダ』に含まれる詩には900年以前のものはないと考えられており、13世紀になって書かれたものもあるとされる[77]。一見古そうに見える詩も、古い様式を擬して書かれたものがあったり、また、新しそうに見える詩も、実は古い内容を作り直したものであったりするなど、信頼できる年代の特定は不可能である[75]。
『詩のエッダ』においては、シグルズはフランク人の王とされている[78]。
シンフィヨトリの死について
『シンフィヨトリの死について』は、『フンディング殺しのヘルギの歌 そのニ』と『グリーピルの予言』の間に挿入された短い散文である。シグルズは、フンディングの息子と戦って死んだシグムンド王とヒョルディース妃の間に生まれた王子であり、王の死後ヒャルプレク王の王子と再婚したヒョルディースは、ヒャルプレクの宮廷でシグルズを育てることを許された[79]。
グリーピルの予言
『グリーピルの予言』では、シグルズは母方の叔父グリーピルのもとを訪れ、自身の生涯についての予言を聞こうとする。グリーピル曰く、シグルズはフンディングの息子である竜ファーヴニルと鍛冶師レギンを殺し、ニーベルングの秘宝を手に入れる。そしてあるヴァルキュリャを目覚めさせ、彼女からルーンを習うという。グリーピルはそれ以上何も言おうとしなかったが、シグルズは無理やり続けさせる。改めて曰く、シグルズはヘイミル王のもとへ行き、ブリュンヒルドと婚約するが、ギューキ王の宮廷で忘却の薬を飲まされてそのことを忘れてしまい。グズルーンと結婚する。そしてグンナル王のためにブリュンヒルドを得て、共寝することなく初夜を過ごす。しかし、ブリュンヒルドはこのぺてんに気がつき、シグルズは自身の処女を奪ったと主張して、グンナルに命じてシグルズを殺させる[80]。
『グリーピルの予言』はおそらく、『フンディング殺しのヘルギの歌』と以降のシグルズの物語を接続するために、比較的新しい時代に書かれたものと考えられている[81]。
若きシグルドについての詩三編
『グリーピルの予言』に続く詩は、写本では1つにまとまっているが、学術上『レギンの言葉』『ファーヴニルの言葉』『シグルドリーヴァの言葉』の3つに分けられている[81]。これらは古い要素を含んでいると考えられているが、詩自体は新しい時代のもののようである[82]。この詩ではシグルズは2種類の描かれ方をしており、高貴で怜悧な王子とされる一方、鍛冶師レギンに育てられたうつけものであるという描写もある。鍛冶に育てられた粗暴者が、自身の才覚というよりも超自然の助力のおかげで栄達する、という後者の描写のほうが、もともとの人物像に近いと思われる[83]。
レギンの言葉
『レギンの言葉』では、ヒャルプレク王の宮廷に滞在していた鍛冶師レギンが、神々がオトの死の賠償のために集めた財宝のことをシグルズに話す。オトの兄弟であるファーヴニルはその財宝を守り、竜に変じた。レギンはシグルズにその竜を殺して欲しいという。レギンはグラムという名の剣を打ちシグルズに与えたが、シグルズは竜を殺す前に、リュングヴィ王と他のフンディングの息子たちを殺すことを選ぶ。その途中シグルズはオージンの同行を得る。戦いの末フンディングの息子たちを殺しリュングヴィを「血の鷲」で処刑すると、レギンはシグルズの残虐さを褒め称える[84]。
ファーヴニルの言葉
『ファーヴニルの言葉』では、シグルズはレギンに付き添ってグニタヘイズに向かい、穴を掘る。ファーヴニルが穴の上を通ったとき、シグルズは下からその心臓を一突きにする。ファーヴニルは死ぬ間際、シグルズに知恵を授け、財宝にかかった呪いについて警告する。竜が斃れるやいなや、レギンはその心臓をえぐり出し、シグルズに料理するように言う。シグルズは心臓の焼け具合を指で確かめて、やけどしてしまう。その指を口に入れると、シグルズは鳥の言葉がわかるようになり、レギンが彼を殺そうとしていることを知る。レギンを殺したシグルズは、炎に囲まれた宮殿へと赴くよう鳥に告げられる。そこにはヴァルキュリャのシグルドリーヴァがいるという。シグルズは財宝を馬に積み、そこへと向かった[85]。
シグルドリーヴァの言葉
『シグルドリーヴァの言葉』では、ヒンダルフィヨル山に向かったシグルズが、楯でつくられた壁を見つける。その中には、肌から直接生えているかのような鎧をまとって眠っている女性がいた。シグルズが鎧を切り裂くと、シグルドリーヴァという名のそのヴァルキュリャは目覚める。彼女はシグルズにルーンや魔術を教え、助言を与えた[86]。
シグルズの歌 断片
『シグルズの歌』はその締めくくりの部分の断片のみが残っている。その詩は、ホグニとグンナルがシグルズを殺すべきか話し合う場面から始まる。ホグニは、シグルズと寝たというのはブリュンヒルドの虚言ではないかと訝しむ。グンナルとホグニの弟グットルムが森でシグルズを殺すと、ブリュンヒルドは自身の言が嘘であったことを認めた[87]。
この詩では、シグルズが殺されるのが寝床でなく森であるなど、大陸ゲルマンの伝承からの影響が見られる[88]。
シグルズの死について
『シグルズの死について』は、詩間に挿入された短い散文である。直前の詩ではシグルズは森で殺されたとあるが、寝床で殺されたとする他の詩もある、ということが書かれている。写本では次に続く詩『グズルーンの歌 その一』では、ディング(ゲルマンの民会)に向かう途中で殺されたとされる[89]。
シグルズの短い歌
『シグルズの短い歌』では、ギューキ王の宮廷を訪れたシグルズが、王子グンナルとホグニと義兄弟の契りを結ぶ。シグルズは妹姫グズルーンと結婚し、グンナルのためにブリュンヒルドを得るため尽力するが、決して彼女と共寝はしなかった。しかしブリュンヒルドはシグルズを欲しがり、そうできないことが分かると彼を殺すことにした。グットルムは寝床でシグルズを殺したが、シグルズは死ぬ直前に返り討ちにする。ブリュンヒルドはシグルズと同じ炎で火葬するように頼んで自害した[90]。
この詩はそれほど古くないものと考えられている[88]。
ヴォルスンガ・サガ
『ヴォルスンガ・サガ』は、『詩のエッダ』と並んで、北欧・大陸の双方においてシグルズの物語が最も詳細に記載された文献である[91]。『詩のエッダ』のプロットに非常に近い筋をたどるが、著者が『詩のエッダ』を知っていたと示すものはない[92]。著者はノルウェーで働いていて『シズレクのサガ』を知っていたと考えられており、したがって『ヴォルスンガ・サガ』は13世紀後半に作られたとされる[93]。このサガでは、シグルズの物語の舞台をドイツでなくスカンディナヴィアとしている。このサガには続編『ラグナル・ロズブロークのサガ』があり、ラグナル・ロズブロークがシグルズとブリュンヒルドの娘アスラウグと結婚するというエピソードが加えられている[94]。
『ヴォルスンガ・サガ』によれば、シグルズはシグムンド王とヒョルディース妃の間に生まれたとされる。王は恋敵であったリュングヴィと戦って死んだ。シグムンドの斃れた戦場に一人残されたヒョルディースは、そこでアールヴ王に見初められ結婚することになるが、彼はシグムンドの遺品である毀れた剣を回収する。幾ばくもせずヒョルディースはシグルズを生むが、シグルズはヒャルプレク王の宮廷に仕える鍛冶師レギンのもとで育てられた。ある日、レギンはシグルズに、ファーヴニル竜の守る財宝の話を聞かせる。それはドヴェルグのオトの死への賠償としてオーディンとロキとヘーニルから支払われたものであるという。シグルズはレギンに、竜を屠るための剣を作るよう頼むが、作られた剣をシグルズが鉄床に打ちつけるとどれも折れてしまった。最後にシグムンドの毀れた剣を打ち直してもらい、シグルズがその剣で試し切りをしてみると、鉄床は真っ二つになった。レギンは財宝の分け前を要求するが、シグルズはまず父の仇を取ることに決める。シグルズはオーディンの助けを得て、兵を引き連れてリュングヴィを攻め、殺す[95]。
その後、シグルズは竜を殺すべく竜の住まうグニタヘイズに向かい、ファーヴニルの通り道に掘った穴に身を隠した。ファーヴニルが上を通ったとき、シグルズは下からその心臓を一突きにして殺した。レギンが現れ、竜の血を飲み、竜の心臓を料理するようシグルズに言う。シグルズは焼け具合を確かめるために指で心臓を触り、やけどしてしまう。指を口に入れたシグルズは、鳥の声が分かるようになる。鳥たちは、レギンがシグルズを殺そうとしていて、レギンを殺せばシグルズが財宝を独り占めしてブリュンヒルドのところに行けるのに、などと話している。シグルズはこの言葉のとおりにレギンを殺し、財宝を得て、ブリュンヒルドの眠る地に向かう。彼女は楯に囲まれ、肌から直接生えているかのような鎧を着て眠っていた。シグルズは鎧を切り裂いて脱がし、ブリュンヒルドを目覚めさせる。ブリュンヒルドとシグルズは結婚の約束をし、ブリュンヒルドの義理の兄であるへイミル王の宮廷でも改めて結婚を誓う[96]。
その後、シグルズはギューキ王の宮廷を訪れる。妃グリームヒルドに忘れ薬を飲まされたシグルズは、ブリュンヒルドとの婚約をすっかり忘れてしまい、ギューキ王の娘グズルーンと結婚することに同意してしまう。シグルズは、ギューキ王の息子グンナルとホグニと忠義の誓いを結び、義兄弟となる[97]。その間に、グリームヒルドはグンナルを説得してブリュンヒルドと結婚させようとし、ブリュンヒルドの一族もそれに同意する。しかし、ブリュンヒルドは、城を廻る炎の壁を越えられないのならばグンナルと結婚しないという。グンナルはこれをなすことができず、グリームヒルドから教わった呪文で互いの姿を交換する。グンナルの代わりにシグルズが炎の壁を越えると、それができるのはシグルズだけのはず、とブリュンヒルドは驚く。シグルズは三晩ブリュンヒルドと寝床を共にするが、二人の間に剣を置いて過ごす[98]。ブリュンヒルドとグンナル、グズルーンとシグルズは、同じ日に結婚する[97]。
ある日、川で水浴びをしているグズルーンとブリュンヒルドが、お互いの夫のどちらが高貴かでもめる。グズルーンはブリュンヒルドに、グンナルとシグルズによるぺてんを暴露し、その証拠としてシグルズがブリュンヒルドとの初夜にくすねた指輪を見せる。激高したブリュンヒルドは復讐を求める。ブリュンヒルドに話をしに行ったシグルズは、お互いに愛を告白し、グズルーンと離婚してブリュンヒルドと結婚すると提案する。ブリュンヒルドはそれを拒否し、グンナルにシグルズを殺すよう求める。グンナルは、シグルズと義兄弟になっていない弟グットルムにシグルズを殺すように言う。グットルムは狼の肉を食べ、シグルズの寝室に押し入り、剣で背中を突き刺す。シグルズは反撃してグットルムを殺し、グンナルを裏切ってなどいないことをグズルーンに伝え、息絶えた。ブリュンヒルドは直後に自殺し、二人は同じ炎で荼毘に付された[99]。
バラッド
スカンディナヴィアのシグルド伝説は、北欧各地で採集された多くのバラッドにもその形を残している。とはいえ、単に固有名詞を使っているだけで、もとの伝承とはあまり共通点のないものも多い[100]。
デンマークとスウェーデン
デンマークのバラッドにはシグルズ(デンマーク語: Sivard、シヴァルド)を取り上げているものがある。そのうちのいくつかはスウェーデンにも変種が確認できる。これらのバラッドは、スカンディナヴィアと大陸の双方の資料を下敷きにしているようである[101]。
「素早き若者シヴァルド(Sivard Snarensvend)」(DgF 2, SMB 204, TSB E 49)というバラッドでは、シグルズは継父を殺し、じゃじゃ馬グラムをなんとか駆ってベルンにいる叔父のもとへ向かう。ある変種では、シグルズが街の城壁を飛び越えた後に落馬して死ぬ場面で詩が終わる[102]。
「シヴァルドとブリニルド」(DgF 3, TSB E 101)というバラッドでは、シグルズは「草山」でブリュンヒルドを勝ち取り、友人のハーゲンに与える。ブリュンヒルドはシグルズの妻シグニルドと争い、シグニルドはブリュンヒルドがシグルズに愛の証として送った指輪を見せる。ブリュンヒルドはハーゲンにシグルズを殺すように言い、ハーゲンはまずシグルズから剣を借りて、その剣でシグルズを殺す。ハーゲンはシグルズの首をブリュンヒルドに見せ、その後、彼への愛を口にしたブリュンヒルドのことも殺す[103]。
「ディーデリク王とその戦士たち(Kong Diderik og hans Kæmper)」(DgF 7, SMB 198, TSB E 10)というバラッドでは、シグルズはディードリクの戦士フムルングと戦う。シグルズはフムルングを下すが、フムルングが自分の親戚であることに気づいた彼は、自分を樫の木に縛り付け、フムルングが勝ったかのように見せかけた。ヴィドレク(ヴィテゲ)はフムルングの言を信じず、確かめようとすると、シグルズは樫の木を地面から引き剥がし、背負ったまま家に帰った[104]。
「ディーデリク王と獅子」(DgF 9, TSB E 158)というバラッドでは、シグルズ(ジフレッド)は、竜によって殺されたと言われる[105]。民俗学者のスヴェン・グルントヴィは、この設定はシグルズというよりオルトニットと一致すると述べている[106]。
ノルウェー
「若者シグルズ」(NMB 177, TSB E 50)というノルウェーのバラッドでは、シグルズが名馬グラムを選び、それにまたがってグレイプ(グリーピル)のもとに向かう。このバラッドは各所に古風な特徴があるが、実際のところ記録されたのは19世紀が最初である[107]。
フェロー諸島
フェロー諸島では、シグルズに関するバラッドは「シグルズのクヴェアイ(Sjúrðar kvæði)」として知られる。これらのバラッドは、『シズレクのサガ』や『ヴォルスンガ・サガ』からの内容を含んでいる[101]。バラッドの原型は14世紀に遡ると考えられるが[101]、明らかにデンマークのバラッドの影響を受けた変種が多く存在する[108]。「鍛冶師レギン」(TSB E 51)や「ブリュンヒルドの歌」(TSB E 100)、「ホグニの歌」(TSB E 55 and E 38)といったバラッドもある。「鍛冶師レギン」は、失われたエッダ詩に基づいている可能性がある[101]。フェロー諸島のバラッドには、シグルズの竜殺し、財宝の獲得、グズルーンとブリュンヒルドへの求婚、そしてその死といったエピソードが含まれている[109]。これらはすべて18世紀以降に記録されたものである[107]。
図画
シグルズの若き日の冒険を描いたと考えられる図像が、スカンディナヴィアや、北欧の影響・支配を受けたブリテンの一部地域で見つかっている。しかし、特に古いものでは不明瞭な図像も多く、描かれたものがシグルズであるかどうかは論争の種になっている[110]。サングエサやナポリ、北ドイツで見つかった図像がシグルズを描いたものとする主張もあるが、すべて反駁されている[111]。デンマークで見つかったもので、確かにシグルズであるという根拠のあるものは一つもない[111]。
図像学的には、シグルズがファーヴニルを殺している場面と同定できるのは、下から竜を殺している場合であり、竜や怪物と戦う戦士を描く他の描写と区別される[111]。
現存するシグルズの図像は、教会や十字に描かれたものが多い。これはおそらく、シグルズの竜殺しが、キリストのサタン調伏を予示していると考えられたためであろう[112]。同じく竜殺しで知られ、スカンディナヴィアのキリスト教化において重要な役割を果たした大天使ミカエルと同一視された可能性もある[113]。
スウェーデン
スウェーデンにあるシグルズの図像は、ほとんどが11世紀まで遡るともされるルーン石碑に描かれたものである[114]。中でも、セーデルマンランド地方にあるラムスン彫刻画とその模写とされるイェク石碑が最も古く、ファーヴニルを殺すシグルズ、鍛冶道具に囲まれた首なしのレギン、ファーヴニルの心臓を焼くシグルズ、グラニにまたがるシグルズに助言をする小鳥などが描かれている[115]。
ウップランド地方には、ドレヴレ石碑とその模写であるストーリャ・ラムシェ石碑があり、いずれにもファーヴニルを殺すシグルズが描かれている[116]。
イェストリークランド地方のオーレスン石碑、(現存しない)オッケルブー石碑、エステルフェーネブー石碑にも、シグルズが描かれている。シグルズはファーヴニルを突き刺す形で描かれており、その剣はuのルーンを象っている。描かれた他の場面はシグルズ伝説のものとは一致せず、書かれている文章も無関係のものである[117][118]。
ブリテン諸島
マン島のカーク・アンドラス、マルー、ジャービー、マカルドの4箇所には、石十字の一部が残っており、そこにファーヴニルを下から突き刺すシグルズの絵が描かれている。ほかには、ファーヴニルの心臓を焼く場面や、鳥からの助言を受ける場面、そしてグラニと思われる馬の絵もある[119]。これらの十字は1000年前後のものと考えられている[120]。
イングランドにも数多くの図画が残されており、おそらくノルマン支配の時代(1016-1042)の頃のもののようである[121]。ランカシャーにあるヒーシャムのホッグバッグ(墓石)には、ファーヴニルの腹を突き刺すシグルズが、グラムとともに描かれている。これはキリスト教の影響を受けていないと思われるブリテンで数少ないモニュメントの一つである[122]。近くにあるハルトンの十字架には、シグルズの剣を鍛えるレギンと、ファーヴニルの心臓を焼くシグルズが自分の指を舐めている場面が描かれている[123]。図像学的にマン島の図画との類似が認められる[122]。
ヨークシャーには、少なくとも3つの図画が残っている。リポン大聖堂の十字架の残存部、カービー・ヒルの教会の十字架、および模写のみ現存するカービー・ヒルのもう一つの十字架残存部である。前二者には、ファーヴニルの心臓を焼きながら指をくわえるシグルズが、最後の一つには、心臓に剣を突き立てられたファーヴニルが描かれている[124]。ヨーク・ミンスターには、首を切られたレギンと指をなめるシグルズ、グラニと思われる馬と、たき火、そして屠られたファーヴニルを描いたと思われる墓石があるが、ひどく擦り切れておりはっきりはしない[125]。
ノルウェー
12世紀後半から13世紀初頭以降のノルウェーの教会には、正面門にシグルズの物語の場面を描いたところが多い[126]。最も有名なのはヒーレスタ・スターヴ教会で、1200年頃のものである[127]。この教会の門には、レギンが鍛冶場にいる場面や、シグルズが竜と戦い屠る場面、心臓を炙り指を舐め、鳥の言葉を聞き、レギンを殺す場面など、伝説のさまざまな場面が描かれている[128]。ヴェグスダル・スターヴ教会のものは、ほぼ物語を網羅している。図像によっては、旧約聖書の英雄(サムソンなど)と並べて描かれていることもある[129]。
シグルズの竜殺しを描いたこれら正面門の図像群より古い2つの石彫もノルウェーの教会で見つかっている[130]。
- ^ Haymes 1988, p. 214- 本項執筆者訳
- ^ a b c d Gillespie 1973, p. 122.
- ^ Reichert 2008, p. 143.
- ^ Gentry et al. 2011, p. 114.
- ^ Haustein 2005.
- ^ Uecker 1972, p. 46.
- ^ Heinrichs 1955–1956, p. 279.
- ^ Reichert 2008, pp. 148–151.
- ^ a b c Müller 2009, p. 22.
- ^ Haubrichs 2000, pp. 201–202.
- ^ a b Haubrichs 2000, p. 202.
- ^ Reichert 2008, pp. 141–147.
- ^ Reichert 2008, pp. 162–163.
- ^ a b Lienert 2015, p. 30.
- ^ Gillespie 1973, pp. 122–123.
- ^ Fichtner 2004, p. 327.
- ^ a b Haymes & Samples 1996, pp. 21–22.
- ^ Fichtner 2004, p. 329.
- ^ Byock 1990, p. 25.
- ^ a b c Haustein 2005, p. 380.
- ^ Lee 2007, pp. 397–398.
- ^ Höfler 1961.
- ^ Gallé 2011, p. 9.
- ^ a b Millet 2008, pp. 165–166.
- ^ Müller 2009, pp. 22–23.
- ^ a b Taranu 2015, p. 24.
- ^ Gentry et al. 2011, p. 103, 139.
- ^ Heinzle 1981–1987, p. 4: "Seifrid ein kúnig auß nyderland / des was das land vmbe wurms. vnd lag nache bey kúnig Gibich lant".
- ^ Lienert 2015, p. 38.
- ^ Millet 2008, pp. 181–182.
- ^ Lienert 2015, p. 39.
- ^ Heinzle 2013, p. 1240.
- ^ Millet 2008, pp. 182–183.
- ^ Heinzle 2013, pp. 1240–1241, 1260.
- ^ Heinzle 2013, pp. 1289–1293.
- ^ Millet 2008, pp. 361–363.
- ^ Lienert 2015, pp. 134–136.
- ^ Haymes & Samples 1996, p. 128.
- ^ Lienert 2015, p. 134.
- ^ Millet 2008, pp. 364–365.
- ^ Gillespie 1973, p. 34.
- ^ Millet 2008, pp. 270–273.
- ^ Gillespie 1973, p. 121, n. 4.
- ^ Haymes 1988, p. 104.
- ^ Millet 2008, pp. 263–264.
- ^ Haymes & Samples 1996, p. 114.
- ^ Millet 2008, p. 264.
- ^ Millet 2008, p. 266.
- ^ Millet 2008, pp. 273–274.
- ^ Millet 2008, pp. 271–272.
- ^ Haymes 1988, pp. xxvii–xxix.
- ^ Gentry et al. 2011, pp. 139–140.
- ^ Gentry et al. 2011, pp. 50–51.
- ^ Millet 2008, p. 372.
- ^ Millet 2008, pp. 373–374.
- ^ Lienert 2015, p. 147.
- ^ Gentry et al. 2011, pp. 186–187.
- ^ Millet 2008, p. 367.
- ^ Lienert 2015, p. 67.
- ^ Millet 2008, pp. 466–471.
- ^ Grimm 1867, p. 42.
- ^ Millet 2008, pp. 1–2.
- ^ Millet 2008, p. 487.
- ^ Grimm 1867, p. 304.
- ^ Lienert 2015, pp. 31–32.
- ^ Millet 2008, pp. 308–309.
- ^ Millet 2008, p. 291.
- ^ Gentry et al. 2011, p. 12.
- ^ Haymes & Samples 1996, p. 127.
- ^ a b c Sprenger 2000, p. 126.
- ^ 谷口幸男 1983, p. 47.
- ^ 谷口幸男 1983, pp. 49–50.
- ^ 谷口幸男 1983, pp. 50–51.
- ^ Millet 2008, p. 288.
- ^ a b Millet 2008, p. 294.
- ^ Edwards 2010, p. 219.
- ^ Haymes & Samples 1996, p. 119.
- ^ Larrington 2014, p. 138.
- ^ 『エッダ―古代北欧歌謡集』 1973, p. 126.
- ^ 『エッダ―古代北欧歌謡集』 1973, pp. 127–132.
- ^ a b Würth 2005, p. 424.
- ^ Würth 2005, p. 425.
- ^ Sprenger 2000, pp. 127–128.
- ^ 『エッダ―古代北欧歌謡集』 1973, pp. 133–137.
- ^ 『エッダ―古代北欧歌謡集』 1973, pp. 138–142.
- ^ 『エッダ―古代北欧歌謡集』 1973, pp. 143–147.
- ^ 『エッダ―古代北欧歌謡集』 1973, pp. 149–150.
- ^ a b Würth 2005, p. 426.
- ^ 『エッダ―古代北欧歌謡集』 1973, p. 151.
- ^ 『エッダ―古代北欧歌謡集』 1973, pp. 154–161.
- ^ Gentry et al. 2011, p. 120.
- ^ Millet 2008, p. 319.
- ^ Millet 2008, p. 313.
- ^ Haymes & Samples 1996, p. 116.
- ^ Millet 2008, pp. 314–315.
- ^ Millet 2008, p. 315.
- ^ a b Gentry et al. 2011, p. 121.
- ^ Millet 2008, pp. 315–316.
- ^ Millet 2008, p. 316.
- ^ a b Millet 2008, p. 477.
- ^ a b c d Böldl & Preißler 2015.
- ^ Holzapfel 1974, p. 39.
- ^ Holzapfel 1974, p. 65.
- ^ Holzapfel 1974, pp. 167–168.
- ^ Holzapfel 1974, p. 197.
- ^ Svend Grundtvig (1853) (Danish). Danmarks gamle folkeviser. 1. Samfundet til den Danske Literaturs Fremme. pp. 82–83 2019年2月26日閲覧。
- ^ a b Holzapfel 1974, p. 29.
- ^ Holzapfel 1974, pp. 28–29.
- ^ Holzapfel 1974, p. 28.
- ^ Düwel 2005, p. 413.
- ^ a b c Düwel 2005, p. 420.
- ^ Millet 2008, pp. 166–167.
- ^ Millet 2008, p. 168.
- ^ Düwel 2005, p. 114-115.
- ^ a b c Millet 2008, p. 163.
- ^ Düwel 2005, p. 415.
- ^ Düwel 2005, pp. 416–417.
- ^ Millet 2008, pp. 162–163.
- ^ Düwel 2005, p. 414.
- ^ Millet 2008, p. 160.
- ^ McKinnell 2015, p. 66.
- ^ a b McKinnell 2015, p. 61.
- ^ McKinnell 2015, p. 62.
- ^ McKinnell 2015, pp. 62–64.
- ^ McKinnell 2015, pp. 64–65.
- ^ Düwel 2005, pp. 418–422.
- ^ Millet 2008, p. 155.
- ^ Millet 2008, pp. 157–158.
- ^ Millet 2008, p. 167.
- ^ Düwel 2005, p. 418.
- ^ a b Haymes & Samples 1996, p. 166.
- ^ Haubrichs 2000, pp. 197–200.
- ^ Haubrichs 2000, p. 198-199.
- ^ Taranu 2015, pp. 24–27.
- ^ Lienert 2015, p. 68.
- ^ Gillespie 1973, p. 126.
- ^ Taranu 2015, p. 32.
- ^ Uecker 1972, p. 26.
- ^ Millet 2008, p. 78.
- ^ Uecker 1972, p. 24.
- ^ McKinnell 2015, p. 73.
- ^ Reichert 2008, p. 150.
- ^ Millet 2008, p. 166.
- ^ Gentry et al. 2011, p. 147.
- ^ Heinzle 2013, p. 1009.
- ^ Gentry et al. 2011, p. 116.
- ^ Gentry et al. 2011, p. 169.
- ^ Gillespie 1973, p. 16 n. 8.
- ^ Lienert 2015, p. 31.
- ^ Millet 2008, p. 165.
- ^ Gentry et al. 2011, pp. 171–172.
- ^ Millet 2008, pp. 51–52.
- ^ Millet 2008, pp. 195–196.
- ^ Lienert 2015, p. 35.
- ^ Heinzle 2013, pp. 1009–1010.
- ^ Millet 2008, p. 471.
- ^ Lienert 2015, p. 189.
- ^ Holzapfel 1974, pp. 24–25.
- ^ Müller 2009, pp. 181–182.
- ^ Gallé 2011, pp. 22.
- ^ Lee 2007, pp. 297–298.
- ^ Lienert 2015, p. 32.
- ^ a b c Müller 2009, p. 183.
- ^ a b Lee 2007, p. 301.
- ^ Gentry et al. 2011, p. 306.
- ^ Lee 2007, pp. 301–302.
- ^ Gentry et al. 2011, p. 222.
- ^ Public domain work available online: https://archive.org/details/andvarisring00pete
ジークフリートと同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- ジークフリートのページへのリンク