スノッリ・ストゥルルソン
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スノッリ・ストゥルルソン(Snorri Sturluson, 1178年あるいは1179年 - 1241年9月23日)は、アイスランドの詩人・政治家・歴史家(著述家)である。アイスランド語の原音に近いカタカナ表記だと ストゥトルソン(rlはtlの様に発音される)が近い。ノルウェー王朝の歴史『ヘイムスクリングラ』や『スノッリのエッダ』の著者としても知られている。優れた学者であったが、権勢欲、名誉欲の強い野心家でもあった。
- ^ スノッリの生涯を描いた『ストゥルルンガ・サガ』(en) の著者ストゥルラ・ソールザルソン(en) は同名の別人。こちらはスノッリの長兄ソールズルの息子である。
- ^ a b 山室、p.132。
- ^ ノルウェー出身という説は誤りである。
- ^ ストゥルラの一族は新興勢力であったが13世紀に権勢を極め、彼らの台頭がアイスランドを席巻することとなった(山室、p.132、G.カールソン、p.26)。首領たちが争った当時のアイスランドを「ストゥルルング時代」と呼ぶのはこのためである(G.カールソン、p.26、p.山室、p.136-137)。
- ^ 賢者セームンドル(en) の孫
- ^ 山室、p.135。
- ^ 山室、p.136
- ^ 山室、p.136。
- ^ 山室、p.138。
- ^ a b 山室、p.140。
- ^ a b 山室、p.139。
- ^ 山室、p.144。
- ^ a b 山室、p.140-141。
- ^ 山室、p.141。
- ^ G.カールソン、p.26-27。
- ^ 成人後に帰国した長男ヨーンをスノッリは冷遇し、財産を分与せず独立も許さなかった。ヨーンは酒席での争いが元でノルウェーで刺殺されたが、スノッリは息子の死の責任を殺害現場に居合わせたギツルに帰したため、ギツルは妻を離縁しスノッリと対立するようになった(山室、p.141-142)。
- ^ 山室、p.142
- ^ G.カールソン、p.27。
- ^ a b 山室、p.143。
- ^ スクーリ公は挙兵を計画しており、それが成功したときにはスノッリをアイスランドの提督に任命すると約束していた(山室、p.143)。
- ^ 山室、p.157。
- ^ 山室、p.158。
- ^ 山室。p.158。
- ^ 山室p.159。
- ^ G.カールソン、p.28。
- ^ 山室、p.131。
- ^ 山室、p.143-144。
- 1 スノッリ・ストゥルルソンとは
- 2 スノッリ・ストゥルルソンの概要
- 3 参考文献
固有名詞の分類
詩人 | 寮美千子 ルベン・ダリオ スノッリ・ストゥルルソン 伊東静雄 ホルヘ・ルイス・ボルヘス |
アイスランドの政治家 | オラフル・ラグナル・グリムソン ステイングリムル・ヘルマンソン ゲイル・ホルデ ヨハンナ・シグルザルドッティル スノッリ・ストゥルルソン |
アイスランドの詩人 | エギル・スカラグリームスソン やっかい詩人ハルフレズ トール・ヴィルヘルムソン シーグルズル・ノルダル スノッリ・ストゥルルソン |
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