スカンディナヴィア渡航
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 00:56 UTC 版)
「スノッリ・ストゥルルソン」の記事における「スカンディナヴィア渡航」の解説
1218年から1220年にかけてスノッリはスカンディナヴィアへ渡航するが、最も重要な目的はノルウェー訪問だった。当時アイスランドは首領と教会が争っており、アイスランドの教会を監督するノルウェーのニダロス(当時のノルウェーの首都、現在のトロンハイム)の大司教からの圧力を掛けられていた。また、近年起きた貿易を巡るトラブルから両国の関係は緊張しており、アイスランドをノルウェーの統治下へ入れようとする動きがあった。 まず、スノッリはヴィーケンにノルウェー王ホーコン4世(ホーコン・ホーコンソン)と摂政スクーリ伯(後に公)を訪ねてそこで冬を過ごし、春になると故ホーコン公の妃クリスチーネを訪問した。その後スノッリはノルウェー各地の史跡を見て回ったが、『ヘイムスクリングラ』の取材が目的であったと考えられる。 彼はニダロスに戻るとスクーリ公の食客となり、ホーコン4世の従士の一人に加えられ、1220年にはアイスランドの総督(Lanðmaðr)に任ぜられたスノッリはこの時の厚遇の返礼として帰国後の1222年、寛大なホーコン王への賞賛を『韻律一覧』に著し、スクーリ公へと送った。スノッリはスクーリ公にアイスランドとの和議をノルウェーに有利に成立させると約束する一方、独立を守るためにアイスランド国内のノルウェー王の支配を認めようとする勢力と王との関係を絶とうと画策していた。スノッリは人質として長男ヨーンを送ると約束して帰国したが、人質を送る以外何もせず、アイスランドがノルウェー王の統治下へ入るように働きかけることもなかったため、ホーコン4世の不興を買った。
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