スカンディナヴィアの改宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:57 UTC 版)
「中世ヨーロッパにおける教会と国家」の記事における「スカンディナヴィアの改宗」の解説
9世紀まで、スカンディナヴィアにおいてキリスト教が大きな影響力を持つことはなかったが、キリスト教の信仰と典礼はこの地域にかなり早く波及していた。その信仰は西ローマ帝国の滅亡以前に遡るものもあるが、8世紀に形成された北欧とフランク王国などのキリスト教諸国との間の交易路が大きな影響を及ぼしたと考えられている。8世紀の初頭にはイングランドの修道士であったウィリブロード (Willibrord) によるフリジア地方への布教が知られており、彼はデンマーク南部のリベ(Ribe)まで足を運んで、その地から30人の少年を連れ帰って教育し、彼らに現地語で布教させようとした。また近隣のフランク王国は北方地域への布教を継続的に支援していた。 9世紀初頭にフランク王国はザクセン戦争の結果エルベ川以南のサクソン人を服従させ、改宗を強制した。このことはサクソン人と境を接していたデーン人に脅威を抱かせ、デーン人を率いていたゴッドフリード (Gudfred) はフランク王国に抵抗するが、810年に政敵によって暗殺された。彼の死後は息子たちが抵抗を続けたが、フランク王国との宥和政策を主張するハラルド (Harald Klak) が台頭して内戦となった。819年にフランク王国の支援を受けてハラルドが権力を回復すると、彼の支配領域で、ランスの司教エボ (Ebbo) の主導によってキリスト教布教が開始された。ハラルドの権力はつねに脅かされていたために、彼はフランク王国の支援を必要としており、826年、彼はマインツでルイ敬虔帝の見守る中キリスト教へ改宗した。彼はアンスカル (Ansgar) という修道士を伴ってデンマークへと帰還したが、1年後には追放された。一方、829年にはスウェーデン東方にあったスウェーデン人 (svear) の王の要請でビルカにアンスカルが派遣された。18年の歳月を要した彼の伝道活動は成功裏に終わり、ビルカの総督であったヘリガル (Herigar) を改宗させ、彼によって教会堂が建てられた。 [先頭へ戻る]
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