シズレクのサガ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/23 15:25 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動『シズレクのサガ』(古ノルド語: Þiðrekssaga)[注 1]は、歴史上の人物東ゴート王テオドリックをモデルとした英雄ディートリヒ・フォン・ベルン(古ノルド語読みではシズレク)の冒険を描いた「騎士のサガ」である。この「ベルン」はドイツの都市ではなく、北イタリアのヴェローナである[5][6]。このサガは13世紀半ばにノルウェーで書き留められ[5]、中世スカンディナヴィアで広く読まれた[6]。
ノルウェー語版の序文には、この物語が「ドイツ人たちの物語」と「古いドイツの詩」に準拠して書かれたと述べられており、おそらくベルゲンのハンザ商人が伝えたと考えられている[5]。また、『シズレクのサガ』のスウェーデン語の版は、文学に関心のあったカール8世の命令によって編集されたと考えられている[5]。
起源
ドイツにおいて、ディートリヒと彼の仲間たちの物語は、他の伝説と混じり合って発展した。すなわち、東ゴート王国起源のエルマナリク王の伝説や、フランク人・ブルグント族の伝説である『ニーベルンゲンの歌』などである。ディートリヒ伝説は、『ニーベルンゲンの歌』などにおいてサクソン人の王・エッツエルとフン族の王アッティラが同一視される原因ともなった[6]。エルマナリクの伝説と『ニーベルンゲンの歌』は、それぞれがディートリヒ伝説と融合する前にスカンディナヴィアに到達している。当時はディートリヒとこれらの伝説は別々に記述されており、相互の関係性についても弱いものであった[6]。
ディートリヒ伝説の最も古いものの痕跡は、9世紀の『ヒルデブラントの歌』に見ることができる。この物語において、ディートリヒはヒルデブラントの息子であるヒルティブラントやハドゥブランドの親友にしてよき助言者として登場する[6]。12世紀になると『ヒルデブラントの歌』は再編集され、おそらくはこのときに音楽が付け加えられた。この音楽については、現代でも残っている[6]。『ヒルデブラントの歌』の次に古いと思われるディートリヒ伝説の痕跡は、北ドイツのバラッドで見られる。このバラッドでは、ディートリヒがフランクの王・エルマリクとたたかうという内容になっている。この他、ディートリヒに関する多くのバラッドや歌が作られたと考えられており、『シズレクのサガ』の著者は、サクソン人の子どもたちはみなディートリヒとその仲間たちについて知っている、と記述している[6]。
南ドイツにおいて、歌物語やバラッドは長いものが作られ、特にニーベルンゲンの歌やシグルズの物語と融合した。そのため、作中ではシグルズを殺した者たちがエッツエルによって破滅して行くさい、ディートリヒはかなり重要な役割を演じている[6]。その他、古高ドイツ語でディートリヒの物語群が数多く書かれた[6]。
12世紀になるとディートリヒの歌物語はスカンディナヴィアに到着し、特にスウェーデンやデンマークにおいて、シグルズやその他北方の英雄の廃れかけた物語と混じり合った[6]。
13世紀半ば、ノルウェー人、あるいはアイスランド人は「ドイツ人たちの物語」を組み込み、スカンディナヴィアの伝説にシグルズなどを登場させた。これによって生み出されたのが『シズレクのサガ』である[6]。ドイツでも、『シズレクのサガ』と類似しているが、『シズレクのサガ』ほど完成度の高くない作品が作られている[6]。
伝説
『シズレクのサガ』はスウェーデンの歴史書に対し、かなり強い影響を与えた。なぜなら、『シズレクのサガ』はヴァイキングの国とスウェーデン人とその王族を同一視していたからである[6]。もっとも、16世紀の時点でこれに対し疑義を唱える学者もいた[6]。しかしながらこの伝説は、15世紀を起源とし、『ヘルヴォルとヘイズレク王のサガ』とも融合し、ヨハンネス・マグヌスが歴史書『ゴート人とスヴェア人の王国の事績に関する歴史』(1554年出版)[7]の編纂中に創作した、スウェーデン王国の建国神話として発展して行き、やがて「古ゴート主義」として理想化され、17世紀にヴァーサ王朝の元、政治的理念として利活用された。
リヒャルト・ワーグナーはオペラ・『ニーベルングの指環』で『シズレクのサガ』の要素を取り込んでいる。
脚注
注釈
出典
- ^ a b 岩井 2007, pp. 2, 13, etc..
- ^ 渡邊 2008, p. 82.
- ^ 石川 2004, p. 32,55,252,etc..
- ^ 岡﨑 2017, p. 996,1027,etc..
- ^ a b c d The article Didrik av Bern in Nationalencyklopedin (1990).
- ^ a b c d e f g h i j k l m n The article Didrikssagan in Nordisk familjebok (1907).
- ^ 「ヨハンネス・マグヌス」「ゴート人とスヴェア人の王国の事績に関する歴史」の表記は以下の文献より:小澤, 実「ゴート・ルネサンスとルーン学の成立 デンマークの事例」 『知のミクロコスモス 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』中央公論新社、2014年、69-97頁 。 72頁。
参考文献
- Haymes, Edward R. transl. The Saga of Thidrek of Bern (New York: Garland, 1988) ISBN 0-8240-8489-6
- Friedrich Heinrich von der Hagen transl., Die Thidrekssaga (Otto Reichl Verlag, St.-Goar, 1989) (German)
- 石川, 栄作 『ジークフリート伝説』講談社〈講談社学術文庫〉、2004年12月。ISBN 978-4061596870。
- 岡﨑, 忠弘「解説」 『ニーベルンゲンの歌』鳥影社、2017年5月15日、945-1027頁。ISBN 978-4-86265-602-5。
- 岩井, 方男「『ニーベルンゲンの歌』と伝承(2)」『敎養諸學研究』第122巻、早稲田大学政治経済学部教養諸学研究会、2007年3月25日、 1-21頁、 hdl:2065/32770、 NAID 40015456825。
- 渡邊, 徳明「『ヴォルムスの薔薇園』の裏切り者ヴィテゲ : ディートリヒ歴史叙事詩との関連から」『慶應義塾大学日吉紀要. ドイツ語学・文学』第44号、慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会、2008年、 79-106頁、 NAID 120000801833。
外部リンク
- The Heroic Saga-Cycle of Dietrich of Bern, by F.E. Sandbach. David Nutt, Publisher, Sign of the Phœnix, Long Acre, London. 1906 at the Northvegr Foundation.
- The Old Swedish version in the original language
- Extended summary of the Thidrekssaga
- Ðidriks saga af Bern 1853 edition
- A presentation at Timeless myths
- Two episodes from The Saga of Thidrek of Bern
- An article in Swedish, in Nordisk familjebok.
シズレクのサガ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 16:53 UTC 版)
『シズレクのサガ』(1250年頃)は古ノルド語で書かれているが、大半はドイツ語(特に低地ドイツ語)の口承や、おそらく『ニーベルンゲンの歌』などのドイツ語文献からの翻訳であるため、本項ではここに記述する。 『シズレクのサガ』では、ジークフリートはシグルズと書かれたり、ジークフリートに相当するシグフレーズと書かれたりする。彼はタルルンガラント(おそらくカルルンガラント、すなわちカロリング朝の転訛)の王シグムンドと王妃スペインのシシベの間の子である。ある日シグムンドが戦争から戻ってくると、妃が妊娠していることに気がつく。彼女の不貞を確信した彼は彼女を「シュヴァーベンの森」(シュヴァルツヴァルトのことか)に追放し、そこでシグルズは生まれる。しばらくしてシシベは死に、1匹の牝鹿から乳をもらって生き延びたシグルズは、鍛冶ミーミルによって発見される。ミーミルはこの少年を育てようとしたが、シグルズがあまりに粗暴なため弟のレギンのところに送った。レギンは竜に変化しており、あるいはこの少年を殺してくれるのではないかと考えたのである。しかし、シグルズはレギン竜を返り討ちにしてしまう。シグルズがその血を舐めると鳥の言葉がわかるようになり、そこからミーミルの裏切りを知る。彼は竜の血を自分の体に塗りつけて強靭な皮膚を手に入れ、ミーミルのところへ戻る。ミーミルは彼をなだめようと武器を与えるが、結局シグルズは彼を殺した。その後、シグルズはブリュンヒルドと出会い、名馬グラニを貰い受けて、ベルタンゲンランドのイスング王のところへと向かう。 ある日、ベルタンゲンランドを訪れたシズレク(ディートリヒ・フォン・ベルン)は、三日三晩シグルズと決闘をする。はじめシズレクはシグルズの硬い皮膚を破ることができなかったが、三日目にミムングと呼ばれる剣を手に入れ、ついにシグルズを打ち破る。その後、シズレクとシグルズはグンナル王のところへ馳せ参じ、シグルズは王妹グリームヒルドと結婚する。シグルズはグンナルにブリュンヒルドと結婚するように勧め、二人で彼女のもとに向かう。ブリュンヒルドは、シグルズと結婚の約束をしたと言い張る(それまでにそのような描写はない)が、最後にはグンナルとの結婚を承諾する。しかし、ブリュンヒルドはグンナルとの共寝を拒否したため、シグルズはグンナルの許可を得てグンナルに化け、ブリュンヒルドの処女を奪い、その怪力を失わせた。二人はブリュンヒルドを伴い宮廷へと戻る。 しばらくして、グリームヒルドとブリュンヒルドは自分たちの立場の上下について口論となる。ブリュンヒルドは、シグルズは高貴な生まれではないというと、グリームヒルドは、ブリュンヒルドの処女を奪ったのがグンナルでなくシグルズであると暴露する。ブリュンヒルドはグンナルとホグニを説得してシグルズを殺させようとし、ホグニは狩りの途中泉で水を飲むシグルズを殺す。二人はシグルズの死体をグリームヒルドの寝台に投げ置き、それをみたグリームヒルドは嘆き悲しむ。 『シズレクのサガ』の作者は、幾分なりとも一貫性のある物語を作るために、参考にした口承や文献から多くの変更を加えている。スカンディナヴィアの異説への言及もあり、スカンディナヴィアの聞き手が知っている物語に合うように細部を変更したようである。特に少年期のシグルズの物語は、北欧のものと、後の『角質化したザイフリートの歌』に見られる大陸ゲルマンの伝承だけでなく、他に典拠の見当たらない親についての話を組み合わせたものになっている。 『シズレクのサガ』には、シグルズがニーベルング族の秘宝を勝ち取ったという話は出てこない。
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