高等教育
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高等教育(こうとうきょういく、Higher education)とは、中等教育における学修を受け、学修の成果として学位などの学術称号やサーティフィケートが授与される課程、具体的には、大学[注 1]、高等専門学校[注 2]、専門学校[注 3][注 4]、各種学校(後期中等教育修了後、修業年限が2年以上)などで行われている教育のことである。
注釈
- ^ 短期大学および大学院を含む
- ^ 専攻科を含む
- ^ a b 修業年限が2年以上
- ^ 修了者に専門士または高度専門士の称号が授与される課程
- ^ 3年以上ないし4年以上:大学の学部
- ^ 2年以上:短期大学専攻科や高等専門学校専攻科
- ^ 広義的には、特別支援学校の高等部と高等専修学校(専修学校の高等課程)を含む
- ^ 特に、日本の高等学校においては、2007年改正前の学校教育法第41条では、高等学校段階における普通教育は「高等普通教育」と呼ばれていた。
- ^ 研究者を含む
- ^ 短期大学および大学院を含む
- ^ イギリスでは商業技術教育委員会、日本では大学改革支援・学位授与機構など
- ^ 1998年、パリ
- ^ 高等学校
- ^ 短期大学を含む
- ^ 小学校など
- ^ 中学校・高等学校・中等教育学校など
- ^ UNESCOの国際標準教育分類(ISCED)によれば、高等専門学校1,2,3学年はLevel-3、高等専門学校4,5学年および専攻科はLevel-5に分類されているが、前期課程/後期課程等と内部で分かれているわけではなく、後期中等教育機関である高校の生徒と同年代の学生(1-3年次)も含めて、高等教育を受けているものと法的にはみなされている。
- ^ 二・三年制の学科修了者に専門士、四年制の学科修了者に高度専門士の称号が授与される課程
- ^ 4年制大学41.3%であり、短期大学7.7%、専修学校の専門課程23.1%
- ^ 本科、研究科博士前期課程、博士後期課程
- ^ 医学科、研究科博士後期課程
- ^ 本科、研究科
- ^ 本科
- ^ 大学部
- ^ 総合課程、長期課程
- ^ 看護学部、研究課程部
- ^ 日本の短期大学とは別物
- ^ 一般にリベラルアーツ・カレッジは都市から少し離れた地域にある
- ^ 通常15週間/学期
- ^ 通常10週間/学期
出典
- ^ Top Universities World University Rankings Retrieved 2010-1-6
- ^ Our History - Università di Bologna
- ^ Paul L. Gaston (2010). The Challenge of Bologna. pp. 18. ISBN 1-57922-366-4
- ^ OECD 2015, pp. 22–23.
- ^ 26条1
- ^ OECD 2014, p. 23.
- ^ 社会権規約第13条
- ^ a b UNESCO (2008年). “Japan ISCED mapping”. 2015年10月31日閲覧。
- ^ OECD 2014, pp. 319–320.
- ^ 独立行政法人大学評価・学位授与機構認定の教育施設(各省庁大学校)の課程修了者への学位授与(学士・修士・博士)
- ^ 学校教育法第104条第4項第2号の規定に基づく
- ^ a b フランスの学生が大学を占拠してまで「成績による選別」に反対する理由(ニューズウィーク日本版)
- ^ [1] 世界の若者失業率、17年は13.1% 2年連続で悪化 :日本経済新聞
- ^ [2] フランス - 若年者失業率
- ^ [3] フランス - 若年者失業率
- ^ 寺澤幸恭「ドイツにおける「実務型」高等教育に関する考察(1) -専門大学の実習セメスタ- (インターンシップ)」『岐阜聖徳学園大学短期大学部紀要』第36巻、2004年3月、85-101頁、NAID 110000963675。
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- ^ a b c d 伊藤拓, 及川恵, 西河正行 (2013)、「英国,米国の学生相談機関による集団形式のプログラムの展望-日本における精神的不適応予防のための集団形式のプログラム実施のポイントの検討-」 『明治学院大学心理学紀要』 2013年 23巻 p.123-136, hdl:10723/1742, 明治学院大学心理学会
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- ^ a b 鈴江毅 (2018)、「大学生の精神的不健康の実態と自殺予防に関する研究」 『静岡大学教育学部研究報告. 人文・社会・自然科学篇』 2018年 68巻 p.211-218, 静岡大学学術院教育学領域
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- ^ 上田敏子、窪田辰政、大石哲夫 ほか (2014)、「大学生を対象とした抑うつ予防プログラム -文献レビュー-」 『静岡産業大学情報学部研究紀要』 2014年 16巻 p.1-8
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- ^ クラウディア・ゴールディン 著、鹿田昌美 訳『なぜ男女の賃金に格差があるのか――女性の生き方の経済学』慶応義塾大学出版会、2023年(原著2021年)、103頁。
- ^ キャティー・ケイ、クレア・シップマン 著、田坂苑子 訳『なぜ女は男のように自信をもてないのか』CCCメディアハウス、2015年(原著2014年)、134頁。
- ^ a b Leave no child behind: global report on boys’ disengagement from education. UNESCO. (2022)
- 1 高等教育とは
- 2 高等教育の概要
- 3 世界各国の高等教育
- 4 今後の課題
- 5 脚注
大学教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:18 UTC 版)
「W・E・B・デュボイス」の記事における「大学教育」の解説
隣人たちの寄付を頼って、デュボイスはテキサス州ナッシュビルの歴史的黒人大学であるフィスク大学に入学し1885年から1888年まで学んだ。南部への旅と居住は彼にとって南部のレイシズムを初めて経験する場となった。当時の南部はジム・クロウ法のもと、偏見がはびこり、黒人の投票権が制限され、リンチ(英語版)が行われていた。リンチはこの後の10年間にピークを向かえる。フィスク大学から学位を取得した後、デュボイスはハーバード大学(当時フィスク大学の単位を認めていなかった)に入学して1888年から1890年まで学び、アメリカの有名な哲学者であったウィリアム・ジェームズから強い影響受けた。デュボイスはハーバードの3年分の学資をアルバイト(summer jobs)、遺産、奨学金、友人からの借金などで賄った。1890年、ハーバード大学はデュボイスに史上2番目となるcum laudeを授与した。1891年、デュボイスはハーバード大学の社会学大学院(the sociology graduate school[訳語疑問点])に入学するための奨学金を受け取った。 1892年、デュボイスはJohn F. Slater Fund for the Education of Freedmen(英語版)から卒業研究のためベルリン大学に入学するのに必要なフェローシップを授与された。ベルリン大学の学生時代にはヨーロッパ中を旅した。彼はベルリンで知的に成熟し、グスタフ・フォン・シュモラー、アドルフ・ワーグナー、ハインリヒ・フォン・タイトシュカのようなドイツの最も著名な社会学者たちと学んだ。デュボイスはドイツでの日々について「私はアメリカ社会の外にいて、外側から見ていたのだ。白人たち - 学生、知己、教師 - が私と一緒にいて、私と一緒に同じ風景を見ていた。立ち止まって私の好奇の目で見たり、人間以下のもののように見たりするわけではなかった。私は学生という多少特権的な地位の人間にすぎず、彼らはそんな私に喜んで会って話をしようとした。世界について、世界の、特に私が生まれた国について論じ合おうとした」と書いている。ヨーロッパから戻った後、1895年にデュボイスは大学院を修了し、ハーバード大学からDoctor of Philosophyを取得した最初のアフリカ系アメリカ人となった。
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大学教育
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国公立の芸術大学 - 東京藝術大学、京都市立芸術大学、愛知県立芸術大学、金沢美術工芸大学、沖縄県立芸術大学の国公立5校は毎年持ち回りで相互交流を目的とした五芸祭を開催している。沖縄県立芸術大学が正式参加する以前は四芸祭だった。東京藝術大学と京都市立芸術大学は日本で最も歴史のある芸術学校であり(京都市立芸術大学の前身は1880年設立。東京藝術大学の前身は1886年と1887年設立。)、日本芸術界を国内と国際的に支え、日本芸術産業発展と日本芸術文化推進など日本国家と日本芸術界に多大な貢献をした著名人を数多く輩出してきたことから「芸術界の東大と京大」とも称されている。 東京五美大 - 東京都にある多摩美術大学、武蔵野美術大学、東京造形大学、女子美術大学、日本大学藝術学部は、総称して東京五美大(五美大)と呼ばれている。東京五美術大学連合卒業・修了制作展を共催する大学群。
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大学教育
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1892年に開学したシカゴ大学は全米で先駆けてエクステンションの専門部局を組織し、「講義教育(LectureStudy)」、「クラス教育(ClassWork)」、「通信教育(Correspondence Study)」の3部門の事業を導入した。クラス教育部門や通信教育部門でも正規の教育課程にほぼならぶ講義回数を課すことで一定の単位取得を可能とした。
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大学教育
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「クリフトン・レジナルド・ウォートン (ジュニア)」の記事における「大学教育」の解説
1970年、ウォートンはミシガン州立大学学長に選任され、アメリカの主要大学において最初の黒人学長となった。ニューヨーク・タイムズ紙はトップ記事として掲載し、「黒ん坊の先導者——クリフトン・ウォートンが再度の栄達 / ミシガン州立大学で新学長選任、白人学生が多数を占める主要大学で初の黒人学長誕生」と報道した。デトロイト・ニュース紙もまた、主要記事として報道した。 ウォートンは1970年から1978年までミシガン州立大学で学長を務め、経済学の教授も兼任した。在任中はしばしば不穏な事態が発生し、1970年と1972年には学生による抗議運動が発生した。彼は学長として、教育水準を維持したままでの予算削減、経済的条件ないし教育的条件に不利な学生への教育融資、整骨医学大学院をはじめとする医学系大学院の統合、などの成果を挙げた。またウォートンは在任中、入学予定者に対して指針を提示することを目的とした「入試および学生に関する組織委員会」や、選抜された学生や若手教員に大学管理の経験を与える「学長フェロープログラム」を創設するなどの革新を行った。ウォートンが大学に対して行った長期的貢献としては、舞台芸術の新たな拠点を建設したことが挙げられる。この施設に対してウォートンは妻とともに最も献身的な支援を行った。1982年、大学はウォートンとその妻の貢献を称え、「ウォートン舞台芸術センター」と命名した。 1978年、ウォートンは64のキャンパスを構えるニューヨーク州立大学機構の総長に就任した。 彼は国内最大規模の大学機構において総長に就任した初の黒人として名が立てられた。彼は1987年まで9年間在任し、肥大化した大学管理体系の柔軟化、大学の研究能力の強化、そして大学の質的イメージの飛躍的な向上、といった成果を挙げた。 ニューヨーク州立大学理事長ドナルド・ブリンケンはウォートンの最大の恒久的業績として、独立委員会の創設と管理体系の柔軟化を挙げた。ブリンケン理事はまた、「彼のユニークな考え方がなければ、州立大学の将来を検討する独立委員会は創設されず、委員会によって『(この大学には)国内で最も過剰な規制がかけられている』との問題が発見されることもなく、明るみに出ることすらなかっただろう」と、ウォートンの仕事を賞賛した。
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大学教育
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札幌大谷大学社会学部に地域社会学科が、山梨大学生命環境学部に地域社会システム学科がある。
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「大学教育」の例文・使い方・用例・文例
- 大学教育
- 彼女は大学教育を受けた数少ないスタッフの一人だ。
- 彼らは困難にもめげず、子供1人1人に大学教育を受けさせることにこだわった。
- 彼は大学教育の改革を主張している。
- 彼の両親は彼の大学教育に備えて貯蓄をしている。
- 知能を訓練すること:これが大学教育の主要な目的である。
- 大学教育は知識を広げるためのものだ。
- 今日の若者の中には、大学教育を受けながら少しも賢くないものがいる。
- 学校へ行ったことのない人は貨物自動車からものを盗みかねないが、大学教育を受けた人なら鉄道全部を盗みかねない。
- 大学教育改革の声がやかましい.
- 大学教育普及運動の一環として提供される講座
- 他の教育活動が軽蔑して判断されることに対し、大学教育は、優秀の模範である
- 講座制という大学教育の研究教育制度
- 彼は5月14日の声明で「卒業を成し遂げるのに何年もかかった。大学教育を終えることの大切さを若い人にわかってもらいたい。これでめでたく今年の卒業式に参加できる。」と話した。
- 彼女は,日本に大学が多すぎることが原因で,大学教育の質が低下していると主張した。
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